世界平和のための老子(総集編)
現在の世界情勢を鑑みると、平和への希求はますます重要になってきていると思われます。
以前、本ブログにて「世界平和のための老子」というタイトルで20回にわたり連載しましたが、それを読み返してみると、現在もその内容は我ながら納得できるものであり、多くの人にも知っていただきたいと思い、それをまとめた形で再掲したします。

1.プロローグ
 「母なる宇宙に抱かれて」という前文を記す中で「人間は自然を支配する」のではなく「人間は大自然に属する」という感覚が世界平和を開く鍵である、と言う想いを強くしました。 
 このような感覚を世界中の人に持ってもらいたいと思っております。
 そこでこのような感覚をもってもらうために古代中国の老子に登場してもらうことにしました。

 老子の考え方の大きな特徴は「原点志向」と言うことです。
 人間存在の原点を遡及しつづけると「人間はこの大自然に属し大自然と一体である」という感覚に辿りつきます。というか、むしろ「大自然と一体であり、大自然に抱かれているのだ」と言う感覚が先にあって、原点に遡及していったのではないかと思います。

 全ての人の心の中にもこの感覚は潜在するものではないでしょうか。
 老子の考えへに想いを馳せることが、私たちがこの大自然との一体感を取り戻す機縁となるでしょう。
 そして、その感覚がやがては世界中に広がり、世界平和の実現につながっていくことを願いつつ、この論を展開したいと思います。 「母なる宇宙に抱かれて」という前文を記す中で「人間は自然を支配する」のではなく「人間は大自然に属する」という感覚が世界平和を開く鍵である、と言う想いを強くしました。 
 このような感覚を世界中の人に持ってもらいたいと思っております。
 そこでこのような感覚をもってもらうために古代中国の老子に登場してもらうことにしました。

 老子の考え方の大きな特徴は「原点志向」と言うことです。
 人間存在の原点を遡及しつづけると「人間はこの大自然に属し大自然と一体である」という感覚に辿りつきます。というか、むしろ「大自然と一体であり、大自然に抱かれているのだ」と言う感覚が先にあって、原点に遡及していったのではないかと思います。

 全ての人の心の中にもこの感覚は潜在するものではないでしょうか。
 老子の考えへに想いを馳せることが、私たちがこの大自然との一体感を取り戻す機縁となるでしょう。
 そして、その感覚がやがては世界中に広がり、世界平和の実現につながっていくことを願いつつ、この論を展開したいと思います。

2.老子の全体像
 老子は道徳経という全81章に亘る言葉を残しておりますが、他に経歴などを伝えるものがほとんど残されていないようです。 このことから老子が実在の人物であったかを疑問視する考え方もあるようです。
 しかしこの81章にはおぼろげながら一つの体系的なものが感じられます。 少なくともこの81章は一人の人物が、あるいは複数の人が共同でまとめてものであると考えられます。 
 私達にとって重要なのは老子が実在したか否かと言うことよりも、この道徳経が何を言おうとしているかに想いを馳せていくことである思います。
 老子の全体像と言うのも、この道徳経の意味しようとすることの全体像と置き換えた方が正確かもしれませんが、一人の老子という人物を想定した方がリアルなイメージを持てるので、その線で話を進めます。

 この道徳経に表された老子の思想は次の4つの面を備えていると思います。
(1)自然と人間の関係⇒人間は自然と一体で自然に包まれて生きている。
(2)原初への遡及⇒社会的に形成サれた人間のもつ概念以前の状態へ遡及して道の姿が見える。
(3)理想の人間像⇒道に合致した人間の姿。
(4)理想の政治⇒天下に末永き平和を齎す政治の在り方。

 これらの面は相互に関連しています。
 老子の中にはもともと人間と自然の関係についての深い直観があり、それが彼に原初への遡及をさせ、そこから理想の人間像(老子の言う聖人あるいは古の士)を、そして更に理想の政治に対する考えを導かせた、と思うのです。
 道徳経の淡々としたような言葉の裏には、当時の争乱に満ちた世の中の在り方に対する痛切な嘆きがあり、そこからの回復の道を示そうとする強い意志が感じられます。
 老子が道徳経を表した、もともとの動機と言うのは「そのような世の中に何とか末永き平和を齎したい」という痛烈な願望ではなかったのか、と思います。
 現在の世界の有様も老子の時代と同様の問題を抱えていると思います。
 老子の時代は群雄が割拠し、領土を奪い合っていたのですが、現在の世界は国家が林立し、互いに市場を奪いあっています。
 いずれも人間のあくなき欲望(とその背後に欲望が満たされないかもしれないという不安)がなせる業です。そしてそのような奪いあいは「この自然を人間が支配しているのだ」と言う錯覚から生じているのであり、それを続けていく限り、世界全体が破局(世界大戦、地球環境の悪化による人類の滅亡、世界的な飢饉、伝染病、精神的な行き詰まり等のいずれかあるいは複数)を迎える可能性も高いのです。
 
 このような状況の中で老子の言葉を見直す意味は大きいと思います。
 以下順番に上記の(1)~(4)に関して考えていきたいと思います。
 
3.人間と自然の関係
 「人間が自然を支配しているのでなく、人間は自然に属し、本来自然と一つのものである」という感覚はおそらく誰の心にも潜む原初的な感覚であると考えます。
この感覚は老子の思想の中に色濃く現れているものですが、特のその自然を母性的なものと感覚しているところに着目したいです。
 老子にとって自然は「母なる自然」であり、一切の生命と無生命を生みつつしかもそのすべてを包み込んでいるものです。

 老子の言葉にはこの感覚が強く表されているところがあります。
 まず第25章の次の言葉です。

第25章抜粋
 有物混成、先天地生。寂兮寞兮、獨立不改、周行而不殆。可以爲天下母。
 [物あり混成す、天地に先立って生じる。寂たり寞たり、獨立して改ためず、周行して殆うからず。 以って天下の母と爲すべし。]

 この「有物混成より周行而不殆」までは宇宙誕生時の原初的な状態をあらわすような言葉です。 
 「物あり混成す、天地に先立って生じる」というところで 「天地」と言うのは今の言葉では地球と言うことです。そして地球の誕生に先立ってあったという「物あり混成す」という状態を「寂たり寞たり、獨立して改ためず、周行して殆うからず」と形容します。 
 これはまさに「BIG BANG」後の宇宙の混沌たる状態をリアルにイメージングさせる表現です。
 老子のこの宇宙の始原に寄せるイメージはは奇しくも現代科学のたどりついた宇宙始原のイメージと一致すると思うのは私だけではないと思います。
 最も注意すべきなのはこの宇宙誕生の状態を「可以爲天下母」として締めくくったことです。
 すなわちその宇宙始原の姿を「天下の母」と観たということです。
 そして更に老子の「道」と言うのはこの「母」の顕現であるということが明示されます。

 第25章は上記から次のように続きます。

 吾不知其名。字之曰道。
[吾その名を知らず。これに字(あざな)して道という。]

 宇宙の始原そのものである「天下の母」は名の生まれる以前の存在なので名の知るすべはない、というのが「吾その名を知らず」の意味でしょう。
 だから老子自身がその「母」に仮に字(あざな)して「「道」とした、と言うことです。

 老子の思想は「Taoism」と言われ、「道」の思想が中心にある、と考えられまた、その「道」の思想の中心は「無為自然」である、と言われるのですが、更に根っこのところに、「宇宙の始原を母とし、万物はそこから生まれ、その母と一体である」と言うインスピレーションが強く潜在していることに着目したいものです。

 なお、この25章のみからは「宇宙の始原である母との一体感」は必ずしも明確ではないのですが、第20章に次の言葉があります。

第20章抜粋
 衆人皆有以。而我獨頑似鄙。我獨異於人、而貴食母。
[衆人はみな以うるところあり。而うしてわれはひとり頑にして鄙に似る。われはひとり人に異なりて、母に食(やしな)わるるを貴ぶ。 ]

 この言葉は「宇宙の始原であり、大自然である母の懐に抱かれて生きていることが尊いのだ」と言う老子の確信を表したものと思います。自らを卑下したような表現の中に大自然との一体感を失った世人に対する強烈な批判があることも読み取るべきでしょう。

まとめ:
老子の思想は「無為自然」とよく言われますが、その「無為自然」を是とする背景には「自己存在、人類、あらゆる生命、あらゆる無生命が母なる宇宙始原、母なる大自然と一体であり、母なる大自然にはぐくまれ、絶対的に守られている」とするインスピレーションが深く存在すると思うのです。
 「母なる大自然に絶対的に守らrている」からこそ「無為自然」で良いのです。
 もし、このインスピレーションに想い至らせずに老子の「無為自然」を評価すると、「社会的に無責任な思想」と言うことになるでしょう。あるいは「虚無主義」とも評価されます。

 この「無責任論」とか「虚無主義」とかいう観方は老子の熱いインスピレーションに想いいたらないところからでてくるものように思います。
 「無為自然」と言うのは老子の伝えたいことの本質ではなく、むしろ敢えて「無為自然」を強調することの中でこの母なる宇宙、大自然との一体感への回復を促そうとしたのではないか、と思うのです。
 
 老子のひたすら伝えたいのは、壮大なるこの宇宙のリズムであり、大いなる恵みであり、それこそが最も耳を傾け、目を見張り、感覚すべきことである、と言うこと、そしてそこに立ち返ることによってはじめて世界平和が実現する、ということではなかったでしょうか。

参考:老子の中の「母」と言う言葉

 老子の全82章の中には「母」と言う言葉が出て来る章が上記の他三つの章、1章、52章、59章があります。いずれも母と言う言葉に肉親の母親と言うより、宇宙的な次元での母という意味を持たせています。
 特に第1章と第52章は「母」と言う言葉の中に上述の第25章と同様に始原的な創造者の意味を込め、また第52章と第59章はその「母」を知り、尊んでいくことで久しい安寧が得られることを示すものと思います。
 これらの章及び上述の第20章と第25章より老子のいう「母」は「宇宙の始原であり、万物を育み、守るものである」というイマジネーションをもって捉えられます。

第1章抜粋
道可道、非常道。名可名、非常名。無名天地之始、有名萬物之母。
[道の道とすべきは、常の道にあらず。名の名とすべきは、常の名にあらず。無は天地の始に名づけ、有は万物の母に名づく。]

第52章抜粋
天下有始、以爲天下母。既知其母、復知其子、既知其子、復守其母、没身不殆。
[天下に始め有り、以て天下の母と為す。既に其の母を知り、また其の子を知り、既に其の子を知りて、また其の母を守れば、身を没するまで殆うからず。]

第59章全文
治人事天、莫若嗇。夫唯嗇、是謂早服。早服謂之重積徳。重積徳、則無不克。無不克、則莫知其極。莫知其極、可以有國。有國之母、可以長久。是謂深根、固柢、長生、久視之道。
[人を治め天に事うるは、嗇(しょく:農夫)にしくはなし。それただ嗇、これを早服(そうふく)と謂う。早服これを重積徳と謂う。重積徳なれば、すなわち克たざるなし。克たざるなければ、すなわちその極(きょく)を知るなし。その極を知るなければ、もって国を有(たも)つべし。国の母を有てば、もって長久なるべし。これを深根、固柢(こてい)、長生、久視(きゅうし)の道と謂う。]

4.大自然への畏敬という人類の共通感覚
 老子の思想の根底には「自己存在、人類、あらゆる生命、あらゆる無生命が母なる宇宙始原、母なる大自然と一体であり、母なる大自然にはぐくまれ、絶対的に守られている」というインスピレーションが存在する、という話をしました。
 ところでこのインスピレーションは老子独自のものではなく、人類の中に深く潜む共通の感覚だと思います。
 老子はただこの感覚を自らのうちに深く感じとっていたのです。
 人類の歴史をさかのぼれば、大自然への畏敬と言うのは恐らくあらゆる民族の中に自然に芽生えた感覚で、あったでしょう。 そしてその大自然への畏敬の念はやがて自然崇拝という原始宗教に発展していきます。 
 自然崇拝は多くの民族の中で母性的な自然への崇拝となるようです。
 縄文のビーナスもその心情を発露したものではないか、と思われます。

 自然崇拝的な原始宗教はそれぞれの土地で独自の発展を遂げていたのでしょうが、農耕の発明と共に広範囲を領土とする古代国家が創生され、原始宗教もしだいに統一されて古代宗教として秩序だったものとなっていきます。
 その中で原始宗教の中に混沌としてあった「母なる大自然への畏敬、崇拝」の心情を意識化したものとして古代宗教における女神が現れます。
 日本では天照大御神がそれです。
 このような原初的な女神のイメージは地域と時代により、いろいろに展開されていくようです。
 朝鮮では地下女将軍という守護神がおります。
 中国の道教では無生老母と言うすべてを生み出した神が崇拝されているようです。
 キリスト教国では「聖母マリア」が信仰を集めます。
 仏教国では「観世音菩薩」(注*)が大きな信仰を集めますが、この菩薩も多くの人びとに女神のようなイメージで信仰されているように思います。
 「聖母マリア」も「観世音菩薩」キリストや釈迦の元の説教からは出てこないのですが、このような存在が人間の原初的なイマジネーションの中にあってそれが、それぞれの宗教に触発されて出て来たようにも思います。
 これらの信仰の原初にあるものは「母なる大自然への崇拝の感覚」であり、それがまた老子が深く感覚したものであったと思うのです。
 
 この感覚は東アジアの多くの民族、環太平洋の原住民族の間では近代以前まで、普通に継承されてきた感覚であったと思います。
 近代と言う時代は自然崇拝を迷信的なものとして排除する方向に進んできました。
 しかし、この私達人類の祖先が共通に感じてきた自然への畏敬の念と言うのははたして間違っていたのでしょうか。  この自然への畏敬の念を否定したことが、今日の自然破壊を生み出し、また世界中を市場争奪戦の戦場と化してきたのではないのでしょうか。

 こんなことも思いながら更に老子についての話を進めていきたいと思います。
 
注*観世音菩薩 :観音経(法華経の観世音菩薩普門品第二十五)で登場する菩薩で、法華経を守護する役目を与えられていますが、一方ではその慈悲の力で衆生の一切の苦悩を救済するという菩薩です。
 私はこの観音経が好きでよく読誦していました。 世尊妙相具から始まる詩の部分は暗唱もしました。
 そして思ったのは「この観音経と言う部分は必ずしも法華経の中になくても一貫した意味を持ち得る」と言うことです。
 あるいはもともと観世音菩薩あるいはそれに似た神や菩薩への信仰が存在して、その存在を法華経の中に取り込んだのではないか、と思われるのです。
 そしてその観世音菩薩の始原は「全てを絶対的に守る母なる大自然」というインスピレーションではなかったかと思うのです。

5.始原への遡及①意識と無意識の境界
 老子の思想の根底には「人間は大自然に属し、大自然が人間に属するものではない」という感覚と更に「その大自然は万物の母であり、万物を産み、育て、守る」という深いインスピレーションがあり、またそのインスピレーションへ想いをいたさない限り、老子の「無為自然」を是とする思想も理解し難いものとなります。
 おそらく老子の中にはそのインスピレーションがもとより存在し、そこから出発して哲学的な思索を深める中で、ますますそのインスピレーションへの確信を深めていったのではないか、と思います。
 老子の思索の著しい特徴は「現存在の始原にさかのぼろう」とする方向性をもっていることです。
 ただこの始原にさかのぼろう、とする思想のあり方は老子だけではなく、殆どあらゆる宗教、道徳そして科学も共通です。 老子の特徴というのは人類、生命が深層に抱く潜在意識の世界へ遡及しようとする方向性を持つということです。 
 
 まず第1章は宇宙あるいは宇宙に対する人間の意識の起源に遡ろうとするものです。
 
第1章(全文)
道可道、非常道。名可名、非常名。
無名天地之始、有名万物之母。
故常無欲、以観其妙、常有欲、以観其徼。
此両者、同出而異名。同謂之玄、玄之又玄、衆妙之門。

(道の道とすべきは、常の道に非ず。名の名とすべきは、常の名に非ず。無は、天地の始めに名付け、有は、万物の母に名付く。故に常に無は、以って其の妙を観せん、と欲し、常に有は、以って其の徼を観せんと欲す。此の両者は、同出にして名を異にす。同じく之を玄と謂う、玄の又玄は、衆妙の門なり。)

 ここでは無と有と言う言葉に着目したいと思います。
 意識と無意識の境界にあるのが無と有でその意味で人間の意識の一切が無と有の両者から発するということになります。「此の両者は、同出にして名を異にす。」というのは無と有というのが人間の意識の中に同時に生まれてくると、ということです。そこから様々な世界が展開してきます。人間の意識の芽生えに出てくる無と有という意識の不思議さを「玄」と表現し、またそこから様々の微妙、絢爛な世界が展開してくる、ということを「玄のまた玄は衆妙の門なり」と表現しているのだと、思うのです。

 老子の言葉の中には論理的な観点から見ると、理解に苦しむような表現が多くあります。
 
 次は老子から観た道の姿です。
第14章(抜粋)
 其上不皦、其下不昧。繩繩不可名、復歸於無物。是謂無状之状、無物之象。是爲惚恍。迎之不見其首、隨之不見其後。
(その上は皦(あきら)かならず、その下は昧(くら)からず。縄縄(じょうじょう)として名づくべからず、無物に復帰す。これを無状の状、無物の象と謂)い、これを惚恍(こつこう)と謂う。これを迎うるともその首(こうべ)を見ず、これに随うともその後(しりえ)を見ず。)

まるで雲をつかむような文章でとらえどころがないような言葉ですが、それは意識の原初にさかのぼり無と有の境目あるいは意識と無意識の境界に入り込んだ時観える姿ではないかと思うのです。

 人間は社会を形成することでその時代と地域により異なる考え方や価値観を知らず知らずのうちにあるいは教育により身に着けてきています。老子の思索と言うのはそのような考え方や価値観の形成する以前の状態へと向かっていきます。 意識の世界から潜在意識の世界へ、分別の世界から混沌とした無分別の世界へと向かっていくのです。それは社会的に作られた考え方や価値の世界から抜けだして、(自らの魂をその束縛から開放して)それ以前の原初の姿に戻っていくという過程を辿ることでもあります。

なぜそのようにして原初の姿に戻っていく必要があるのでしょうか。
 社会におけるあらゆる争乱や個人における苦悩、葛藤にはその起源があります。 その争乱、苦悩、葛藤の中に身を置いているだけではその中で翻弄サれるだけです。
 だからそれらの争乱、苦悩、葛藤の生じる以前の姿に戻ることに意味があると思うのです。そのようにしてから、それらの争乱、苦悩、葛藤の生起していく過程を観じて、それから自由になることが出来るということです。 またその原初の世界にいながらして、現在の世界を観ていきます。そこから現在の世界を良い方向に導く観点も生まれてきます。
 
 第14章は上記のあとには次が続きます。

執古之道、以御今之有、能知古始。是謂道紀。
(古えの道を執りて、もって今の有を御す。能(よ)く古始(こし)を知る。これを道紀(どうき)と謂う。)

 「執古之道、以御今之有」というのは「始原に遡って観えてきたものをベースに今の時代を観てそれを本来の有るべき形にしていこう」という意志の表現でしょう。 更に「能知古始。是謂道紀。」 というのは始原にさかのぼることにいよって物事の始まり(古始)から今に至る姿が観えて来る、ということでそのような認識を備えたものを「道紀(道の体得者)」と呼ぶということです。


 次に老子の原初へ遡る思想を示すもう一つの章を示します。

第2章(前半抜粋)
  天下皆知美之爲美。斯惡已。皆知善之爲善。斯不善已。故有無相生、難易相成、長短相形、高下相傾、音聲相和、前後相隨。是以聖人、處無爲之事、行不言之教。
(天下みな美の美たるを知るも、これ悪のみ。みな善の善たるを知るも、これ不善のみ。故に有無相生じ、難と易相成り、長短相形(あらわ)れ、高下相傾き、音声相和し、前後相随)う。ここを以って聖人は、無為の事に処り、不言の教えを行なう。)

 ここで[天下皆知美之爲美から前後相隨]までは「美醜、善悪、有無、難易、長短、高下、音声、前後等が全て一方があって他方があるもので、元をたどるといづれもなく、そのいづれもないところから両者が生まれてきている」と言うことでしょう。

 そして是以聖人、處無爲之事、行不言之教というのは聖人はそのいずれもない始原のところ(無為)にいて、言葉では語れない教えを実践する。」と言うことでしょう。

 この2章では特に「善」という言葉に着目したいと思います。
 文章は「皆知善之爲善。斯不善已。」でこれをそのまま訳すと「皆が善を善とみなす、これこそ不善である」あるいは「社会的に善を善とすることが悪である」ということです。 これはいわば社会的な道徳をも否定するということで極めて反社会的な思想にも捉えられます。

6.始原への遡及 ②善悪の彼岸
 次に老子の始原へ遡る思想を示すもう一つの章を示します。

第2章(前半抜粋)
  天下皆知美之爲美。斯惡已。皆知善之爲善。斯不善已。故有無相生、難易相成、長短相形、高下相傾、音聲相和、前後相隨。
(天下みな美の美たるを知るも、これ悪のみ。みな善の善たるを知るも、これ不善のみ。故に有無相生じ、難と易相成り、長短相形(あらわ)れ、高下相傾き、音声相和し、前後相随う。)

 この文章を要約すると「美醜、善悪、有無、難易、長短、高下、音声、前後等が全て一方があって他方があるもので、元をたどるといづれもなく、そのいづれもないところから両者が生まれてきている」と言うことでしょう。
 特に「善」という言葉に着目したいと思います。
 文章は「皆知善之爲善。斯不善已。」でこれをそのまま訳すと「皆が善を善とみなす、これこそ不善である」あるいは「社会的に善を善とすることが悪である」ということです。 これはいわば社会的な道徳をも否定するということで極めて反社会的な思想にも捉えられます。
 実際老子の言葉は全編を通じて反社会的といえば言えないこともありません。
 当時の社会的な道徳あるいは衆人が「善」と捉えられていることをを否定するような言葉はいたるところにあります。
 
 例えば次の章があります。 
第18章(全文)
大道廢、有仁義。智惠出、有大僞。六親不和、有孝慈。國家昬亂、有忠臣。
(大道廃れて、仁義有り。智恵出でて、大偽有り。六親和せずして、孝慈有り。国家昏乱して、忠臣有り。)

これは仁義、智慧、孝慈、忠臣という当時尊ばれたであろう善を否定しているわけではないですが、それらは本来あるべき大道が失われた結果出てきたものとしています。

 更に次の章があります。
第58章(抜粋)
禍兮福之所倚、福兮禍之所伏。孰知其極。其無正。正復爲奇、善復爲訞。
(禍いは福の倚る所、福は禍いの伏す所。孰(た)れかその極を知らん。それ正なし。正は復た奇と為り、善は復た訞と為る。)

「禍兮福之所倚、福兮禍之所伏。孰知其極。」というのは「万事塞翁が馬」という故事でも多くの人に認識されている考え方です。 着目すべきは「其無正。正復爲奇、善復爲訞。」という言葉です。
これは「正義なるものは存在しない。正義と言われる行為もやがて奇怪な行為とみなされるようになる。善と言われる行為がやがて妖しい行為となる。」ということです。

このような文章からは老子の思想は「一般社会の価値観を認めない、あるいは否定している」とも言えます。
しかし、このような老子の言葉は老子が深く社会の事を想うが故に出て来た言葉であると、考えます。
世の中の移り変わりに想いを致すと、過去に社会的な正義とみなされた多くの行為が現在は誤った行為であると言われています。 特に近代の日本の歴史では第2次世界大戦に向ったことがあります。西欧諸国による植民地化政策もそれを推進した国家の中では正義とみなされていたでしょう。 科学技術による自然の支配も輝かしい行為とみなされていたのはつい先ごろまでですが、今や環境問題と自然枯渇をはじめとするその結果に厳しい批判の眼が向けられつつあります。
もし歴史を過去につぶさに辿るならば、かって如何に多くの正義が称揚され、やがて非難されてきたか、唖然とするのではないかと思います。

老子は多分、その生きた時代におけるあまたの国家による正義の主張を伴う戦争、その結果による荒廃をも観てきたでしょう。 「軍隊の留まるところにはイバラが生える、大きな戦争のあとには凶作の年がつづく」
(師之所處、荊棘生焉。大軍之後、必有凶年。 第30章抜粋)と言う言葉には老子の戦争に対する深い悲しみと静かながら強い憤りがあります。

老子が敢えて「皆が善を善とみなす、これこそ不善である」、「正義なるものは存在しない」と言い切った背景にはそのような老子の想いが込められていると思うのです。

老子の思想が反社会的な色調を帯びていることなどから、老子の世捨て人や仙人のようなイメージでとらえたり、あるいは虚無主義者のように見る向きもあるようですが、これは全く誤った老子像だと思います。
老子の思いは深く社会に向っております。 
老子の言葉を読み解くためには、その思想が常に人類、生命そして宇宙存在そのものへの敬愛がゆるぎなく根付いているところから湧出してくるのだ、と言うことを念頭に置くことが不可欠と思います。

そのような想いを持って上述の第2章、18章、58章を読むと、深い味わいがあると思います。
老子は善悪以前の世界に真の道があると言うのです。
「善悪以前の世界」、これは「善悪の彼岸」とも言えるかもしれません。
そして老子の訴えんとするのは「善悪の彼岸に人類救済の道がある」と言うことかも知れません。
だが、ここまで言うと何か宗教がかった表現になってしまって語弊がありそうです。

老子の訴えんとすることは宗教的思想でも神秘主義的な思想でもなく、実にシンプルな事、素朴な想いではないかと思います。「善悪の彼岸」と言っても別に大げさなものではなく、裸の眼で見ると見えてくる世界であるように思います。

人間が世の中に生を受けると、いろいろな知識や価値観を学びながら大人になっていきます。そのような知識や価値観はこの世の中で生きていくために必要なものであるのですが、一方それが邪魔をしてもっとも単純な真実が見えなくなってくるようです。
そこから人間の葛藤、争い、戦争も起こってきます。

老子の言う世界はそのような後天的な知識や価値観を一度全部はぎ取って裸になったら見える世界の事であると思うのです。 「大道」と言うのも特別な修行や修練を積んだ結果見えてくる神秘的な世界と言うより、もっともシンプルになった時に見えてくる世界のことだと思うのです。

7.閑話休題:養蚕の碑文
私の住んでる埼玉県小川町の飯田という集落の神社である飯田神社の境内に以前から興味をもって観ている「蠶桑の碑」(蠶は蚕:かいこの旧字)という碑文(下に写真)があります。
 この地域の養蚕の歴史を知るうえでも面白いのですが、この碑を作った当時の時代意識が直に伝わってくる所が一層私の関心を引き付けます。
 これは日本が第2次世界大戦に突入する前の昭和14年にこの地域の「飯田養蚕組合によって設立されたものです。ここに全文を紹介します。(読み切れないところがあり、適当に解釈した所もありますが大意は誤ってはいないと思います)

                  蠶桑之碑

明治四十二年笠原方宜氏等相謀り養蚕改良を企て、組合を創設し、指導者を招き従来の飼育法をかへ、組合共同桑園並びに繭圃を設けて益々改良する所ありしに、業績大小挙がり、著しき長足の進歩を見たれる模範とし、縣より表彰を受けること数回、金一封の下賜さえありた季、時恰も繭価十五円を称ふる好況なりしに組合の利得若干を運用し、肥料共同購入の普及を計りたり。然りと雖も時代の嵐有る毎に平調ならず、急転直下繭価二円内外に低落、不況打開のための画策これ努めるも功を見ず、已むなく桑園伐廃して麥園としたるも経済界の眠るが如く不況七年、神は吾人を見捨てず、支那事変勃発に次ぐ欧州戦乱の結果、俄然糸価千七百円に急騰、金融は復活を見る。茲に於いて蓄財を整理し、組合員に分ち銃後後援の資に充て、一先ず解散、新たに実行組合として更生、蚕業報国の実を挙げんとす。繭の増産は農家貨殖の基、延いては武運長久の礎、繭は飛行機を生み軍艦を産む。此の時糸価急騰せるは天の助か神乃恵か顛末を右に勒し、永遠の記念とす。
             昭和十四年秋  悟堂撰並書 

 この碑文からは当時の養蚕組合の人達(多分この地域の農家の大部分)が支那事変に続く欧州戦乱(欧州大戦の事?)で糸価が急騰し、それにより繭価も高騰したことを「神は吾人を見捨てず」あるいは「天の助けか、神の恵みか」として相当素直に喜んでいる様子が伝わってきます。
 支那事変は昭和12年に始まり、欧州大戦(ヨーロッパにおける第2次世界大戦)はこの碑文の作られた昭和14年に始まっています。
 この碑文の作られた2年後の1941年(昭和16年)の12月には真珠湾攻撃がなされ日本は太平洋戦争に突入していきます。 この小川町からも多くの人が徴兵されていきます。
 平成14年にこの碑文を作った人たちは自分たちにそのような未来が待ち受けていることを感じていたでしょうか。上記の碑文からはまだそのような戦争を対岸の火事とみなし、自分たちはそれをせいぜい背後から支える存在である、と言う意識が感じられます。
 一方「繭は飛行機を生み、軍艦を産む」と言う言葉の中にやがて来る大戦争の予兆は既に人々の心の中に刻み込まれつつあった、ということも見逃せないでしょう。
 
 岸の火事と思っていた戦争に自分達が引き込まれていく、私達や私たちの子孫にはそのような未来がないように祈りたいです。
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8.始原への遡及 ③赤子のこころ
 これまでも触れてきたように、老子の思想には有無以前の世界、善悪以前の世界に戻り、そこに居ながらまたこの世界を観ていく、と言うところがある、と思います。 この有無以前、善悪以前の世界を誰しもが体験しているのは赤子の時です。そこで老子は赤子の心を讃えることになります。

第55章(前半抜粋)
含徳之厚、比於赤子。蜂虿虺蛇不螫、 猛獣不拠、攫鳥不摶。骨弱筋柔、而握固。             
未知牝牡之合而峻作、精之至也。終日号而不嗄、和之至也。         

(徳を含むことの厚きは、赤子に比す。蜂虿虺蛇も螫さず、猛獣も拠らず、攫鳥も摶たず。骨弱く筋柔かにして、而も握ること固し。未だ牝牡の合を知らずして而も峻を作すは、精の至れるなり。終日号して嗄れざるは、和の至れるなり。)

第55章 (前半抜粋 訳)
徳の厚いのは赤子に例えられる。蜂、ムカデ、サソリ、蛇もささず、猛獣も襲わず、猛禽も飛びかからず、骨は弱く、筋は柔らかでいながら強く握ることが出来る。男女の交合も知らないのにおチンチンがたつのは精気がみちているからで、一日中号泣していても声が嗄れないのは和に徹しているからである。

次は赤子に関するもう一つの文です。

第10章 (一部抜粋)

專氣致柔、能孾兒乎。
(気を専にし柔を致し、能く嬰児ならんか。)

この文は第55章と同様に赤子(嬰児)の柔軟さを讃え、その嬰児のような柔らかさに至っていることを推奨しているものでしょう。

老子は81章の中の多くの文で剛強さよりも柔軟さを、そして智よりも無智を讃えているのですが、赤子の中にそれが具現された姿を観ていて、そのような姿に帰ることを推奨しているのです。

イエスキリストは「幼子のようでありなさい」というような意味のことを言っていたと思います。
老子は幼子を更に遡って赤子のようでありなさいと言っているようです。

9.理想の人間像 ①玄徳
老子は「含徳の厚きは赤子に比す」(第55章)として赤子の心を讃えます。また老子自らを「如嬰児之未孩」(嬰児のいまだ孩せざるがごとし:まだ笑うこともない赤子のようだ:第20章)と表現しています。
このような所から見ると、老子にとっての理想の人間像と言うのは「赤子のように素朴な人か」と推定されるのですが、全章を通して読むとそれほど単純でもないです。
次は第10章です。

第10章(全文)
載營魄抱一、能無離乎。專氣致柔、能孾兒乎。滌除玄覽、能無疵乎。愛民治國、能無知乎。天門開闔、能爲雌乎。明白四達、能無以爲乎。生之畜之、生而不有、爲而不恃、長而不宰。是謂玄徳。

(営魄に載り一を抱きて、能く離るること無からんか。気を専にし柔を致し、能く嬰児ならんか。玄覧を滌除(てきじょ)して、能く疵無からんか。民を愛し国を治めて、能く知無からんか。天門開闔(かいこう)して、能く雌たらんか。明白四達して、能く以って為すこと無からんか。これを生じこれを畜(やしな)う、生ずるも有せず、為して恃まず、長たるも宰せず。これを玄徳と謂う。)

第10章 訳
命の流れに乗り、道に従いそこから離れないでいるだろうか。 気を充実させて赤子のようにいられるだろうか。 見聞覚知してきたことに束縛されずに無傷な心でいられるだろうか。人々を愛し、国を安泰にしながら無知でいられようか。受け身になって外界に感覚を開放しているだろうか。あらゆることに通達していながら無為のままでいられるだろうか。 生み、育てながらなお、それを所有せず、なし遂げても、それに依存せず、長となっても統括しない。これを玄徳という。

この文章の中にはふたつの矛盾する言葉の対があります。ひとつは「明白四達」と「無知」、もひとつは「生之畜之」と「無為」です。
「明白四達」であれば「無知」出ないだろう、「生之畜之」であれば「無為」ではないだろう、ということです。    
私はむしろこの矛盾の中に老子の言わんとする真意が隠されていると思います。
智慧の木の実を食べてしまった大人の私たちは、もう赤子の心には戻れないのです。ですから言葉通りの意味で「無知」にはなれません。そして、生活して行かなければならないので「無為」ではいられないのです。
そんなことは老子も判りきっていて敢えて「無知」「無為」ということを言っているのです。

私は老子の「無知」というのは「明白四達しながら、その知見に全くとらわれない自由な心の持ち方」であると思います。また「無為」というのは「極めて創造的な活動をしながら、その活動の結果に執着しない心の持ち方」であると思います。そのように考えなければ、上記の矛盾する言葉を得心して受け入れることはできません。

老子の思想の中に特徴的である「無為」をことさらに取り上げて老子の思想は「消極道徳」である。また「無知」の推奨を見て「民はよらしむべし、知らしむべからず」といった愚民化思想を見る、といった観方が往々にしてなされているように思いますが、これは全くの誤りと思います。

老子の思想は実はその中に力強い積極性が秘められている。またあくなき知的探究心さえある、と思うのです。それを感じながら老子の言葉を読むことで初めて老子の活き活きとした考えが伝わってくるように思います。

「玄徳」のまとめ
「玄徳」というのは「知的探究をなしながら、自分の得た知識に拘泥しない」そして「創造的な活動をなしながら、成し遂げたことに執着しない」という心のあり方と、思います。

10. 理想の人間像 ②古の士
 老子は理想の人物像あり方を表現する時に主語のない場合も多いのですが、主語を使い場合は聖人ということばをよく使います。次の章だけは「古之善爲士者」という言葉を使っています。 「昔の善き男児たるもの」、というようなニュアンスでしょうか。  

第15章(全文)
古之善爲士者、微妙玄通、深不可識。夫唯不可識、故強爲之容。予兮若冬渉川、猶兮若畏四隣、儼兮其若客、渙兮若冰之將釋、敦兮其若樸、曠兮其若谷、混兮其若濁。孰能濁以靜之徐清。孰能安以動之徐生。保此道者、不欲盈。夫唯不盈、故能蔽而不新成。
(古の善く士たる者は、微妙玄通にして、深きこと識るべからず。それ唯だ識るべからず、故に強いて之が容を為す。予として冬川と渉るごとし、猶として四隣を畏れるがごとし、儼として其れ客のごとし、渙として冰の將に釋けるがごとし、敦として其れ樸のごとし、曠として其れ谷のごとし、混として其れ濁れるがごとし。孰れか能く濁りて以って之れを靜かにして徐ろに清からん。孰れか能く安んじて以って之れを動かして徐ろに生ぜん。此の道を保つ者は、盈たさんと欲せず。夫れ唯だ盈たず、故に能く蔽れて而も新たに成さず。

第15章(訳)
昔の善き男児は微妙なる道に通じ、底知れぬ奥深さをを湛えている。その奥底を知ることはできないので強いてその相貌を表現する。 慎重なのは冬のさなかに川を渉る時のようであり、ためらっているのは四方の隣人を畏れるようであり、厳粛なのは客に招かれたようであり、和らぐ様は氷が溶けるがようであり、純朴なのは原木のようであり、広大な様子は谷のようであり、混沌としているのは濁れる大河のようである。 
 誰がよく、濁ったままにして次第に清く澄ませるだろうか、誰がよく、安んじたまま、事物を動かして次第に創造活動をなし遂げるだろうか。
 この道を保つ者は完全であろうと欲しない。不完全なところでとどまる。 それ故古びるままにして新たに成し遂げようとしない。

この「古の善く士たる者」も漠然として掴みどころがないようです。このような人が現代の世の中にいても賞賛の対象にはならないでしょう。 宮沢賢治の詩の中の「木偶の棒と呼ばれ、ほめられもせず、苦にもされぬ」ような人」になるかも知れません。 しかし、このような人物がいることにより、周囲の揉め事が何となく収まっていき、また周りの人も生き生きとして来るかも知れないと思います。
 「孰れか能く濁りて以って之れを靜かにして徐ろに清からん。孰れか能く安んじて以って之れを動かして徐ろに生ぜん。」という表現は、そのような意味すなわち、「自らは何もしないように見えるが、その人がいるだけで周りの人の心も澄んできて、諍いごとも自然に解かれ、その人がいるだけで周りの人が生き生きとし、それぞれの本分を発揮していく」という意味も含んでいるように思えます。

11.非戦論 ①老子の平和思想
 人類に精神的な影響を非常に深く与えた昔の人物としては釈迦、ソクラテス、老子、孔子、キリストでしょうか。  いずれもコスモポリタズムといって良いかわかりませんが、国家間の戦争を是とする思想は説いていません。 老子はこの中でも戦争を忌避する考え方を明確にあらわしています。

第30章(前半抜粋)
以道佐人主者、不以兵強天下。其事好還。師之所處、荊棘生焉、大軍之後、必有凶年。
(道を以って人主を佐(たす)くる者は、兵を以って天下に強いず。その事は還るを好む。師の処る所は、荊棘生じ、大軍の後は、必ず凶年あり。

訳 道によって主君を補佐しようとするものは武力によって天下の強者となろうとしない。武力はそれを用いないでいることを良しとする。軍隊のとどまるところにはイバラが生える。大戦争の後には凶作の年がつづく。

第31章(前半抜粋)
  夫兵者不祥之器、物或惡之、故有道者不處。君子居則貴左、用兵則貴右。兵者不祥之器、非君子之器。
(夫れ兵は不祥の器、物或いはこれを悪(にく)む、故)に有道者)は処(お)らず。君子、居れば則(すなわ)ち左を貴(たっと)び、兵を用うれば則ち右を貴ぶ。兵は不祥の器にして、君子の器にあらず。)

訳 強力な兵器は不吉な道具である。 道を知るものはそれを厭う。君子は左を尊ぶが、兵器を使うときは右を尊ぶ。 兵器は不吉な道具であって、君子の道具ではない。 
 
第46章(全文) 

天下有道、却走馬以糞。天下無道、戎馬生於郊。禍莫大於不知足、咎莫大於欲得。故知足之足、常足。                     
(天下に道有れば、走馬を却けて以って糞(たづくり)す。 天下に道無なければ、戎馬、郊に生ず。禍(は足るを知らざるより大なるは莫く、咎は得んと欲するより大なるは莫し。 故に足るを知るの足るは、常に足る。)

訳:天下に道があれば、軍馬も田んぼで使われる。天下に道がなければ軍馬が戦争で郊外に引き出される。
 禍いは足るを知らないより大きなことはない、咎めは得ようと欲するより大なることはない。「足るを知る」という足る、というのは(物資の過不足にかかわらず)常に足る心をもつことである。

 これらの文章からは老子の平和への切なる願いが伝わってくるように思います。また「足るを知らざる」ことが戦争の原因である、という老子の考えも伝わってきます。
 
ところで現在の世界の状況はどうでしょうか。 世界中の多くの人の中に「足るを知る」という心が失われ、それが戦争への危険を増大している、というような危惧を抱くのは私だけでしょうか。

 以下では現在の世界における戦争への可能性とそれを回避するための道を老子の考えを照らしつつ探りたい、と思います。

 第2次大戦に於いて日本が降伏した1945年からすでに67年が経過し、その間世界大戦はなかったものの、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争等国家間、思想間の対立による戦争、民族紛争、宗教的な対立による紛争等が絶え間なく続いてきました。 
 日本について言えば戦争には未だ至っていないにしろ、北朝鮮との武力的な威嚇も伴う対立があり、最近では韓国、中国との領土問題をめぐる対立が嚴しくなってきているようです。
 このような対立がすぐに戦争に結びつくとは考えにくいのですが、やがてその対立がエスカレートして戦争に発展する可能性もないとは言えない状況です。

 私は戦争へ向かうときは次の意識が伴われている、という話をしてきました。

(1) 存在感への脅威の感覚
(2) 屈辱感からの開放を求める意識
(3) 共通の敵に対する敵愾心
(4) 国民全体を巻き込む共感
  
このような意識が2国間の間の両国民に顕著になってきた時には戦争に至る可能性が高まっていると見るべきでしょう。
 日本と韓国あるいは中国との間にはまだそこまでの意識はないと思いますが、一方でこのような意識を敢えて扇動しようとする動きもあるように思います。
 特に「共通の敵を創りだしす」というのはおそらく国家の指導者が国民を鼓舞し、団結させ、一つの方向に向けて行くために用いられてきた安易な方法です。
 国家の安定した存続が危うくなり、その指導者が批判の矢面に立たされているときには「共通の敵を外部に創りだしてそれに国民の注意を向けて、国家の統一を維持しよう」というのは指導者にとって退け難い誘惑になる可能性があります。 特に経済的困窮からくる不安、絶望感が社会に広がっている状況においては「共通の敵」を創りだそうとする指導者の扇動に國民の多くが乗せられて、戦争へと突き進んでいく可能性があります。

12.非戦論② 現在における戦争の可能性
 本論では現在の世界における戦争への可能性について考えます。
 第2次大戦に於いて日本が降伏した1945年からすでに67年が経過し、その間世界大戦はなかったものの、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争等国家間、思想間の対立による戦争、民族紛争、宗教的な対立による紛争等が絶え間なく続いてきました。 
 日本について言えば戦争には未だ至っていないにしろ、北朝鮮との武力的な威嚇も伴う対立があり、最近では韓国、中国との領土問題をめぐる対立が嚴しくなってきているようです。
 このような対立がすぐに戦争に結びつくとは考えにくいのですが、やがてその対立がエスカレートして戦争に発展する可能性もないとは言えない状況です。

 私は戦争へ向かうときは次の意識が伴われている、という話をしてきました。

(1) 存在感への脅威の感覚
(2) 屈辱感からの開放を求める意識
(3) 共通の敵に対する敵愾心
(4) 国民全体を巻き込む共感
  
このような意識が2国間の間の両国民に顕著になってきた時には戦争に至る可能性が高まっていると見るべきでしょう。
 日本と韓国あるいは中国との間にはまだそこまでの意識はないと思いますが、一方でこのような意識を敢えて扇動しようとする動きもあるように思います。
 特に「共通の敵を創りだしす」というのはおそらく国家の指導者が国民を鼓舞し、団結させ、一つの方向に向けて行くために用いられてきた安易な方法です。
 国家の安定した存続が危うくなり、その指導者が批判の矢面に立たされているときには「共通の敵を外部に創りだしてそれに国民の注意を向けて、国家の統一を維持しよう」というのは指導者にとって退け難い誘惑になる可能性があります。 特に経済的困窮からくる不安、絶望感が社会に広がっている状況においては「共通の敵」を創りだそうとする指導者の扇動に國民の多くが乗せられて、戦争へと突き進んでいく可能性があります。 しかし、国家全体が経済的な困窮に陥ってしまうと戦争して勝利する可能性もなくなり、従って戦争に至る可能性も少なくなります。 より戦争に向かいやすい状況というのは国家の中に経済的な困窮に陥っている人達が増えてきて社会全体として未来への不安が高まっている状態で、且つ国家としては戦争をするだけの経済的、軍事的な力を持っている状態です。このような状況は日本、韓国、中国、北朝鮮の何れでも起こりえます。 歴史が示す通り、経済は好況と不況の小さな波、大きな波があり、その大きな不況の波が訪れる時に最も大きな戦争への可能性が発生すると考えられるのです。 
 実際 第2次世界大戦の前には世界好況に継いで日本、ドイツ、イタリアなどの当時の同盟国は何れも経済的困難に直面しており、それが第一次大戦を引き起こした一つの原因になっていたことは否めないでしょう。 現在でも同じような経済的な局面が発生し、それが新たな戦争の引き金になると言う可能性は否定出来ないでしょう。
 ただし、第一次大戦の当時と現在では国際情勢に著しい変化があり、単なる経済的な問題が戦争の要因となる、という考え方も成り立たないと思います。 一つの大きな変化は国際間の人々の行き来が多くなり、海外での生活や旅行の経験者は著しく増えていることです。日本では第一次大戦に駆りだされた人々の中には外国人を観たことのない人も多く、米英鬼畜というような敵愾心を煽る言葉に駆り立てられたのですが、現在では誰もそのような言葉には載せられないでしょう。またグローバリズム化は国家間の経済的な障壁を取り除いてきており、国家というものの存在感を希薄にしつつあります。
 こういう状況から、経済的困難が戦争に直結するという危険性は第2次世界大戦以前に比すると相当少なくなっていると考えられます。
 しかし、長期的に観た場合にはエネルギー源の枯渇や地球温暖化による気候的、地理的変動の影響が全世界的に未来への不安、経済的な逼迫をもたらし、それが何かのきっかけに戦争に発展する可能性は否定できません。 

13.非戦論③ 足るを知る
 老子の道徳経81章の中では「足るを知る」という言葉が次の章に出てきます。

第33章(後半抜粋)
 知足者富、強行者有志。不失其所者久。死而不亡者壽。
(足るを知る者は富み、強(つと)めて行なう者は志有り。その所を失わざる者は久し。死して而も亡びざる者は壽(いのちなが)し。)

訳:足ることを知る者こそが富んでいるものであり、努めて行う者こそ志があると言える。自己の本分をわきまえてそれを見失わない者こそ久しく行動を続けられし、自己は死してもその魂が伝えられてゆく者こそ長い命の中に生きているものと言える。

第44章(全文)
名與身孰親。身與貨孰多。得與亡孰病。是故甚愛必大費。多藏必厚亡。知足不辱、知止不殆、可以長久。
(名と身と孰れか親しき、身と貨と孰れか多き。得ると亡うと孰れか病なる。この故に甚だ愛すれば必ず大いに費やし、多く蔵すれば必ず厚く亡う。足るを知れば辱しめられず、止(まるを知れば殆うからず。以って長久なるべし。

訳:名誉と身体はどちらが親しいものだろうか。 身体と財宝はどちらが大事なものだろうか。得ることと失うことはどちらが危ういことだろうか。それ故に極端に執着すれば、必ず多く費やす結果となり、多く蓄えれば、必ず多く失う。足るを知れば恥辱に合うことはない。とどまるところわきまえれば危うくない。長く久しく生きる。

第46章(全文) 
天下有道、却走馬以糞。天下無道、戎馬生於郊。禍莫大於不知足、咎莫大於欲得。故知足之足、常足。                     
(天下に道有れば、走馬を却けて以って糞(たづくり)す。 天下に道無なければ、戎馬、郊に生ず。禍(は足るを知らざるより大なるは莫く、咎は得んと欲するより大なるは莫し。 故に足るを知るの足るは、常に足る。)

訳:天下に道があれば、軍馬も田んぼで使われる。天下に道がなければ軍馬が戦争で郊外に引き出される。
 禍いは足るを知らないより大きなことはない、咎めは得ようと欲するより大なることはない。「足るを知る」という足る、というのは(物資の過不足にかかわらず)常に足る心をもつことである。

 これらの内第46章はこのブログの非戦論①に記したものの再掲ですが、特に「戦争の原因が足るを知らざることにある」という意味を含んでいるものです。
 この言葉が真理を語っているとすれば、「足るを知らざる限り戦争は起こる」ということになり、また「戦争を防ぐには人類全体が、あるいは少なくも大多数の人々が足るを知ること、が必要である」ということになります。そしてもしそうであるとすれば、戦争を防ぐためには自分を含めてですが人類の大多数の人が「足るを知る」ような思想を広めて行く必要がある、ということになります。
 しかし、現在の世界は経済的なグローバリズムが進行中です。 ほとんどの人々が世界経済全体の影響を受けて生活し、而もその経済的な環境の中で自らの生活を成り立たせていかなければならないのです。
 あるいはこのような状況のもとでは「足るを知る」という思想を持ったことによってこの経済的な環境に適応できなくなり貧窮に陥る可能性もないとは言えないでしょう。
 そこで次のことをもう少し突っ込んで考える必要があるように思います。
(1)老子いう「足るを知る」の意味は何なのか?
(2)「足るを知る」ことにより本当に戦争は無くせるか?
(3)「足るを知る」思想を世界に広めることは可能であろうか?
この問題に関しては稿を改めたいと思います。

14.非戦論④ 尖閣列島問題に思う
 最近日本による尖閣列島の国有化に端を発して、中国に於ける反日運動が盛んになり、一方それに対する日本国内での反発や論議が激しくなってきています。日本と韓国の間では竹島の問題もくすぶっています。
 
 ここで老子の次の章を顧みたいと思います。
第61章
大國者下流。天下之交、天下之牝。牝常以靜勝牡。以靜爲下。
(大国は下流なり。天下の交、天下の牝なり。牝は常に静を以って牡に勝つ。静を以って下ることを為せばなり。)

訳:大国は大河の下流のように、万物が流れ下り、交流する場である。世界の中で受動的な雌の立場にとどまる。雌は常に静かでありながら雄に勝つ。 静かにして下にいるからである。

 尖閣列島や竹島を巡る騒動が老子や孔子を生み出した中国とその教えを深く受けてきた日本や韓国との間で起こっていることは実に嘆かわしい話です。
 遠く日中韓の歴史を振り返ってみれば、途中で幾度かは戦乱があったもののほとんどの時代は平和に過ごしてたし、文化的交流も続いて来ています。 これは戦乱が絶え間無いようにあった西欧とは随分異なるし、日中韓が共に誇るべきことでしょう。 
 島の一つや二つを取り合って争うのはあたかも仲の良いはずの兄弟が目前のまんじゅうを取り合って騒ぐのに等しいことではないでしょうか。かっての君子国が小人国になってしまっているのではないか、と思うのです。
 相互にいろいろ理屈はありますが、それをお互いに言い立てているだけでは対立感情がヒステリックにエスカレートするだけで、解決には向かいそうもありません。
 私は敢えて提案したいのは「尖閣列島も竹島も各国による共同管理の場所とし、その活用方法については協議して決め、実行する。」ということです。 「これらの場所を争乱の場所とするのではなく逆に国家間の融和の場所として活用する」ということです。
 
 老子の「大国は下流」というのは、国家なるものは相互に下流になる、という謙譲の意識を持つのが良い、という意味を含んでいる、と思うのです。 尖閣列島や竹島を相互に譲りあい、共同で活用する中から、新たな世界の潮流を創りだしていけないでしょうか。
 日中韓の合流するこの東アジアが世界を近代から脱皮した新文明の発祥の地となるように望む次第です。

15.非戦論⑤ 足るを知るの意味
 「足るを知らざることから戦争が起こる」という老子の思想について話をしました。
 またその事に関連して、次を考えて見る必要がある、ということを話しました。

(1)老子いう「足るを知る」の意味は何なのか?
(2)「足るを知る」ことにより本当に戦争は無くせるか?
(3)「足るを知る」思想を世界に広めることは可能であろうか?

 ここではまず「足るを知る」とい言うことの意味を考えてみたいと思います。

 老子の言う「足るを知る]という言葉はよく考えてみると解釈の難しいところがあります。
 第46章の最後に「足るを知るの足るは常に足るなり」という言葉が有ります。
 この意味をとりあえず「足るを知るの足るということは物質的過不足に関わらず常に足るという気持ちを持つことである」と解釈してみましたが、この解釈にも無理がありそうです。
 例えば食料が不足して今にも死にそうな時にそれでも足るという気持ちを持つ、ということには納得がいきません。 また常に足るという気持ちであれば、何かを求めようとする気持ちにもならないでしょう。
 私はこの「足る」というのは「現状をそのまま受け容れる」ということではないかと思います。

 この「そのまま受け容れる」というのは人間に対する観方にも現れます。

 第49章(全文)
 聖人無常心、以百姓心爲心。善者吾善之、不善者吾亦善之、徳善。信者吾信之、不信者吾亦信之、徳信。聖人之在天下、歙歙爲天下渾其心焉。百姓皆注其耳目、聖人皆孩之。
(聖人は常の心無く、百姓(ひゃくせい)の心を以って心と為す。善なる者は吾れこれを善しとし、不善なる者も吾れまたこれを善しとす。徳善なればなり。信なる者は吾れこれを信とし、不信なる者も吾れまたこれを信とす。徳信なればなり。聖人の天下に在るや、歙歙として天下の為に其の心を渾(にご)す。百姓皆その耳目を注ぐも、聖人は、これを皆孩(がい)とす。

訳:聖人は一定の心を持っていない。 万民の心を心とする。善なるものはこれ善とし、不善なるものもこれを善とする。 その徳が善であるためである。信なるものはこれ信とし、不信なるものもこれを信とする。 その徳が信であるためである。聖人は天下にあって天下の為にその心を濁す。万民は其の耳目を注ぐが、皆を赤子のような心にしてしまう。

 ここには善なるものも不善なるものも、信なるものも不信なるものも同じく受け入れるという、底なしの抱擁力が表されています。 これは「足るを知るの足るは常に足る」と言う底なしの受容力と相通じるものです。
 
 総じて老子の思想には人間に対しても現状に対しても「そのまま受け入れる」という心が流れています。
 しかし、この「そのまま受け入れる」と言うことは「だから行動をしない」と言うことではないでしょう。
 「腹がへっていても、その状況を容認し、食べない」ということではなく「腹がへっている状況を容認し、食べる」と言うことです。

 「それなら我々普通の人間と同じでないか」と思われるでしょう。実際老子のような考え方をもったとしても、その行動が特別に常人と異なるようには見えないかも知れません。

 しかし、我々にあって老子の中に見出せないの「不安と疑念」です。
 私を含めて多くの人には常にどこかに不安と疑念が漂っています。その不安と疑念の原因は個人により、また時によりいろいろでしょうが、根本にあるのは「存在していることそのものへの不安」で、それがいろいろな形を取った不安、疑念として表れて来ます。
 老子の「常に足る」と言うのは「現状をそのまま受け入れる」ということだ、と言いましたが、より詳しくは「不安や疑念を伴わずにそのまま受け入れる」と言うことになります。

 では老子はどうしてそのような心の持ち方が出来るのでしょうか。
 それは老子の宇宙観から来るものと思います。老子の思想の中にはこの宇宙に対する限りなき信頼感があります。 「母にやしなわるるを尊ぶ」と言う言葉が第20章に出て来ますが、この母と言うのはこの私たちを生み出した大自然(宇宙)です。
 老子の「足るを知る」という言葉の背景にはこのような宇宙に対する絶対的な信頼感があります。
 「不安や疑念を伴わずに」ということは言い換えれば「宇宙に対して限りなき信頼感を持って」ということです。 

以上より老子の「足るを知る」の意味は「宇宙に対する限りなき信頼感を持って現状をそのまま受け容れる」という意味と解釈します。

16.非戦論⑥ 足るを知ることで戦争は無くなるか
 老子の「足るを知る」の意味は「宇宙に対する限りない信頼感を持って現状をそのまま受け入れる」ということである、という話をしました。
 ではもしそのような思想が全世界に広まったとしたら戦争はなくなるのでしょうか。もちろんその前にそのような思想を全世界に広げることが出来るだろうか、という問題がありますが、この問題については後で検討することにし、ここでは仮にそのような思想が広まったとしたら戦争がなくなるか、ということについて考えてみます。
 
 「人類の歴史は戦争の歴史である」と言われることがあるように、人類の歴史ではいつの時代にも戦争があったようです。そのことから見ても近い将来に戦争が全くなくなるということは考えにくいのです。私もこの50年位の間に戦争が全くない時代が到来するとは思えません。 その頻度は減少していったにしろ、世界のどこかで紛争、あるいは小さな規模の戦争のような状態が発生するのを防ぐのは難しいと思います。しかし、やはりどうしても防がなければならないというのは、近代以降に発生した非常に大勢の国民を巻き込んでいく国家間の戦争です。 以下では「戦争が防げるか」という意味を「近代の過去に発生したようなに大きな国家間の戦争を防げるか」と解釈した上で話しを進めます。
 
 私はそのような意味において「戦争は防げる」と考えています。そのひとつの根拠は東アジアの歴史です。 日本、中国、朝鮮、台湾を含む東アジアの近代以前の長い歴史を振り返って見ましょう。
 この地域においては歴史的な尺度からは極く短い期間に置いて国家間の戦争はあったのですが、数千年の間、ほとんどの時代において国家間での平和な関係が続いてきています。
 このような平和な状態が世界全体において末永く継続することは可能であろう、と考えています。

 東アジアにおいて戦争が起こったのは西欧の列強(当時)の東アジアへの進出が産業革命を背景に活発化してきてからのことです。 残念ながら日本がその戦争を引き起こした台風の目になったのは歴史的な事実ではあると思います。その日本の歴史には日本人として反省すべき数々の問題があると思います。しかし、一方においてその日本の戦争への傾斜を惹起した背景には西欧列強によるアジアの植民地化があり、それが当時の日本人をして、戦争行為を正当化させた理由のひとつになっていたのもまた歴史的な事実でありましょう。 
産業革命と科学技術の発達は人類に過去になかった物質的な豊かさをもたらしたでしょうが、一方において人類に「自然は支配出来るものである」という傲慢な錯覚を与え、それが人類に限りない支配欲を植え付け、その支配欲は自然に対するばかりでなく、人類そのものに向けられていった、というところに近代の戦争の底辺に横たわる心理的な構造があるように思います。
 近代以前に人々が普通に持っていた自然に対する畏敬の念が失われ、それが人間に対する畏敬の念も薄めてしまい、安易に多くの人を殺傷する近代の戦争を導いたのでないか、と思うのです。

老子の「足るを知る」の思想はこの宇宙、この大自然に対する限りなき信頼と畏敬から来るものであり、それがまた全人類、全生命への信頼と畏敬に繫がっています。
 そのような思想は本来特別なものでなく、素直になれば誰の心にも存在するものです。この心を取り戻しさえすれば、近代において過去に起こってしまったような悲惨な戦争は起こるはずはない、と思います。
 
17.非戦論⑦「足るを知る」思想は世界に広められるか
 老子の言う「足るを知る」思想が世界に広まれば、近代において過去に起こったような悲惨な戦争はなくせるであろう、という話をしました。
 ではその「足るを知る」思想が世界に広めることが可能であろうか、ということについて話してみたいと思います。
私の推論を先に言うと、「足るを知る」という思想を世界に広めることは出来るであろう、と言うか、それを意図的に広めようとしなくても広まるであろうということです。

 そのように推論する理由は次の2点です。
(1)人類の歴史の中で現代は拡大志向から循環志向への分岐点にあり、それが必然的に「足るを知る」方向へ人類を導いていく。
(2)現在の人々の考え方、感じ方の中に「足るを知る」という方向への確かな芽吹きが感じられる。

 まず上記(1)について説明します。
 私は人類の歴史を拡大志向の時代と循環志向の時代が交互に訪れる、と捉える観方を持っております。
 拡大志向への傾斜は人類の3回の産業革命の結果起こっていると考えます。
 その3回の産業革命というのは道具の発明、農業の発明そして(化石燃料をエネルギー源とする)動力機関の発明です。現在の我々が普通に産業革命というのは最後の動力機関の発明ですが、道具の発明と農業の発明というのも人類の生存範囲と人口を増大させ、また生活形態に画期的な変化をもたらしたものであり、その意味でこれも産業革命と呼ぶことにします。
 これらのいづれの産業革命においてもその発明は次第に人類のほぼ全体に波及し、更に人類の生存範囲を広げ、また単位面積に生存し得る人類の数を増大させます。 このように産業革命が波及していく過程においては人類の考え方も拡大を目指す方向に傾斜します。このような時代を拡大志向の時代と呼ぶことにします。ところで拡大志向の時代というのはいつまでもつづくわけでなく、やがて拡大の限界状況が現れます。それは地球が有限であること、そしてその産業革命は自然界の与える制約条件の中でなされるものであるからです。
 道具の発明は人類の狩猟の能力を飛躍的に増大させたのですが、狩猟される対象である獣の数は自然界の産みの力を超えることはないのです。 従って道具の発明という産業革命は自然界の産みの力という制約条件の元で限界に到達します。
 農業の発明は人類に自然界も産みの力という限界から人類を解き放ちますが、これも耕作可能な土地面積の有限性という制約を受けます。
 動力機関の発明がもたらした産業革命はその波及がまだ進行中ですが、化石燃料の有限性と地球温暖化など環境負荷の限界という制約を受けていて、すでにそれによる発展の限界にさしかかってきています。
 このように人類の過去における道具、農業、の発明がもたらした産業革命は限界状況に到達し、また現在進行形である動力機関の発明がもたらした産業革命も限界状況に到達しつつあります。
 このように産業革命が限界状況に到達すると人類の考え方の指向性は拡大志向より循環志向に転じていきます、と言うより転じざるを得なくなります。
実際の歴史をたどると産業革命が限界状況に達しても、人類の考え方が直ちに拡大志向から循環志向へ転じるものではなく、しばらくは拡大志向が継続します。
 さて限界状況に到達しても拡大志向が継続するとどうなるでしょうか? そこでは限られた自然界の制約条件を人間どうしが奪い合う状況が生まれます。それが発展すれば大集団どうしの奪い合いである戦争に発展します。
 農業の発明から出発した産業革命による拡大志向は主に耕作地の拡大という方向に向けられ、それはやがて古代文明の形成に向けられます。 世界では拡大志向のもとに4大文明の発祥と更に古代帝国の形成がなされます。 日本では弥生時代より平安時代に至るまでが拡大志向の時代と言えるでしょう。
 やがてそれらの文明が進めてきた耕作地の拡大は限界状況に達します。そこから世界では古代国家間の戦争や内戦の時代が出て来ます。日本では平安末期より戦国時代へのと続いていきます。
 これらの戦争や内乱は人々が過去から続いてきた拡大志向をやめない限り継続します。
 やがて戦争や内乱の末に生まれてくるのは循環志向の時代です。世界史では中世と言われる時代です。日本では循環志向による国家を創設しようとしたのは頼朝だと思いますがそれを完成させたのは徳川幕府でしょう。 ヨーロッパにおいてはキリスト教が拡大志向から循環志向への転向を導いた起点となったように思います。 ヨーロッパで中世と言う時代が始まるのは西ローマ帝国の滅亡(476年)からと言われますが、古代からの西ローマ帝国の滅亡は拡大志向の終焉を象徴することかも知れません。
 さて近代の拡大志向はイギリスにおける蒸気機関の発明を起点にするといえるでしょう。その拡大志向の萌芽はルネッサンスにあると考えられます。 と言うのはルネッサンスはキリスト教の導いた循環思想に束縛された精神を開放して、拡大志向を許容する精神的土壌を形成した、と考えられるからです。
蒸気機関の発明が齎した変化というのはそれまで人力が為していた仕事(自然界の変容)を動力に置き換えたことで、それにより人力の有限性という限界状況はなくなりました。産業革命当初の考えではそれにより人類の物質的な生産力は限界がなくなったように見えたでしょう。 今日に至ってエネルギー資源の有限性と地球温暖化等の環境負荷による自然の制約条件がほとんどの人にとって顕わなものとして現れてきています。 動力の発明による産業革命が限界状況に到達しつつある、と言うことです。
 話が大分長くなってきたのでこの辺で稿を改めます。

18.非戦論⑧「足るを知る思想が世界に広がるであろう」とする理由
 老子の「足るを知る」思想は広められる、と言うより広まるであろう、と言う話をしました。
 そしてその理由の一つとして現在が動力機関の発明が引き起こした産業革命の限界状況に到達しつつあり、拡大志向から循環志向への転換点にある、と言う考え方を話しました。
 しかしここで考えなければならない問題があります。
 それは人類の歴史において農業の発明が引き起こした産業革命が限界状況に達した後には、土地の争奪戦という形での戦争が頻発した、と言うことから、動力機関の発明が引き起こした近代の産業革命もエネルギー資源やその他の資源を巡る争奪戦と言う形での戦争を引き起こしていくのでないか、という恐れです。
 確かに近代で過去に起こった2回の世界大戦はその中に資源の争奪戦という要素も含んでいた、と考えられます。
 そして現在世界はますます資源を大量に消費する、と言う状況に向かっているようです。このままいけばそれを奪い合う戦争があちこちで勃発しても不思議ではなく、悪くすれば第3次世界大戦ということもあり得ない話ではないと、考えられます。

 しかし、現在には過去の世界大戦の起こった時代にはなかった次の3つの状況があります。
(1)グローバリズムと交通機関の発達により、ビジネスおよび私的な面での国際的な交流が進んでいて、それは民間レベルでの相互理解を深めさせている。
(2)地球温暖化等の人類全体が共同して立ち向かわなければ解決できない環境問題に直面している。
(3)教育の普及、マスコミニュケーションシステムの発達、インターネット等による情報の共有化の進展により現代と言う時代が直面している限界状況(エネルギー資源の枯渇、地球温暖化等の環境問題)に関しても人類全体での共通認識が進みつつある。

 これらの状況はいずれも世界大戦の抑止力として、大きな意味を持っている、と思います。
 特に上記(2)の地球全体が直面している環境問題は、現在が人類にとって大戦争などをしている余裕はなく、一緒に力を合わせねばならない時期であることを明確に示唆しています。 また上記(3)の状況〈情報の共有化)が、それを人類の共通認識としつつあり、また上記(1)の状況〈民間レベルでの相互理解)がそのような問題に向かって相互に協力しあえる心情的な基礎を作ってきています。

 確かに世界全体の方向はまだ拡大志向が主流でしょうが、「このままの方向では破滅に向う恐れがある」という危機感は多くの人びとの顕在意識と潜在意識に根付いて来ていて、それがやがて大きく時代を転換していくと考えられるのです。 
 破滅を回避するためにまず必要なのは「足るを知る」と言う思想です。
 このこともやがて人類全体に理解され、それが世界大戦を回避させ、また人類全体が協力して新たな時代創造していく方向に導いていくと考えます。

19.「足るを知る」について補足
 世界平和のための老子という表題で老子の思想について自分なりの観方を語って来ました。
 そして、老子の「足るを知る」という思想が世界に広まり、それが世界大戦を未然に防ぎ、更に持続可能な世界を目指す新たな時代への活路を切り開いていくであろう、という趣旨の考えを示しました。
 このような考え方には多分いろいろな反論も出されると思います。

 特に「足るを知る」という考え方自体が、近代の思想からするといかにも消極的で、そのような考え方でこの時代が乗り越えられかということ、それに本当にそんな考え方が今の時代に広がるのであろうか、という疑問が出されるでしょう。

 この疑問に対する答えになるかは判りませんが、「足るを知る」という思想についてもう少し補足したいと、思います。
 この老子に関するシリーズの中で老子の思想の根底には「自己存在、人類、あらゆる生命、あらゆる無生命が母なる宇宙始原、母なる大自然と一体であり、母なる大自然にはぐくまれ、絶対的に守られている」というインスピレーションが存在する、という話をしました。
 老子の「足るを知る」という思想は根底にこのようなインスピレーションがあってこそのものです。

 まずこのことに思いを致さない限り、老子の「足るを知る」思想は理解し難いものとなるし、あるいは「やせ我慢をしろ」という思想と同一視されるでしょう。

 思うに近代に最も枯渇しているものがあるとすれば、それはエネルギー資源でもレアーアースでもなく、まさに上記のインスピレーションです。
 
 残念なことにこのインスピレーションは私にも不足していると感じています。
 常に何らかの欠乏感に悩まされてるいます。

 しかしそれでも自らの内に「自らもまた母なる宇宙始原、母なる大自然と一体に違いない」と言う信念が確かに芽吹いているのを感じます。 そしてこの信念は私だけでなく、多くの人に芽吹きつつあると思うのです。

このことが私が「足るを知る」思想がやがて全世界に広がり、世界大戦は防がれ、人類が共同して現在のそして来るべき共通の困難に立ち向かっていくであろう、という楽観論を強く主張する最たる所以です。

20.小国寡民
 この辺で老子の話しをお終いにしようと思って、いたのですが、老子の「小國寡民」という思想については一つ話しておきたいと思います。

 第80章(全文)
 小國寡民。使有什伯之器而不用、使民重死而不遠徙、雖有舟輿、無所乗之、雖有甲兵、無所陳之。使人復結繩而用之、甘其食、美其服、安其居、樂其俗、鄰國相望、雞犬之聲相聞、民至老死、不相往來。

書き下し文
小国寡民。什伯の器有るも而も用いざらしめ、民をして死を重んじて而して遠く徙らざらしめば、舟輿有りと雖も、これに乗る所無く、甲兵有りと雖も、これを陳ぬる所無なからん。人をして復た縄を結びて而してこれを用いしめ、その食を甘しとし、その服を美とし、その居に安んじ、その俗を楽しましめば、隣国相い望み、雞犬の声相い聞こゆるも、民は老死に至るまで、相い往来せざらん。

翻訳:国は小さくて民は少い。様々な道具があるが、用いないようにし、人々が身体を大切にし、遠方に移って行かないようにする。 船や車があっても乗るわけでなく、武器があっても並べることはない。人はまた縄を結んで用い、その食を美味とし、その衣装を美麗とし、その居住するところに安んじていて、その風俗を楽しま、隣国同士が見えていて、鶏や犬の声が聞こえていても、老いて死ぬまで行き来することがない。

 これは観方によっては人間の文明を否定するような思想です。
しかし、この表現によって老子が主張したかったことの一つは循環志向ということ、そして地方分権という方向性でないかと思うのです。
老子が生きていた時代は農耕の発達により、多くの国家が現れ、覇を競っていた時代だと考えられます。
いずれも強大な国家(大国)をめざしていたでしょうが、老子はそれに対して「小国寡民」ということばでアンチテーゼを唱えているのです。 このことは当時の拡大志向型が主流の時代に在って、循環志向への道を示したものとも言えるでしょう。
 それにしても船や車を用いず、隣国と行き来することもない、とは相当極端な言い方です。
 これをまともに解釈したら原始時代に復帰しなさいと、言うようなものです。
 しかし私は、これは循環志向への主旨を強調するために敢えてした表現であると思います。
 この文章には「船や車があっても用いない」とあります。船や車があるという社会は既に原始時代ではなく文明化されている社会です。それでも敢えて用いないというのはそれら文明の利器に依存しない生き方を強調しているのだと思います。

 近代文明はこれまで拡大志向であったのですが、これからは持続可能性の追求、すなわち循環志向に転じていくことが必要です。 ところで私自身は近代文明が循環志向に転じていくためには科学技術は必要と考えております。これまで拡大志向的な方向で進んできた科学技術の利用を循環志向的な方向の利用に変えていく、というのが持論です。  したがって私の未来社会の像は老子の小国寡民ではなく、科学技術を高度に発達させ、必要に応じてそれを自在に用いることも出来る社会です。 
 
 しかし、老子の文明に依存しないという、循環志向はたとえ文明が高度に発達した段階でも必要な精神と思います。 また小国寡民という表現の中に含まれる地方分権的な発想は注目すべきと考えています。

循環志向の目的は持続可能な社会を構築です。そのための科学技術は必要です。しかし、持続可能な社会の構築は科学技術の発達のみで達成されるものではなく、同時に物質文明に依存せずに生きていいける肉体と精神の力を養うことも不可欠です。  如何に精巧に構築された物質文明であっても弱点を持ち、それにより訪れる危機から救うのがが精神力と肉体の力であるためです。
 またグローバリズムの進行する一方で地域社会の絆を深め、様々な危機に望んで相互に助け合える精神(昔は普通にあって、現在希薄になっている精神)も不可欠です。
 老子の「小国寡民」はそのような世界への想いを暗示するものと思います。

21.おわりに
 老子の「無為自然」、孔子の「思い邪なし」、孔子の「意なく、必なく、固なく、我なし」、釈迦の「諸法無我」、キリストの「明日を思い煩うなかれ」。 これらの言葉の根底に共通にあるのは「存在に対する限りなき信頼感」であると思います。 この信頼感の対象を敢えて言えば「母なる大自然」であったり「道」であったり、「神」であったり、「法」であったりするでしょうが、それが何であろうと「限りなき信頼感」が真の安心をあたえ、人と人の間に心底からの繫がりをつくり、光に満ちた世界をつくっていくと思います。
 自らを顧みると、その限りなき信頼感に至るには程遠い状態にあると感じます。
 そして現在の世界を観ても、多くの人々が不信感、不安、恐怖の内に呻吟しているように思います。

 それでも私にとってまた世界にとって進むべき方向はそのような大いなる信頼感の回復である、と思います。
 それこそが人と人の絆を深めさせ、人と自然との繫がりも豊かなものとし、世界を平和に導くものと思います。

 老子についていろいろ語って来ましたが、老子から最も学ぶべきことはこの大自然、大宇宙への限りなき信頼感である、と思うのです。

 老子についての話はひとまずお終いにしますが、私自身がこの老子の「大道」に一歩ずつでも近づいていきたいと願っている次第です。

by masaaki.nagakura | 2017-09-28 15:16 | 世界平和のための老子
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