想うこと2 心の座標系(16)人類の歴史
人類は原始時代から古代、中世、近代を経て現代に至っています。
その間の歴史をたどると、拡大指向と循環指向の2つの価値座標を往復しているように思えます。「拡大指向」というのは「拡大していくことに価値あり」という価値観であり、「循環指向」というのは「繰り返していくことに価値あり」とする価値観で「持続指向」とも言えます。
最初に本論での話しを要約します。
(1)原始時代は循環指向から始まり道具の発明により拡大指向への転換がおこりますが、その拡大が限界に至り再び循環指向となります。
(2)古代は農耕の発明、発達により拡大指向となり、中央集権的な国家が作られ拡大していきます。
(3)中世は古代の拡大指向が農耕地開発の限界などにより、行き詰まりその状況の打開のために循環指向の封建主義的な国家が作られます。
(4)近代は産業革命を契機に拡大指向に転じ、中央集権的な近代国家が作られます。
(5)現代(第二次大戦後現在に至る)は地球の温暖化、オゾン層破壊、大気汚染、エネルギー資源の枯渇など近代の拡大志向の矛盾が露呈し、一部で循環指向への価値座標の転換が見られます。しかし、中国、インドなどの近代化に遅れて着手した大国の人々がむしろ拡大指向に向かっているため、人類全体としては拡大指向が強まっている時代とも考えれれます。

以下にやや詳しく説明いたします。
まず原始時代には自然の植物の採取、鳥獣魚介類の捕獲に食を頼っていました。当初は他の獣と同レベルに自然の生態系の中に組み込まれて生きていたので、拡大しようにも容易に出来る状態ではなかったので現在の生活をそのまま維持していこうとする循環指向でしかありえなかったでしょう。しかし石器などの道具の発明とともに人類は他の生物より圧倒的に優位な立場に立ち、人口を増加させ、その生存領域を全世界に広げます。この時代は拡大指向の時代と言えます。
しかし、いったんその拡大が限界に達すると相互の部族間のなわばり争い等が頻繁に起こるようになります。このような争いは相互に拡大指向の価値観が続く限り終わることがないので、相互に無益な消耗を避けるために拡大よりも繰り返し(循環)を尊ぶ循環指向の価値観が優勢となります。次に農耕が発明されると、単位面積当たりの食料の供給能力が狩猟、漁猟に比して飛躍的に増大するために再び人口の増大が始まり、山林原野に農耕地が広がっていき、再び拡大指向型の価値観となります。古代というのはこの価値観追求の過程で出現した時代と言えます。 新たな農地が盛んに開発され、それを統括する役目を担う国家も誕生します。日本では天皇制が誕生し、貴族達が盛んに荘園という呼び名の農地開発を行います。やがて比較的容易に肥沃な農地に開墾できる土地が少なくなると、農地を奪い合う土地争いが頻発するようになります。 国家間の戦争も多くなります。 しばしそのような時代が続いた後に中世となります。中世には古代の中央集権的な国家にかわり、封建的な(地方分権的な)国家が出現します。封建的な国家は古代国家の拡大指向的な価値観を排除し、循環指向的な価値観に基づいて造られたものといえます。 地方間及び地方内での争いを避ける役目を果たす武士(西欧では騎士)が権力を占めるようになります。
(ヨーロッパでは西ローマ帝国の滅亡(480年)が中世の始まりとされているようですが日本ではいつを中世の開始とするのかは諸説があるようです。拡大指向から循環指向への価値観の転換という意味では源頼朝が武家政治を開始する、すなわち鎌倉幕府の成立が、中世の始まりではないかと思います。)
さて、ヨーロッパにおいて中世の循環指向から拡大指向への転換は思想的にはルネッサンス(14-16世紀)に始まると思います。ルネッサンスの人文主義者は中世を暗黒時代として古代を理想化し、キリスト教を中心とする価値観に替わりいわゆる人間中心主義的な価値観を主張し始めました。これは素朴で10年1日のごとくに同じ生活を繰り返すのをよしとする中世の循環志向の価値観に替わり、人間生活の豊かさを求めることを推奨する拡大指向の価値観を主張したことでもあります。
しかし世界全体に拡大指向の価値観が広がるのは産業革命(イギリスでは1760年代から1830年代他の国はそれ以後)以降でないかと思います。
これは産業革命を契機に生産力が飛躍的に増大し、科学技術を駆使することにより人間の生活の飛躍的向上が可能であるという認識が一般に広がったことが原因です。
すなわち、ここにおいて「循環」を美徳とする価値観を持ち続ける必要がなく生活の向上などを目指すのをよしとする「拡大指向」の価値観(かってルネッサンスの時代において富裕なイタリア都市で始まった価値観)が一般大衆に広がったのです。
ヨーロッパではルネッサンスからフランス革命(1789年:イギリスで産業革命が進行中)までを近世(初期近代)、それ以降を近代という言い方もされているようですが、その意味では近世は拡大志向への揺籃期であり、近代は拡大指向の価値観の時代と言えるでしょう。
日本では江戸時代が近世、明治維新以降を近代としているようですが、拡大指向への転換が明確になされたのは明治維新であり、日本もヨーロッパと同様に近代が拡大指向の価値観の時代といえるでしょう。

さて現代(日本では第二次世界大戦後と言われる)はどうでしょうか。
日本の第二次世界大戦後の経済成長期は「科学技術の発展のもとに豊かな生活を作り出せる」と言う考えが多くの人に無邪気に信じられていて、いわば近代の拡大志向礼賛のような価値観が主流でした。しかし、先ず水俣病や四日市喘息に象徴される公害問題による工業化への懐疑が発生します。これは公害防止法の施工などによりかなり改善されるのですが、次に地球温暖化やオゾン層破壊など、一国ではどうにもならない人類全体での問題が発生してきました。最近は石油価格の高騰など以前から言われている「石油の枯渇」も現実の危機として感じられるほどになってきております。
このような中で「循環型社会」とか「持続可能な社会」と言った循環志向の価値観の重要性が盛んに強調されることが多くなってきております。
しかし、依然として私達の生活は石油を消費しつつ豊かな生活を享受しようとする拡大指向の価値観に基づいています。更に今までどちらかと言えば循環志向の強かった中国やインドの多くの人たちを始め、いわゆる開発途上国の人たちが拡大指向の価値観に転向していて、人類全体としては拡大指向の価値観がますます強力になってきている、と捉えられます。

人類の未来はどのようになるのでしょうか。次にそれを考えてみたいと思います。
by masaaki.nagakura | 2008-03-20 13:58 | 想うこと
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