想うこと7 良き未来に向けて(27)提唱5 物質文明と精神文明の調和
 「近代文明は物質文明である」と言われることがあります。
 ところでいかなる文明も物質が必要ですが、その文明を支えているのは人間の精神と肉体によるのですから、単なる物質文明もまた単なる精神文明もあり得ないでしょう。
 ですから「近代文明は物質文明である」というのは「近代文明は物質的な拡張を追及してきた文明である」という意味使われるように思います。
 確かに近代文明は産業革命を一つの契機にしていて、多くの国家を科学技術の発展等による物質的な拡張を追求する方向に導いてきたことは否めないと思います。
 近代以前においても物質的な面での拡張を求める方向性は厳然としてあったでしょう。
 近代以前の産業は農業が中心で、9割以上の人が農業に従事していたといわれます。
 農業における拡張というのは、単位面積当たりの収穫量の増大かもしくは耕作地の拡張(開墾)によって行われます。 このような意味での拡張は絶え間なく行われて来たようですが、そこには人力による仕事量の限界性と耕作可能地の有限性という束縛条件が横たわっていて、その拡張速度は近代産業による物質的な面での拡張速度に比すれば、遅々たるものであった、といえるでしょう。
近代における産業革命は農業と工業において仕事量の限界性という束縛条件を消滅させないにしても、相当緩めました。特に工業は本来農業の持つ土地の限界性という束縛を持たないために高速度の拡張を遂げてきました。この工業の高速度拡張とそれによって齎される豊富な生活物資の享受は人類の大多数をして魅了させるものであったわけで、「近代文明は物質文明である」という状況を齎したのでしょう。
 このような産業革命の影響に加えて近代の人々を物質中心的な発想に向かわしめたのは近代思想の中に横たわるある要素である、と思われます。
 この要素とは次の3つです。
1.近代科学をその背景とする唯物論的な思想
2.ダーウインの提唱より始まる進化論的な思想
3.ルソーにより提唱された民約論的な思想

 この三つはいずれも近代社会の思想の中で中心的な位置を占めるものです。
 以下に何故これらが物質中心的な思想の背景にあるか、という話をします。

 
by masaaki.nagakura | 2012-02-06 13:06 | 想うこと
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