「人間が自然を支配しているのでなく、人間は自然に属し、本来自然と一つのものである」という感覚はおそらく誰の心にも潜む原初的な感覚であると考えます。
この感覚は老子の思想の中に色濃く現れているものですが、特のその自然を母性的なものと感覚しているところに着目したいです。 老子にとって自然は「母なる自然」であり、一切の生命と無生命を生みつつしかもそのすべてを包み込んでいるものです。 老子の言葉にはこの感覚が強く表されているところがあります。 まず第25章の次の言葉です。 第25章抜粋 有物混成、先天地生。寂兮寞兮、獨立不改、周行而不殆。可以爲天下母。 [物あり混成す、天地に先立って生じる。寂たり寞たり、獨立して改ためず、周行して殆うからず。 以って天下の母と爲すべし。] この「有物混成より周行而不殆」までは宇宙誕生時の原初的な状態をあらわすような言葉です。 「物あり混成す、天地に先立って生じる」というところで 「天地」と言うのは今の言葉では地球と言うことです。そして地球の誕生に先立ってあったという「物あり混成す」という状態を「寂たり寞たり、獨立して改ためず、周行して殆うからず」と形容します。 これはまさに「BIG BANG」後の宇宙の混沌たる状態をリアルにイメージングさせる表現です。 老子のこの宇宙の始原に寄せるイメージはは奇しくも現代科学のたどりついた宇宙始原のイメージと一致すると思うのは私だけではないと思います。 最も注意すべきなのはこの宇宙誕生の状態を「可以爲天下母」として締めくくったことです。 すなわちその宇宙始原の姿を「天下の母」と観たということです。 そして更に老子の「道」と言うのはこの「母」の顕現であるということが明示されます。 第25章は上記から次のように続きます。 吾不知其名。字之曰道。 [吾その名を知らず。これに字(あざな)して道という。] 宇宙の始原そのものである「天下の母」は名の生まれる以前の存在なので名の知るすべはない、というのが「吾その名を知らず」の意味でしょう。 だから老子自身がその「母」に仮に字(あざな)して「「道」とした、と言うことです。 老子の思想は「Taoism」と言われ、「道」の思想が中心にある、と考えられまた、その「道」の思想の中心は「無為自然」である、と言われるのですが、更に根っこのところに、「宇宙の始原を母とし、万物はそこから生まれ、その母と一体である」と言うインスピレーションが強く潜在していることに着目したいものです。 なお、この25章のみからは「宇宙の始原である母との一体感」は必ずしも明確ではないのですが、第20章に次の言葉があります。 第20章抜粋 衆人皆有以。而我獨頑似鄙。我獨異於人、而貴食母。 [衆人はみな以うるところあり。而うしてわれはひとり頑にして鄙に似る。われはひとり人に異なりて、母に食(やしな)わるるを貴ぶ。 ] この言葉は「宇宙の始原であり、大自然である母の懐に抱かれて生きていることが尊いのだ」と言う老子の確信を表したものと思います。自らを卑下したような表現の中に大自然との一体感を失った世人に対する強烈な批判があることも読み取るべきでしょう。 まとめ: 老子の思想は「無為自然」とよく言われますが、その「無為自然」を是とする背景には「自己存在、人類、あらゆる生命、あらゆる無生命が母なる宇宙始原、母なる大自然と一体であり、母なる大自然にはぐくまれ、絶対的に守られている」とするインスピレーションが深く存在すると思うのです。 「母なる大自然に絶対的に守らrている」からこそ「無為自然」で良いのです。 もし、このインスピレーションに想い至らせずに老子の「無為自然」を評価すると、「社会的に無責任な思想」と言うことになるでしょう。あるいは「虚無主義」とも評価されます。 この「無責任論」とか「虚無主義」とかいう観方は老子の熱いインスピレーションに想いいたらないところからでてくるものように思います。 「無為自然」と言うのは老子の伝えたいことの本質ではなく、むしろ敢えて「無為自然」を強調することの中でこの母なる宇宙、大自然との一体感への回復を促そうとしたのではないか、と思うのです。 老子のひたすら伝えたいのは、壮大なるこの宇宙のリズムであり、大いなる恵みであり、それこそが最も耳を傾け、目を見張り、感覚すべきことである、と言うこと、そしてそこに立ち返ることによってはじめて世界平和が実現する、ということではなかったでしょうか。 参考:老子の中の「母」と言う言葉 老子の全82章の中には「母」と言う言葉が出て来る章が上記の他三つの章、1章、52章、59章があります。いずれも母と言う言葉に肉親の母親と言うより、宇宙的な次元での母という意味を持たせています。 特に第1章と第52章は「母」と言う言葉の中に上述の第25章と同様に始原的な創造者の意味を込め、また第52章と第59章はその「母」を知り、尊んでいくことで久しい安寧が得られることを示すものと思います。 これらの章及び上述の第20章と第25章より老子のいう「母」は「宇宙の始原であり、万物を育み、守るものである」というイマジネーションをもって捉えられます。 第1章抜粋 道可道、非常道。名可名、非常名。無名天地之始、有名萬物之母。 [道の道とすべきは、常の道にあらず。名の名とすべきは、常の名にあらず。無は天地の始に名づけ、有は万物の母に名づく。] 第52章抜粋 天下有始、以爲天下母。既知其母、復知其子、既知其子、復守其母、没身不殆。 [天下に始め有り、以て天下の母と為す。既に其の母を知り、また其の子を知り、既に其の子を知りて、また其の母を守れば、身を没するまで殆うからず。] 第59章全文 治人事天、莫若嗇。夫唯嗇、是謂早服。早服謂之重積徳。重積徳、則無不克。無不克、則莫知其極。莫知其極、可以有國。有國之母、可以長久。是謂深根、固柢、長生、久視之道。 [人を治め天に事うるは、嗇(しょく:農夫)にしくはなし。それただ嗇、これを早服(そうふく)と謂う。早服これを重積徳と謂う。重積徳なれば、すなわち克たざるなし。克たざるなければ、すなわちその極(きょく)を知るなし。その極を知るなければ、もって国を有(たも)つべし。国の母を有てば、もって長久なるべし。これを深根、固柢(こてい)、長生、久視(きゅうし)の道と謂う。]
by masaaki.nagakura
| 2012-07-02 13:10
| 世界平和のための老子
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