想うこと5 省エネルギーへ向けて(3)エネルギーの使用目的
人間が、エネルギーを必要としているのは自分たちを幸福な状態に保ちたいがためでしょう。
とすれば、必要なのはエネルギーというより、幸福な状態に保つということで、エネルギーはその手段ということになります。これは当たり前のことですが、人間はよく手段を目的と取り違えるという間違いはしばしば行うようなので注意する必要があります。特に近代文明はエネルギーへの依存から始まっているので、近代文明社会に住む人々の間では「人間はエネルギーが十分なけれが幸福にはなれない」という感覚(強迫観念?)があるようにも見えます。 そのような感覚に支配されると真っ直ぐに省エネルギーという課題に挑戦する事は出来ません。省エネルギーという課題に立ち向かうにはまず「エネルギーを使用するのはあくまでも人間の幸福のためであって、エネルギーがなければ人間が幸福になれないわけではない、エネルギーをそんなに消費しなくても人間が幸福になりえる路は在るかもしれない」という考え方を持つことが大切でしょう。

実際には「幸福とは何か」ということに絶対的な尺度はありません。
それがこの省エネルギーの課題について人々の意見を一致させるのが難しい所以です。たとえばある人は「冷暖房は人間に快適な温度環境を与え、幸福にするので必要である」という人もいる一方で「冷暖房を必要としない体力を持つ方が人間にとって幸福である」という人もいるかもしれません。

「人間の幸福とは何か」という問題は科学的に答えを見出しにくい問題であります。かっては宗教や道徳がその疑問に対して回答を与えていたかも知れません。近代社会は政治面では多くの国が民主主義によっています。そして殆どの国において国家が一定の宗教や道徳を国民に強制することは避けています、そして幸福をどのようなものとして捉えるかも個人の問題であると捉えます。
ただし、近代のいわゆる民主主義社会においては社会の方向を定める政治(立法、行政、司法)は多数決の原則に基づいて方向付けられます。 幸福についての社会的な合意が成立しているわけではない中で多数決により社会的方向性が定められる社会では、幸福についての考え方の変化が敏感に政治に反映します。これが現在の民主主義社会の政治的不安定性の要因にもなっているとも考えられます。

特に現在は産業革命以来相当普及した、「近代文明による豊かな生活」という幸福への理念が、地球温暖化や資源枯渇という危機感が高まる中で著しくぐらついてきて、それが多くの人々に新たな幸福への理念の模索を促しているように思われます。

これから省エネルギーの課題に挑戦するには一方で科学技術的に可能な方向を追求することが重要ですが、「人間の幸福とは何か、それを実現するために必要不可欠なエネルギーの用途は何であるか」ということを常に念頭におくことが求められるでしょう。
    
by masaaki.nagakura | 2009-10-20 13:01 | 想うこと
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