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イタリア紀行(8)マッジョーレ広場(空想編)
いよいよボローニャの中心となるマッジョーレ広場(Piazza Maggiore)に来ました。
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上の写真の正面にあるのがサン・ペテローニオ大聖堂(Basilica di San Petronio)です。
14世紀から2世紀にわたって建設がつづけられ、ローマのサン・ピエトロ寺院を超える予定でしたが、バチカンからの干渉で中座してしまったと言います。 それにしてもでかい。
この大聖堂を斜め上から見るとこのように見えます。
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更に上空から見るとこのように見えます。(自由な角度から見れるのが空想の旅の良いところ?)
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この写真の真ん中がマッジョーレ広場で街の中心であるのがうなずけます。
ボローニャではどこに行くにもマッジョーレ広場からいくのが分かりやすいという事です。「すべての道はローマに通ず」ではなくて、ボローニャでは「すべての道はマッジョーレ広場に通ず」と言いう事でしょう。
大聖堂を目印にして上空からもっと右を見ていきます。
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大聖堂の向かいがボデスタ宮殿です。1階にはマッジョーレ広場を見渡せるカフェも。
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大聖堂と簿留守た宮殿の間にボローニャ市庁舎。
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更に上空から右を見ていきます。
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更に右を見ていくと3つの塔が見えますがどれかがアシネッリとガリゼンダという2つの斜塔でしょうか。
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ネットでボローニャの絵地図を見つけました。この地図と衛星写真を組み合わせてみたら、上記の写真の塔はどれもアシネッリとガリゼンダという2つの斜塔ではないようです。
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空想旅行はもっと続けたかったのですが、出発の時間が近づきました。
これで空想編は終了です。
by masaaki.nagakura | 2013-07-16 22:57 | イタリア紀行
イタリア紀行(7)小川町とボローニャの比較
この辺で私の住む埼玉県小川町とボローニャを比較してみます。
というのも、ボローニャに行く目的の一つとしてボローニャから小川町のよき未来につながる何かを見つけてきたい、というのがあるからです。
小川町のホームページによると現在の人口は3万3千人くらいです。
一方WIKIPEDIAのボローニャの中の統計には次の記述があります。

「ボローニャの2007年の人口は37万2256人(2008年に37万4460人)だった。そのうち46.7%が男性、53.3%が女性だった。年金生活者は27.02%(イタリア平均19.94%)だった。平均年齢は51歳(イタリア平均42歳)である。2002年から2007年までの5年間での人口増加率は0%(イタリア平均3.56%)である[1]。最近[いつ?]の出生率は人口1000人に対し8.07人(イタリア平均9.45人)である。
2006年の調査では、人口の91.88%がイタリア人だった。最大の移民グループはルーマニア人とアルバニア人である。その他フィリピン人の多い東アジア系2.82%、バングラデシュ人の多い南アジア系1.39%である。」

小川町の2013年の人口は31,954 人でボローニャは小川町の11倍です。そんなに人口の相違がある地域を比較して意味があるのか、確かに疑問ではあります。 人口の同じくらいと言いと埼玉県では川越市が32万7,881人でボローニャには近いのです。

しかしここでは敢て小川町とボローニャの比較を続けます。(言い訳をすると、ボローニャもナポレオン占領時には7万人(ボローニャ紀行による)で小川町の2倍程度です。これは多分AC1800年頃であって、ボローニャ大学の作られた1088年にはもっとずっと少ない人口、多分今の小川町より少ない人口の町であったでしょう。時間を越えた話をすれば人口の多寡は問題ではないのです)

次に小川町の平均年齢ですが、明確な数値は見つからず44歳~48歳の間のようです。ボローニャは51歳で一層高齢者が多いようです。埼玉県で一番平均年利が高いのが小川町のお隣の東秩父村で50.1歳で、ボローニャはそれより高いことになります。 東秩父村の平均年齢が高いのは多分ですが、子供が仕事を求めて都会の方に出て行ってしまうからでしょう。 因みに埼玉県で平均年齢が最も低いのは東京に隣接した戸田市で39.6歳です。
ボローニャは都会であり、仕事はありそうで若者が外に出ていかなければならない事情はないと思うのですが平均年齢が51歳でイタリア人の平均年齢43歳(日本人は44.9歳)より9歳も上なのです。これには何か理由がありそうです。 年金生活者が27.02%とイタリアの平均19.94%に比してかなり高いのは平均年齢の高さと連動するということでうなずけますが、なぜそんなに高齢者が多いのかという理由は気になります。これについてはボローニャに行ってから探ってみたいです。

次に男女比ですが小川町は男性が15,735、女性が16,219で男性49.2%、女性50.8%(日本人全体では男性48.6%、女性51.4%)です。ボローニャは男性46.7%、女性53.3%で大分女性の割合が高いことになります。これも何かわけがありそうです。

さて、小川町とボローニャの比較は以上の他に地形、政治、伝統産業、産業構造、歴史、学校制度等についても進めてみたいのですが、これには相当時間がかかりそうで、また旅立つ日も一週間先と近づいてきたので、あとは帰国してから、折りを見て、という事にします。
by masaaki.nagakura | 2013-07-06 19:05 | イタリア紀行
イタリア紀行(6)ボローニャ大学(空想編)
今日はボローニャ大学(Università di Bologn)に来ました。
向こうから学生たちが走ってきます。日本から来た私を歓迎してくれているのかな!(というかこれはボローニャ大学のホームページのトップの写真です。) このラフな格好は日本の学生と大差ないようです。
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ここは何といってもヨーロッパ最古の大学で「母なる大学」ともいわれるとか。
1088年創立で、こんな1350年代の講義風景の絵が残っているということ。
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今の大学と服装は無論違うのですが、更に違うのは大学の運営者は学生たちであって、教授は学生たちに雇用されていたということ、そして大学の固有の建物というのはなくて教授の家やおそらくは貴族の館が講義室として使用されていたという事です。 
現在のボローニャ大学は建物もあり、また運営権は大学側にあるという事で、現在の日本の大学と同じです。一方「ボローニャ紀行」によれば日本の大学と非常に違う点があります。入学試験がなくて1000ユーロ払えば入学できるという事です。その代り大学に入るには高校卒業資格が必要でこれが結構難問ということです。 またボローニャ大学に入学しても卒業するには多くの単位取得試験に合格する必要があり、これがまた相当難しいという事です。

次はボローニャ大学の現在の講義の風景。この席がまばらな感じなど日本の大学にもありそうな風景です。
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ボローニャ大学からはかってダンテ、ガリレオ、コペルニクス(この順に顔写真)などルネッサンス初期の大物が続出しています。
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現在のボローニャ大学の教授には教授紹介のサイトで会えます。
女性の教授(たとえばこの人)が多いのに驚きますが、大学のアピールの意味で主に女性教授に登場してもらっているのかも知れません。

次は卒業式の風景と思われます。(これも大学のホームページから)
学生たちの背後にはやや古風な大学の建物が見えます。
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ここからまた未来のダンテ、ガリレオ、コペルニクスが巣立っていくのでしょうか?
by masaaki.nagakura | 2013-07-04 21:57 | イタリア紀行
イタリア紀行(5)CNAと産業博物館(空想編)
イタリアにはCNAという民間の連合体があります。これは日本語では(ネットで見ると)職人・小・中企業全国連盟、職人業全国連合、イタリア中小企業/職人企業連合などと訳されています。イタリアにはそれこそ中世の徒弟制度を思わせるような小人数(平均3~5人)の職人企業が数多く(2万5千とも)あり、その連合体がCNAという事です。ボローニャにはこのCNAのエミリア・ロマーニャ州支部があります。 因みにエミリア・ロマーナ州というのはボローニャが属する州でボローニャはこの州の州都です。
ネットに掲載された「仙台印刷団地クラスター革新プロジェクト2008」の大和田美香氏の文を引用させてもらうとCNAとは次のような連盟です。

「CNA=職人・小・中企業全国連盟
民間の連合体。全国組織の非営利団体。
・ボローニャ県の本部には県の職人企業2万9000社の約半分が加盟。
・加盟企業は300種。そのうち製造業(機械メーカー、部品生産、繊維、縫製、靴など)が55%、サービス業40%、芸術・伝統産業4%を占める。
・CNAに加盟すると、該当する業種別連合に登録され、創業相談、世界市場・行政・技術革新などの最新情報の提供、会計税務サービス、環境・社会保障の相談、製品開発・ITを含めた技術指導、職員研究、銀行からの融資獲得、行政からの補助金獲得、後継者のいない企業への後継者探しなどのサービスが受けられる。
・グローバル競争の中でEU、中央政府、州政府に対する働きかけを行う。
・持てる情報分析力と自治体とのコネクションを生かし、グローバリゼーションに向け、業種ごとに様々な提案を行う組織。
◆町工場の創造的なものづくりと高い技術水準を支える。」

私はイタリアに昔から続いていた家内工業のようなものがCNA連合体を作ってお互いを守りあっているのか、というような想像もしたのですが、上記大和田美香氏の話ではボローニャでは1950年代から積極的に職人企業が親会社から独立する形で増えていったという事です。再び同氏の文の引用です。

「・第二次大戦後、イタリアに特徴的な中小企業・職人企業あるいは家族経営の企業はアメリカ型大資本に太刀打ちできず、不況に喘いでいた。
・しかし、ボローニャには50年代以降、戦後復興の勢いに乗って製造業を中心に親会社から熟練工が次々と独立起業し、事業主もそれを積極的に支援する気運があった。
・親会社の技術は使っても異なる製品を作り、共倒れを防ぐ。上下関係ではなく、平等な関係の独立起業「スピン・オフ=付随的派生」。
・親会社から4、50社が独立し、それを中核企業としてさらに分社、その周りを部品製造業者が数十社取り巻く、というボローニャ独自の現象。
・70年代にはこれらの専門分野に特化したスピンオフ企業がお互いの足りないところを補完しあう様々な形の協調関係(ネットワーキング)を構築。
・スピン・オフ企業が集積し、競争しながら強調する「3C(cluster=集積、competition=競争、collaboration=協力)」と呼ばれる産業再生のモデルは「ボローニャ方式」と呼ばれる。
・ボローニャには電子機械、オートバイ、包装機械の産業地区がある。
・地区を形成している企業はほとんどが中小企業。
・独自の技術をもって地域内分業を発展させ、互いに水平ネットワークを組んでものづくりをしている。
(大企業は例外的)
・相互信頼に基づく新しい中小企業のネットワーク化の進行 ⇒グローバル競争の荒波に対抗していく「地域の制度的厚み」を増す。」

私はかねてから「中小企業のネットワーク化が大企業をしのぐ日本の産業の活力を生み出す」と言っているのですが、ボローニャではすでに相当以前からその方向性が追究されてきた、と感じます。

井上ひさしが絶賛している産業博物館ではそのような職人企業が育てた高度な技術と産業の姿が観れると思います。
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産業博物館はイタリア語で「Museo del patrimonio industriale di Bologna」のようです。
イタリア語のWikipediaでは内容は解せないのですが、写真は次などが観れます。
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by masaaki.nagakura | 2013-07-03 21:15 | イタリア紀行
イタリア紀行(4) ピッツア・グランデ(空想編)
ここからがまず事前空想のイタリア旅行です。読者も一緒に空想旅行を楽しんでいただければ記す甲斐があります。最初に行くはずの保育園は実際に訪ねてのお楽しみとして、2番目の訪問先のピッツア・グランデ(大きな広場)に向かいます。井上ひさしのボローニャ紀行(以下ボローニャ紀行と略)ではピッツア・グランデというのはホームレスを援助するためにボローニャ大学の3人の学生が25年以上も前に始めた新聞の名前です。 この新聞はホームレスが販売して生活の糧にもしているようです。日本でビッグ・イッシュウ(BIG ISSUE)というのが東京の街角で売られていますが、それと似たようなものでしょう。少し違うのはこのピッツア・グランデというのはホームレスの人も読むものでホームレスの人にとって有益な記事も含まれているという点です。次はボローニャ紀行に引用されたそのような記事です。
「インデペンデンツア通りの高級料理店ディアナでは、水曜と木曜はパンやハムがあまるから、閉店間近の午後10時過ぎに裏口に行くがいい。ただし、給仕のジュリアーノはケチな上に無愛想なので、彼を避けるのが賢明である。ジュリアーノは若いのに禿げているからすぐわかる」
ところでピッツア・グランデ(PIAZZA GRANDE)をWIKIPEDIAで調べると実際に存在する広場の名前で、12世紀にモデナ大聖堂の前に作られた広場という事です。 次の左が大聖堂、右は市庁舎です。
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市庁舎の角に次の像があります。(上の写真の市庁舎の真ん中の像ではなく写真の右端で丁度見えない角にあるもっと小さな像)
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この像はボニッシマ(Bonissima)と呼ばれ、貧者に気前の良かったBONAという貴夫人がモデルとも言われています。広場で話される雑談を全て聴いている、と言われていて何でも首を突っ込みたがる女性のことを「ボニッシマのよう」とも。 確かに頭上の大きな貝は集音の役目もしていそうです。私にはすべての人々の喜怒哀楽の声を聴き分ける観音様の化身のようにも思われるのですが。
つぎはピッツア・グランデの全景(に近い?)です。ボニッシマが右端に小さく見えます。
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by masaaki.nagakura | 2013-07-02 21:24 | イタリア紀行
イタリア紀行(3) ボローニャの旅程
 6月25日に今回の旅の説明会があるということで、伴侶と一緒に新宿の富士国際旅行社の事務所を訪れました。結局出席者は伴侶と2人(旅行応募者は8名)だけでしたが、2人の担当者が親切に説明してくれました。この旅行社は以前私の所属するオゾン環境・医療研究でキューバ旅行も企画してくれたところで、一風変わった企画もしてくれるように思いました。(全体像はわかりません)
 ボローニャの旅程は次だという事でした。
 
 7月24日 ①保育園  ②ピャツァ・グランデ(ホームレス協同組合)
 7月25日 ③CNA(職人企業)  ④産業博物館  ⑤コーパックス(生産・社会的活動のための共同組合)
        ⑥イル・モンテ(知的障害を持つ人達のレストラン)
 7月26日 ⑦ボローニャ大学  ⑧マッジョーレ広場  ⑨サン・ペテロニオ教会

 これは井上ひさしのボローニャ紀行にある場所が多いと思い、「ボローニャ紀行」と照合してみると上記①以外は「ボローニャ紀行」にも名前が出てくるところで、また②~⑦まではやや詳しい解説もある場所です。
 私はもともと「ボローニャ紀行」に感銘を受けて参加することを決めたものですから、これは願ったり、です。
by masaaki.nagakura | 2013-07-01 21:28 | イタリア紀行