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世界平和のための老子 (18)非戦論⑧「足るを知る思想が世界に広がるであろう」とする理由
 老子の「足るを知る」思想は広められる、と言うより広まるであろう、と言う話をしました。
 そしてその理由の一つとして現在が動力機関の発明が引き起こした産業革命の限界状況に到達しつつあり、拡大志向から循環志向への転換点にある、と言う考え方を話しました。
 しかしここで考えなければならない問題があります。
 それは人類の歴史において農業の発明が引き起こした産業革命が限界状況に達した後には、土地の争奪戦という形での戦争が頻発した、と言うことから、動力機関の発明が引き起こした近代の産業革命もエネルギー資源やその他の資源を巡る争奪戦と言う形での戦争を引き起こしていくのでないか、という恐れです。
 確かに近代で過去に起こった2回の世界大戦はその中に資源の争奪戦という要素も含んでいた、と考えられます。
 そして現在世界はますます資源を大量に消費する、と言う状況に向かっているようです。このままいけばそれを奪い合う戦争があちこちで勃発しても不思議ではなく、悪くすれば第3次世界大戦ということもあり得ない話ではないと、考えられます。

 しかし、現在には過去の世界大戦の起こった時代にはなかった次の3つの状況があります。
(1)グローバリズムと交通機関の発達により、ビジネスおよび私的な面での国際的な交流が進んでいて、それは民間レベルでの相互理解を深めさせている。
(2)地球温暖化等の人類全体が共同して立ち向かわなければ解決できない環境問題に直面している。
(3)教育の普及、マスコミニュケーションシステムの発達、インターネット等による情報の共有化の進展により現代と言う時代が直面している限界状況(エネルギー資源の枯渇、地球温暖化等の環境問題)に関しても人類全体での共通認識が進みつつある。

 これらの状況はいずれも世界大戦の抑止力として、大きな意味を持っている、と思います。
 特に上記(2)の地球全体が直面している環境問題は、現在が人類にとって大戦争などをしている余裕はなく、一緒に力を合わせねばならない時期であることを明確に示唆しています。 また上記(3)の状況〈情報の共有化)が、それを人類の共通認識としつつあり、また上記(1)の状況〈民間レベルでの相互理解)がそのような問題に向かって相互に協力しあえる心情的な基礎を作ってきています。

 確かに世界全体の方向はまだ拡大志向が主流でしょうが、「このままの方向では破滅に向う恐れがある」という危機感は多くの人びとの顕在意識と潜在意識に根付いて来ていて、それがやがて大きく時代を転換していくと考えられるのです。 
 破滅を回避するためにまず必要なのは「足るを知る」と言う思想です。
 このこともやがて人類全体に理解され、それが世界大戦を回避させ、また人類全体が協力して新たな時代創造していく方向に導いていくと考えます。
 
by masaaki.nagakura | 2012-10-30 07:17 | 世界平和のための老子
世界平和のための老子(17)非戦論⑦「足るを知る」思想は世界に広められるか
 老子の言う「足るを知る」思想が世界に広まれば、近代において過去に起こったような悲惨な戦争はなくせるであろう、という話をしました。
 ではその「足るを知る」思想が世界に広めることが可能であろうか、ということについて話してみたいと思います。
私の推論を先に言うと、「足るを知る」という思想を世界に広めることは出来るであろう、と言うか、それを意図的に広めようとしなくても広まるであろうということです。

 そのように推論する理由は次の2点です。
(1)人類の歴史の中で現代は拡大志向から循環志向への分岐点にあり、それが必然的に「足るを知る」方向へ人類を導いていく。
(2)現在の人々の考え方、感じ方の中に「足るを知る」という方向への確かな芽吹きが感じられる。

 まず上記(1)について説明します。
 私は人類の歴史を拡大志向の時代と循環志向の時代が交互に訪れる、と捉える観方を持っております。
 拡大志向への傾斜は人類の3回の産業革命の結果起こっていると考えます。
 その3回の産業革命というのは道具の発明、農業の発明そして(化石燃料をエネルギー源とする)動力機関の発明です。現在の我々が普通に産業革命というのは最後の動力機関の発明ですが、道具の発明と農業の発明というのも人類の生存範囲と人口を増大させ、また生活形態に画期的な変化をもたらしたものであり、その意味でこれも産業革命と呼ぶことにします。
 これらのいづれの産業革命においてもその発明は次第に人類のほぼ全体に波及し、更に人類の生存範囲を広げ、また単位面積に生存し得る人類の数を増大させます。 このように産業革命が波及していく過程においては人類の考え方も拡大を目指す方向に傾斜します。このような時代を拡大志向の時代と呼ぶことにします。ところで拡大志向の時代というのはいつまでもつづくわけでなく、やがて拡大の限界状況が現れます。それは地球が有限であること、そしてその産業革命は自然界の与える制約条件の中でなされるものであるからです。
 道具の発明は人類の狩猟の能力を飛躍的に増大させたのですが、狩猟される対象である獣の数は自然界の産みの力を超えることはないのです。 従って道具の発明という産業革命は自然界の産みの力という制約条件の元で限界に到達します。
 農業の発明は人類に自然界も産みの力という限界から人類を解き放ちますが、これも耕作可能な土地面積の有限性という制約を受けます。
 動力機関の発明がもたらした産業革命はその波及がまだ進行中ですが、化石燃料の有限性と地球温暖化など環境負荷の限界という制約を受けていて、すでにそれによる発展の限界にさしかかってきています。
 このように人類の過去における道具、農業、の発明がもたらした産業革命は限界状況に到達し、また現在進行形である動力機関の発明がもたらした産業革命も限界状況に到達しつつあります。
 このように産業革命が限界状況に到達すると人類の考え方の指向性は拡大志向より循環志向に転じていきます、と言うより転じざるを得なくなります。
実際の歴史をたどると産業革命が限界状況に達しても、人類の考え方が直ちに拡大志向から循環志向へ転じるものではなく、しばらくは拡大志向が継続します。
 さて限界状況に到達しても拡大志向が継続するとどうなるでしょうか? そこでは限られた自然界の制約条件を人間どうしが奪い合う状況が生まれます。それが発展すれば大集団どうしの奪い合いである戦争に発展します。
 農業の発明から出発した産業革命による拡大志向は主に耕作地の拡大という方向に向けられ、それはやがて古代文明の形成に向けられます。 世界では拡大志向のもとに4大文明の発祥と更に古代帝国の形成がなされます。 日本では弥生時代より平安時代に至るまでが拡大志向の時代と言えるでしょう。
 やがてそれらの文明が進めてきた耕作地の拡大は限界状況に達します。そこから世界では古代国家間の戦争や内戦の時代が出て来ます。日本では平安末期より戦国時代へのと続いていきます。
 これらの戦争や内乱は人々が過去から続いてきた拡大志向をやめない限り継続します。
 やがて戦争や内乱の末に生まれてくるのは循環志向の時代です。世界史では中世と言われる時代です。日本では循環志向による国家を創設しようとしたのは頼朝だと思いますがそれを完成させたのは徳川幕府でしょう。 ヨーロッパにおいてはキリスト教が拡大志向から循環志向への転向を導いた起点となったように思います。 ヨーロッパで中世と言う時代が始まるのは西ローマ帝国の滅亡(476年)からと言われますが、古代からの西ローマ帝国の滅亡は拡大志向の終焉を象徴することかも知れません。
 さて近代の拡大志向はイギリスにおける蒸気機関の発明を起点にするといえるでしょう。その拡大志向の萌芽はルネッサンスにあると考えられます。 と言うのはルネッサンスはキリスト教の導いた循環思想に束縛された精神を開放して、拡大志向を許容する精神的土壌を形成した、と考えられるからです。
蒸気機関の発明が齎した変化というのはそれまで人力が為していた仕事(自然界の変容)を動力に置き換えたことで、それにより人力の有限性という限界状況はなくなりました。産業革命当初の考えではそれにより人類の物質的な生産力は限界がなくなったように見えたでしょう。 今日に至ってエネルギー資源の有限性と地球温暖化等の環境負荷による自然の制約条件がほとんどの人にとって顕わなものとして現れてきています。 動力の発明による産業革命が限界状況に到達しつつある、と言うことです。
 話が大分長くなってきたのでこの辺で稿を改めます。
 
 
by masaaki.nagakura | 2012-10-17 13:01 | 世界平和のための老子