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想うこと8 母なる宇宙に抱かれて(8)戦争の消滅への道
戦争へ向かうときは次の意識が伴われている、という話をしてきました。

(1) 存在感への脅威の感覚
(2) 屈辱感からの開放を求める意識
(3) 共通の敵に対する敵愾心
(4) 国民全体を巻き込む共感
  
このような意識が戦争に向かった場合には、悲惨な結果をもたらすのですが、人類の歴史では繰り返し、戦争がなされ、特に近代の戦争は人的にも兵器でも近代以前に比して、規模が著しく大きくなり、一層悲惨な結果を招いてきました。

この戦争に向かうエネルギーは人類の持つ、本能的な衝動のようなものと結びついていて、その衝動が一定の間隔で爆発するか、のようにも見えます。

そのような衝動はまかり間違えば、戦争を引き起こすのですが、それをより創造的な方向に向かわせれば、人類の未来をより豊かで実り多い方向に導く力になる、と思います。

現在次のような地球的規模での問題があります。
(1)地球温暖化
(2)エネルギー源の枯渇
(3)水と空気の汚染
(4)絶滅種の増大
(5)精神的病の増加
(6)成人病の増加
(7)経済の世界規模での不安定性
(8)社会的な絆の崩壊
(9)地震、津波等天災の脅威
(10)世界的な食糧不足発生の可能性

多くの人々に存在感への脅威を与えているのは実はこのような問題です。
このような脅威は個人の力ではどうにもならないものに映ります。それ故多くの人はこのような脅威から目を逸らしたいと、思うし、実際多くの人は目をそらします。
そして目をそらすことは屈辱感あるいは絶望感をも生み出します。「どうしようもない大きな力によって支配されてそこから身動きが取れない」という屈辱感であり、絶望感です。

そしてそのような脅威、屈辱感、絶望感は方向を間違えると、戦争という方向に発展します。

本当の敵は地球の他の国ではなく、人類の抱えている上記のような問題です。
それに向けて力を結集していく、というのが人類の進むべき道です。

そこで次を戦争の消滅に向かう道として提案します。

1.存在感への脅威を与えているのは上記の(1)~(10)その他の問題であることを国際的な共通認識とする。
2.このような問題を解決できないまま放棄してしまうこと事は人類全体にとっての屈辱である事を明確に認識する。
3.これらの問題こそ、人類にとっての共通の敵である、と認識し、それに対する敵愾心を燃やす。
4.これら1~3を人類的規模で共感しあう。

そしてその問題の解決のための息の長い闘争がなされていくのが望ましい道です。
そしてそのようになっていくことで人々は誇りを取り戻し、自分の中にパワーが戻ってくることを感じられるようになるであろうし、実際に地球全体を動かすまでのパワーが生まれてくると思います。

あるいは以上のような考え方は誇大妄想的であると思われるかもしれません。
しかし、私は決してそのようなものとは考えず、むしろ人類の進むべき自然の道だと思います。

人類は母なる宇宙に抱かれた、母なる宇宙の申し子です。
母なる宇宙は人類を見守り、人類の未来への道を照らし続けてくれています。
隣人や隣国に怯え、憎みあうのはもうやめましょう。
手をたづさえることで必ず良き未来が訪れると信じます。
by masaaki.nagakura | 2012-05-18 13:35 | 想うこと
想うこと8 母なる宇宙に抱かれて(7)戦争の原因 まとめ
戦争にいたらしめる原因として下記(1)(2)(4)の3つのを挙げましたが、もうひとつ戦争にいたる場合に存在するのが共通の敵に対する敵愾心という意識です。それを含めて次の4つが戦争の原因といえます。

(1) 存在感への脅威の感覚
  :自分たちの存続が何かによって脅威にさらされている。
(2) 屈辱感からの開放を求める意識
  :自分たちは屈辱的な状況におかれ、自尊心が傷つけられている。そこから開放され、自尊心を取り戻し、
  存在感を回復したい。
(3) 共通の敵に対する敵愾心
  :上記(1)(2)の原因となっているのは、この敵であり、この敵を倒す、もしくは撃退したい。
(4) 国民全体を巻き込む共感
  :上記の(1)(2)(3)にかかわる想いが国民を次々と共感の渦に巻き込んでいく。
  (これはいわば相互にポジティブフィードバックが働いて生じるなだれ現象のような様相)

「共通の敵」が敵愾心を煽るものであるためには次の感覚が同時的に存在する必要があります。
①その「敵」が自分たちの存在感を脅かしている元凶である。
②その「敵」は自分たちに屈辱感を与えている当事者である。
③その「敵」に向かって協力して立ち向かわない限り未来はない。
④その「敵」に打ち勝つことによって自分たちは、屈辱から開放され、存在感の脅威から脱却できる。

このような感覚が国民の大多数で共感されることによって敵愾心はますます煽りたてられて、戦争への決断がなされます。

なお、上記(1)~(4)の4つは「戦争の原因」というより、「戦争に傾斜していくときに多くの国民の意識に見られる現象」と言う方が適切かも知れません。 しかし、このような意識が国民に発生しなければ、戦争には至らないであろう、という意味では原因と言ってもいいのでしょう。

では戦争をなくすためにはこのような意識の持ち方を変えれば良いのでしょうか?
事はそう単純ではないように思えます。 というのは上記(1)~(4)というのは戦争でなくても人間が共同して何かを成し遂げようとする際に出てくる意識であり、これがあるので人間が大きなパワーが出せるという面があるからです。 このような意識を出させないようにすることが、人間から大きなパワーを結集する力を奪ってしまう可能性があります。

このような人間のパワーを奪わないで、戦争をなくすためには「自分たちの存在を脅かし、屈辱感を与えている真の敵は何なのか」ということについて国民的な規模での、否、国際的な規模での思索がなされて、追求され、共感が成り立ち、それに向けてのパワーが国際的に結集されていくこと」が必要だと思います。
by masaaki.nagakura | 2012-05-16 08:44 | 想うこと
想うこと8 母なる宇宙に抱かれて(6)戦争の原因3.国民を巻き込む共感
 戦争の原因として、存在感への脅威と、屈辱感からの開放を求める心情の存在について、またそれらの心情は個人が喧嘩するときの心情に近いことを話しました。しかし一方非常に大勢の人間を動員すると言うことにおいて、個人の喧嘩とは異なるということも話しました。
 戦争に兵士として参加するのは職業軍人、志願兵、国家の徴兵の3種でしょうが、特に第2次世界大戦では徴兵が多かったようです。 兵士への総動員数は720万人位で戦争開始の軍人数240万人から480万人が徴兵されたことになります。 総動員数の3分の2が一般の人から徴収されたということになします。
 また、総動員数の人口に対する比率を見て見ます。当時の日本の人口が7100万人程度ですから10人ひとりが兵士となったことになります。さらに、兵役に適した性別(男子)、年齢と体力の持ち主は2000万人程度でしょうか。その3人に一人以上が戦争に動員されたことになります。 兵士として動員されなくても、戦争のための資材、食料、兵器等を生産する人の数は非常に多く、何らかの形で成人男子の大部分、家庭を守る専業主婦以外の成人女子の大部分が何らかの形で戦争に関わったと言えるでしょう。
 これらの戦争に関わった人たちは不本意ながら、それに関わったのでしょうか。無論不本意な人たちも多く居たに違いないのですが、大多数の人はむしろ積極的に関わったと思います。(これは私が、親たちや戦争を経験した人たちの話を聞いたり、当時に書かれた文章を読んだりして得た想いです。)
 一方では積極的に戦闘意欲を煽る宣伝は絶えず行われて、それが、否応なしに人々の意識を戦争に駆り立てたのだとも言えるでしょう。 また、「一部の軍人が国民を引っ張ってしまったから」とか「兵器産業により繁栄する大企業や財閥が、背後で操っていた」とかいう話がなされることがあります。恐らくそういう面もあったでしょうが、このような話がなされた場合によく考えなければならないのは、一方でそれに引っ張られた、あるは操られた多くの国民がいた、と言う事実です。
 「引っ張られた、あるいは操られた国民は犠牲者である」、という考えが出される場合もあるようですが、これは戦争責任あるいは戦争の原因を一部の人たちに押し付けることで、むしろ真の戦争の原因を探ることを放棄させる考え方であろう、と思います。そしてそのような考えからは、未来の戦争を食い止める思想も生まれてこない、と思うのです。
 多くの国民が戦争に積極的に関わったということは事実であり、この事実を真っ直ぐに見て、戦争の何たるか、を探ることで、未来の戦争を防ぐ考え方も生まれてくると思います。
 
 「太平洋戦争において日本の多くの国民が戦争に積極的に関わった」ことの背後には「戦争に向って行くこと、そして開戦に至るまでに多くの国民の心情的な共感があった」と、考えられます。
 更に具体的な形では「ここまで追い詰められている状態に甘んじていたら日本民族は滅びてしまう、闘う以外に選択の余地はない、これは正義のための戦いである」と言うような考え方への心情的な共感が、あったであろうということです。
 
 このような共感が創出される過程にはマスコミニュケーション(当時では主に新聞とラジオ)の存在があったことは否めません。
 しかし、だからと言ってマスコミニュケーションに戦争の責任があるのか、と言うとそうとも言えないでしょう。実際マスコミニュケーションを作っているのも国民の一部の人たちであるし、またマスコミニュケーションは往々にして国民が望むような報道をするということ、言葉を換えれば、マスコミニュケーションは国民の心情を映し出す鏡のような働きをしているとも考えられるからです。

 現在より考えると理不尽に思える、このような戦争に対する共感がどこから出て来たものか、もっと考えてみる必要がありそうです。

 ここでより一般的に人間集団において「共感」と言うものが何故存在するのか、について考えてみたいと思います。 
 人間集団あるいは社会(家庭、企業から国家)が一つの方向に向かって大きな力を発揮するためには成員による協力は不可欠です。 そして協力が良い形(相互に矛盾する行動が少ない)でなされるためには成員による共感が非常に重要です。
 その意味で「共感」は人間集団が継続的に存続していくために不可欠の要素と言えるでしょう。
 お互いに共感をもちつつ何かを成し遂げていくことは多くの場合楽しいことであり、そこに生きがいや充実感を感じるものだと思います。
 従って人は共感しあうことを求めあっています。
 実際の組織は常に成員が十分な共感を持ち得ているかと言うとむしろそうでない場合が多いようですが、やはり共感しあうことは求めていると思います。

 再度言いますが、共感そのものは人間が人間集団あるいは社会を作る以上必要不可欠です。
 しかし、戦争に向かわしめる共感というのは一体何なのでしょうか。
 人間社会にとっては必要不可欠な共感でも、戦争の場合の共感はその共感が誤った方向に流れてしまったのでしょうか。
 戦争の場合の共感は著しい特徴として、共通の敵に対する怒りや憎悪を伴う敵愾心が発生することです。
 次はその敵愾心も加えて戦争の原因をまとめます。
by masaaki.nagakura | 2012-05-07 15:02 | 想うこと