イタリア紀行(10)まとめ
長らくこのブログの更新をしていません。これには理由があって、「ボローニャ旅日記」と言うのを旅の仲間(総勢8人)の意見を反映しつつまとめていたためです。ようやく形が出来てきました。ためし製本をして1昨日(10月23日)旅の仲間に郵送しました。そして最終意見を反映したものを完成版として、製本し、またインターネットで公開の予定です。 イタリア紀行に関するブログはこれでお終いにします。続きに御関心ある方は是非後日公開予定の「ボローニャ旅日記」をご覧ください。それは私だけでなく、参加者一同の意見や感想がは反映されたもので、きっと面白く読んでいただけると思います。

ここではその[ボローニャ旅日記」の中の私の感想だけを記載します。

6. 世界史を見せてくれたボローニャ
埼玉県小川町在住 長倉正昭

赤井芳昭さんは本書の感想文で「屋根」と言う映画について「老警官の眼差し」が心の奥にずっと残っていると書かれている。私はこの映画は見ていないが「鉄道員」(Ferroviere)と「ニューシネマパラダイス」とかのイタリア映画には強い感銘を受けた。これらの映画に共通して漂っているのは「庶民の生活の匂い」と「暖かい血の通う人間味」ではないか、と思う。
このような映画を通じてだろう、イタリアには米国や他のヨーロッパの国以上に親近感を覚えていた。
短い期間ではあったけれども、イタリアを旅してみてその感覚は間違っていなかった、と再確認できたように思う。
特に案内役のベルトッチさん、ジャンカルロスさん、運転手のマッシモさんはとても率直に且つ親しく対応していただいて有難かった。
近頃は日本ではほとんど見られなくなった物乞いの姿も私にはノスタルジックな印象を引き起こした。多分古代ローマにはこのような物乞い達も居て、それが現在にも繋がっているという事だ、というようにも思えた。
イタリアが面白いのはそのような「庶民の生活の匂い」が漂う一方において、それが古代ローマ帝国を建設し、ルネッサンスの先駆けとなり、華麗な芸術を生み出し、更にカトリックの教皇が住まわれる国である、という事。
この絶妙なコントラストがイタリアの魅力ではないのだろうか。

今回の旅先はボローニャとフィレンツェという限られた都市だけだったけれど古代から今に至るまでの歴史的な遺産は十分に豊富だ。
時を超えて、古代も中世もルネッサンスも近代もそのまま現在という時間の中に共存しているという感じである。
今回の旅でヨーロッパの歴史、否世界史と言うものが、生き生きとした実感をもって立体的に且つ、親しげに見えてきた、という気がする。

私は近代と言う時代は既に終焉に差し掛かっていると感じている。顕著ではないがあちこちで新たな時代に向けての胎動が始まっているのではないだろうか。職人組合CNA、有機農場COPAPS等はその胎動の始まりかも知れない。
イタリアには今後も新たな時代へのチャレンジを継続することを期待するが、私達日本人も良き未来を創造すべく大いに知恵を出していきたい。
私自身もそのために何を出来るのか、模索中である。

最後に私達にこのような旅の機会を与えてくれた富士国際旅行社の方々、親しく案内をしてくれたベルトッチさん、ジャンカルロスさん、素敵な場所に私たちを運んでくれたマッシモさんに感謝の意を表します。

(補足説明:ヨーロッパの歴史を観ると、ローマ帝国、キリスト教、ルネッサンスと言うのはいずれも時代の大きな節目を作ってきた。
イギリスの歴史学者でトインビーと言う人が「歴史の研究」という書を残していて私はそれを若いころに読んで大変感銘を受けた。
以下は私の記憶からであるが、その書によるとある文明が崩壊していく過程では内的プロレタリア―トと外的プロレタリアートが出現し、それがその文明と対抗する勢力になるという事。
古代ローマ帝国の内的プロレタリアートはキリスト教であり、外的プロレタリアートはゲルマン民族等の蛮族戦闘団体であった、と言う。やがて古代ローマ帝国の内的プロレタリア―トであるキリスト教がヨーロッパを席巻し、古代は終焉し中世と言う時代になる。また時代が過ぎてキリスト教中心の中世に対抗するルネッサンスという活動が現れる。そしてこのルネッサンスと言う活動から近代が生まれる。そしてその近代が私たちの生きている今に繋がっている。
このようにイタリアと言う国は古代、中世、近代そして私達の生きる今に至るまでの変革を齎したローマ帝国、キリスト教、ルネッサンスのいずれにおいてもその渦の中心となってきたという事は驚異的なことではないだろうか。)
by masaaki.nagakura | 2013-11-25 19:58 | イタリア紀行
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