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想うこと8 母なる宇宙に抱かれて(5)戦争の原因2.屈辱感からの解放を求める意識
 存在感への脅威が国民の大多数に浸透することが戦争が開始される条件であることを述べました。
 そのような脅威の感覚は具体的な事件などで「事実上の脅威」として認識されます。 たとえば日本が真珠湾攻撃を行ったときに大義名分の一つとされたのは「欧米による不当な海上封鎖」です。
 しかし、それを国民の大多数が脅威として感覚し、開戦を支持した裏には歴史的に形成された心情があるように思います。
 それはペリーの来航以来日本人の心情に刻み込まれた欧米への脅威の感覚です。
 その脅威の感覚というのは、初めて近代文明の持つ底知れない力を目の当たりにし「西欧が力において日本よえる遥かに勝っているかも知れない」すなわち「日本人は彼等に比して遥かに劣っているかもしれない」という劣等感あるいは屈辱感も伴っているものであったのかも知れません。
 実際に徳川幕府が(不平等条約か否かはとも角)日米和親条約と引き続く日米修好通商条約いう二条約を受動的に結ばされたという事実は、当時芽生えつつあった日本人の心情にくすぶる劣等感あるいは屈辱感を大いに刺激したものと考えられます。
ペリーの来航を機に芽生えた攘夷の思想は非常に激しいものでした。
 太平洋戦争の開戦はその時以来潜在的にくすぶってきた屈辱感から解放される、という感覚を国民の多くに与えたのではないか、と思うのです。
 ペリーの来航以後明治維新があり、富国強兵策に進んで、日清、日露戦争があり、その延長線上に太平洋戦争がありました。この歴史は日本人がペリーの来航以来心底に感じてきた欧米への屈辱感から脱却しようとしてきた歴史ではなかったのか、と思うのです。

 個人においても劣等感から屈辱感へ、また屈辱感から競争心、向上心、克己心への道は成長(もしくは自己変革)の過程でよくあることでないかと思うのですが、これは国家においても同じようです。

 しかし問題はその成長(もしくは自己変革)の過程において戦争を伴ったということで、ここには個人の自己変革(これもいろいろ形はあるでしょうが)とは異なる何かがありそうです。

個人も喧嘩をすることはよくあります。
 口論だけでなく殴り合いと言うのもあって、これは社会的には「暴力沙汰」とも言われて、一般に良いものとは考えられてなく、一方が怪我をすれば法律で罰せられることもあります。
 
 個人には法律でも認められない「暴力沙汰」が戦争と言うことになると、正当化されてしまう、と言うのは何故なのでしょうか。 ただ、ここで考えなければならないのは、「それを正当化している」のは戦争を遂行しようとしている国家であって、周りの国は必ずしも認めていないのです。 個人の場合であっても喧嘩をしている当人は多くの場合自分に正当性があると思ってしているのでしょう。

 どうも戦争というのはその底に個人の喧嘩と相当類似した、心情的な構造を持っているようです。 

 個人の喧嘩と言うのも日頃から「相手が自分を馬鹿にしる」とか「相手を日ごろから生意気であると思っていた」とか「自分を軽んじている」とか、「自分の弱点を責める」とか一方的あるいはお互いにそう思っていた場合に、何か具体的なこと、自分の権利を侵害されたと思うようなことをキッカケに始まることもあるようです。それから弱いものいじめと言うのもあって、これは特に引け目(劣等感)を感じている人が、自らと同様の弱点を持っていると見た人をいじめて、その引け目を克服しようとする(劣等感から解放されようとする)場合もあったり、あるいは集団内の異分子的な性格の一人をいじめて、それにより、自分達の結束を強めようとしたりする場合もあるようです。

 国家のしている戦争と言うのも心情的な構造はそれらの個人や集団の場合と大差ないようにも見えます。
 しかし、国家の場合にはそれが、非常に多くの人数を動員する、と言うのが個人の喧嘩とは相当に異なっています。 
 
  まず非常に大勢の人数を動員する、と言うことについてどうしてそのようなことが考えてみたいと思います。戦争に兵士として参加するのは職業軍人、志願兵、国家の徴兵の3種でしょうが、特に第2次世界大戦では徴兵が多かったようです。 兵士への総動員数は720万人位で戦争開始の軍人数240万人から480万人が徴兵されたことになります。 総動員数の3分の2が一般の人から徴収されたということになします。
 また、総動員数の人口に対する比率を見て見ます。当時の日本の人口が7100万人程度ですから10人ひとりが兵士となったことになります。さらに、兵役に適した性別(男子)、年齢と体力の持ち主は2000万人程度でしょうか。その3人に一人以上が戦争に動員されたことになります。 (つづく)
   
                  

 


(つづく)
 
by masaaki.nagakura | 2012-03-27 08:36 | 想うこと
想うこと8 母なる宇宙に抱かれて(5)戦争の原因1.存在感への脅威
 森の精になって

1.今日の私は森の精、
 カブトムシの子達の巣を準備。

2.手鋸片手に篠(しの)を刈り、
 カブトムシの子達の巣を囲う。

3.熊手を持って落ち葉かき、
 篠の囲いに運びます。

4.落ち葉の上に糠(ねか)を振り、
 落ち葉の熟成助けます。

5.やがて落ち葉は熟成し、
 カブトムシの子達の餌になる。

6.カブトムシの親が卵産み、
 カブトムシの子達が孵ります。

7.カブトムシの子達は落ち葉食べ、
 どんどん大きく育ちます。

8.やがて羽はえ大空に、
 カブトムシの子達が巣立ちます。

9.今は立派なカブトムシ、
 コナラの森で蜜を吸う。

10.そのうち伴侶に巡りあい、、
 カブトムシの子達もできるでしょう。

11.森の命の循環を、
 思うて落ち葉を集めます。

12.今日の私は森の精
 カブトムシの子達の巣を作る。

(以上の詩は本文とは直接関係はありません)
 
 戦争は人類の歴史が始まってから、世界のどこかで殆ど絶え間なく起こっていたようです。
 戦争はいずれにしろ悲惨なものだ、と思いますが、特に近代の戦争は「科学技術による恐ろしく強力な兵器」の登場と「非戦闘員をも巻き込む戦争の形態」により、歴史上かってない悲惨な結果を招いてきました。
 以下は特に近代の国家間の戦争について原因を考えてみることにします・

 近代の国家間の戦争の原因というのは市場や物資の争奪にある、というような話がされることがあるようですが、私は決してそうではないと思っています。 それらは戦争のキッカケにはなったかも知れませんが、やはり根本では人間の心が引き起こしているものだと思います。 そこのところを十分に考えて原因を探っていかない限り、これからの戦争を防ぐことも出来ないと想えます。
 
 近代の国家間戦争の開始の多くのパターンは、「存在感が脅かされたと感覚した国家(以下国家A)が、存在感を脅かしたとする国家(以下国家B)に対して攻撃を開始し、国家Bが応戦する」というものです。
 
 実際にはほとんどの場合に、国家Aは戦争の開始の理由として「存在感が脅かされた」とは言わずに「存在が脅かされた」と主張して戦争を開始します。
 しかし、根底にあるのは国家Aの成員の多くに兆した存在感への脅威である、という点に注意する必要があると思います。
 それは国家Aの成員の多くにそのような脅威の感覚が共有化されない限り、成員の多くを動員した戦争にはなり得ないからです。

 国家Aの成員の意識を戦争に導くために、戦争のリーダー達は具体的な脅威の事実を時には針小棒大あげながらその脅威が如何に危険なものであるかを成員に宣伝します。この宣伝のために近代に発達したマスコミニュケーションの場が大いに利用されてきたのは悲しいながら真実です。多分新聞やラジオがなかったら、あれほど大きな戦争は起こせなったのではないか、とも思えます。

 戦争には国家間の戦争以外に民族間、宗教間および思想的な対立による戦争があります。
 民族間、宗教間の場合は過去の歴史おり相互の集団内で相手に対する脅威の感覚が共有化されている場合が多く、何かの事件をキッカケに眠っていたかも知れない脅威の感覚が呼びさまされて戦争に発展したりするように思います。このような戦争を駆り立てるのに多分マスコミによる宣伝は不要です。
 思想的な対立による場合として、現状の政府を覆そうとする社会的集団が現状の政府に対して仕掛ける場合があります。 この場合には「存在感が脅威にさらされた」というより「自らの存在感を得よう」という動機で戦争に至るように思います。 この場合は重要なのは成員による思想の共有化です。

 近代における国家間の戦争は必ずしも相互に歴史的な対立があるわけでもない国家間でなされています。ですから戦争を始める国は相手の国家が如何に危険であるかを、国民に徹底的に宣伝して、脅威の意識を浸透させなければ始められない訳です。

 しかし、戦争をすることが国民に大きな犠牲を強いることは国民のほとんどに解っている筈です。
 それなのに戦争のリーダーによる宣伝を受け入れて、戦争に賛成するのは何故なのか、そこのところを良く考えてみる必要がありそうです。



 
 
by masaaki.nagakura | 2012-03-21 01:01 | 想うこと
想うこと8 母なる宇宙に抱かれて(4)人の心に関する仮説
 
  金星と水星の恋物語

1. 水星が金星に寄り添っている。 
  金星がビーナスならば水星は水の精。
  ビーナスに焦がれる水の精。
  いつから始まった恋かしら。

2. 金星はキラキラ、水星はホンノリ
  輝いて話している。
  金星は賑やかに水星は恥ずかしげに
  春の夜空の恋物がたり。

3. 天空は周り、水星は西空に沈む。
  さよならビーナスまた明日。
  水の精を見送ったビーナスは
  一層キラキラ輝いて春の夜空を
  賑やかす。 
 
(以上の詩は本文と直接の関係はありません) 

 現在の私達がこれから向かうべき最大の課題は次の3つだと想います。

 一、悲惨な戦争を繰り返さない。 
 二.地球環境を破壊から救う。
 三.人をあらゆる苦悩から解放する。 

 地球環境の破壊、戦争、苦悩等は全て人の心から作り出されたものです。
 従ってこれらの課題を解決するのも人の心です。
 であるとすれば、私たちはこれらがどのような人の心から起こり、またどのような人の心の持ち方によって解決できるかの道を探る必要があると思います。

 これらの課題を解決する道を探るために人の心に関する次の仮説を立てます。
1. 人は本来この母なる宇宙と合一した存在である。
2. 人は自己を個体存在として認識した瞬間(我あり、とした瞬間)から宇宙との合一状態から離れる。
3. 人は本来「宇宙と合一した存在」であるが故に「宇宙と合一した状態」に戻ることが可能である。
4. 一方人は社会的集団を作り、その社会的な集団の中で生きる。
5. 社会的集団はそこに所属する人を個体的存在として認識し、責任を持たせあうことによって存続できると考えられている。
6. 従って社会的集団の中では人は得てして「宇宙と合一した状態」に戻ることが困難になる。
7. 人は深奥に「宇宙と合一した状態」に戻ることへの希求を持つが、往々に社会の中でその深奥の希求は意識に上らない。
8. 社会は人が「宇宙と合一した状態」に戻ることを阻止する作用を及ぼしている。
9. 孤独感の本質は「宇宙と合一した状態」に戻りたいけど戻れないという感覚である。
10. 社会は人に「宇宙と合一した状態」に戻ることが出来ない代償として賞賛、名誉、地位、富、権力を用意する。 これらは社会が存続するために必要なものでもある。
11. 賞賛、名誉、地位、富、権力により人はその所属する社会集団の中での存在感を獲得する。
 しかし、この存在感は「宇宙と合一した状態」の代償である故、満足されず、人をあくなき富や権力の追求に人を導く場合がある。
12.社会の中で得られる存在感は「社会に密着して生きている」という感覚で、これは「母なる宇宙と一体である」という感覚に近いものである。 
13.人はこの社会の中での存在感を熱烈に求める。存在感は「母なる宇宙と一体である」という感覚に近く、それはまた孤独感をも和らげるからである。
14. 人に存在感を与えるものは賞賛、名誉、地位、富、権力のみでない。怒鳴り散らしたり、脅かしたり、消音機をはずしたバイクを飛ばしたり、泣いたりしても存在感を得ることが出来る。時には犯罪すら犯す。
命を懸けることもある。
15. 人は多くの場合いかなる形にしろ、存在感だけは確保するように悲しいまでの努力をする。
16.人は何かを希求するときに同時にそれが得られないことへの不安と恐怖が起こる
17. 人は社会の中で存在感を最も強く希求するがゆえに、存在感を失うことを最も恐れる。
18.人は自らの存在感を失わせようとしていると想える他者に最も強い敵意と憎悪を覚える。
19.人は自らに存在感を与えてくれていると想える他者に愛や敬意を抱く。
20. 人は自らより強い存在感を有する他者に対して、敬意、羨望、妬み、劣等感等を覚え、敵意や憎悪に発展する場合がある。
21.人は自らより弱い存在感を有する他者に対して、憐み、軽視、軽蔑、優越感等を覚え、場合によりその他者を支配しようとする。 いじめや迫害に発展する場合もある。
22.人が心の深奥において自らが「母なる宇宙に支えられて生きている」と感覚している限りにおいて、自らの存在感に不安がなく、この社会をも受け入れることが出来、全ての人に敬愛の情をもって接することが出来る。
23.人が現世における体験の結果などにより「この宇宙は自らに敵対している」と感覚している限りにおいて、自らの存在感に不安を覚え、この社会を受け入れることが出来ず、全ての人に敬愛の情をもって接することが難しく、羨望、妬み、劣等感あるいは軽蔑、優越感、敵意、憎悪等の情を持って接しがちになる。
24.人はより強い存在感を得るために自らの所属する社会的集団の規模を拡大しようとする場合がある。
 特に国家はそのようにして出来た社会的集団の極限である。
25.近代国家を構成する成員(国民)の大多数は自らの存在感に不安を感じており、その集合体である国家は常にその内に不安を抱えた存在となる。
26.いかなる近代国家も国民の存在感を強めるのが最大の使命である。
27.国家は地位、爵位、学歴による差別、褒章等を設けて国民が存在感を強めるための機会を与え、同時に国民を国家の望む方向に誘導しようとする。
28.国家は「この世界は脅威に満ちており、国家がその脅威から国民を守っている」というメッセージを国民に送り続けようとする傾向を持つ。もしこの世界が脅威に満ちていなければ、国家の存在意義は薄いものになるであろうから。
29.国家が一個の人格を持つとすると上記22.の感覚、すなわち「自らが母なる宇宙に支えられて生きている」という感覚ではなくて、上記23.の感覚すなわち「この宇宙は自らに敵対している」という感覚になりがちである。これが国家が戦争をする底流にある感覚である。
(つづく)
by masaaki.nagakura | 2012-03-20 20:02 | 想うこと
想う事8 母なる宇宙に抱かれて(3)宇宙との合一
1. 時空の壁をトンネル効果のように突き抜けて
  私の胸に突き刺さってくるものがあります。
  それは孤独と寒さに震えるあなたの声。

  あなたはどうしてそんなに震えているのですか。
  暖かい春の光の靄がもう立ち込めてきているのに
  どうしてそんなに震えなければならないのでしょう。

2. あなたの熱い情念があなたの中に閉じ込められ
  広い世界に羽ばたくときを時を待ちわびています。
  震えるあなたの中でじれて、もがいているようです。

  その熱い情念を解き放ってあげてください。
  この暖かい春の光の靄の中に
  羽ばたかしてあげてください。

3. もう長い冬はおわりました。
  いつまでも震え続けるのはお止めなさい。
  あなたの凍りついた心も溶けてきています。

  あなたはもう決して孤独ではありません。
  いやずっと前から孤独ではなかったのです。
  このことを信じてください。
  
4. 何十億年という時間があなたを生み出したのです。
  あなたは母なる宇宙の申し子です。
  この母なる宇宙があなたを生み出したのです。

  あなたはこの宇宙のすべての存在と強く結ばれています。
  すべての存在があなたを支えています。
  ですからあなたは決して孤独ではないのです。

5. この悠久で広大な宇宙に向けてあなたの心を開いてください。
  何も躊躇することはありません。
  すべての存在があなたを迎え、暖かく包んでくれます。

  もう孤独の中に怯えて、震えていることはないのです。
春の雨は大地を潤し、その大地は草木を芽吹かせながら
  しっかりとあなたをも支えているのですから。


人は自己を個体存在として認識した瞬間(我あり、とした瞬間)から存在感を求めており、それが孤独感や愛を産み、権力や名誉や富への野望をも生み出しいるように思います。
 その存在感を求める最も深いところに存在するのは「宇宙との合一」を求める心でないかと思います。
 何故宇宙との合一を求めるかというと、人が心の深いところで自らが個ではなく、この宇宙と一つのものであることを知っていて、その一つである姿に戻ろうとするからではないでしょうか。
 
 でも人が本来宇宙と一つのものであり、その姿にとどまりたいと思うなら、自らを個として認識する必要はなかったはずです。 そして自らを個体として認識することがなければ孤独感も愛も権力や名誉や富への野望もなく、生老病死もなく、戦争もなく、これらから興る恐怖、不安、苦悩、憂愁、惑乱、困窮もなかったはずです。
 
 しかし、現実には人は自らを個体存在と認識し、その瞬間から宇宙との合一を失い、そして苦しみながら宇宙との合一を求め始めるのです。
 これは不可思議なパラドックスです。
 確かに奇妙にも思えるパラドックスですが、私はそこに人間存在の神秘的な意味が隠されているように思います。
 もし人が宇宙存在と一体のままに留まっていたとしたら、人には喜怒哀楽もなく、宇宙の姿を探ろうと科学を発達させることもなく、芸術や宗教も生まれなかったでしょう。
 
 人は自らを個体存在として認識することによって宇宙との合一状態から離脱し、離脱することによって、宇宙を観ることが出来るようになり、またさまざまの経験をすることが可能になり、人間を巡る歴史やドラマも生まれることになったのだと思います。
 
 人は母なる宇宙の申し子であると思います。
 そして人が自らを個体存在として認識し、様々な経験をしているというのは、これまた母なる宇宙の意思である、と思うのです。
 人は母なる宇宙が自らの姿を観ようとして生み出した存在と言えるかも知れません。

 ですから私は人が味わうすべての経験、嬉しい経験も悲惨な経験も全て意味のあることだ、と思います。
 近代の生み出した地球環境の破壊とか戦争すらも、それが起こった意味があると思います。
 
 無論地球環境の破壊も戦争も悲しいことに違いはありません。
 しかし、それが現に起こっている、あるいは過去に起こってしまったということをただ嘆くのではなく、その事の中に私たちが未来に向けての方向を見出すためのヒントを見出したいものだと思うのです。

 地球環境の破壊も戦争も悠久なる宇宙が展開する歴史ドラマの中である時期に現れ、そしてやがて乗り越えていかれるはずの出来事と観るのが良いと思います。



 
 

 
  
by masaaki.nagakura | 2012-03-14 13:02 | 想うこと
想うこと8 母なる宇宙に抱かれて(2)愛と孤独と存在感の希求
 次は私の膝が痛くてたまらなかった時に作った詩です。

痛みとの対話


1. この僕の足の痛みが何かを叫んでいる。
  泣きながら何かを叫んでいる。
2. 痛みよ教えてくれ。
 何かそんなに悲しいことでもあるのか。
3. 痛みが答える。
 悲しいのはあなたの心です。
 愛をなくしたあなたの心が悲しいのです。
4. エッ 僕が愛をなくしたって
 本当にそう思うの。
5. 痛みは泣きながら僕に答えます。
 それは本当です、あなたの愛は愛でない。
 愛のように見えて愛でない。
 愛の抜け殻です。
6. 僕は痛みに問いかける。
 本当の愛って何なのさ、
 わかっていたら教えてよ。
7. 痛みは涙をすすり上げて答えます。
 簡単に教えることが出来るなら
 私も泣きはいたしません。
8. 僕はもう一度問いかける。
 愛ってそんなに難しいの。
 僕にはわからないことなのか。
9. 痛みは泣きやみ応えます。
 難しくしているのはあなたの心、。
 この世で一番単純なのが愛。
 それが判ればいいのです。
10. 痛みよ本当にありがとう。
 一番単純なのが愛。
 この言葉忘れないでいるよ。

 私達人間が母なる宇宙から生まれた存在であるとすれば、私達はもともと宇宙と一つのものです。
 私たちは自らを宇宙から独立した個(我)として認識することがありますが、実際には宇宙から独立した個ではあり得ません。 それなのに私達は自らを個として認識する。これは一つの矛盾です。
 デカルトは「我想う、故に我あり」と言ったそうですが、この言葉は「我を想うことによって、我という存在が現れる」という意味にも理解できます。つまり「我を想わない限り我はない」ともとれます。
 デカルトがどういう意味で言ったのかはともかく、実際には固定した個というものがあるわけではないと思います。。 
人間が社会をつくる過程でお互いを個として認識しあう必要が生じた、とも考えられます。というのは社会というのはお互いの信頼関係によって成り立ち、そこには責任という考え方がでてきます。
 責任というのは個というのを想定しないと成り立たないので社会を作るために個という観念を必要とする、と考えられます。
 自らを個として認識することから、孤独感もまた孤独から逃れたいという感覚も出て来ます。この孤独から逃れたいという感覚はおそらく多くの人にとって非常に強いものですが、この感覚が人と人を結びつけるものであり、これも社会というものが存続するために必要な非常に重要な感覚と言えます。
 人は人から愛されたいと思うし、また愛したいとも思う。この愛の感覚も孤独感と対になって社会を成り立たせています。
 ほとんどの人は社会に強く結びついていたい、と思います。これはまた社会の中で存在感を得たい、という感覚とも言えます。(更に言い換えると自らの存在を認められていたいのです。)
 この感覚もまた悲しいほどに強い感覚のようです。 
 この存在感を得たい感覚は特定の個人や集団に向けらます。 友人とか家族とか企業とかです。
 特に子供は母親によって存在感を得ていると思います。 
 多くの大人は自らの所属する企業、学校、役所、研究所等の中で存在感を得たいと思っています。
 できればその中で愛され、あるいは尊敬されていたいのです。しかし愛されも尊敬されもしない場合もあります。 その場合でも存在感だけは絶対に失いたくないと思います。何故かというと存在感を持てない(存在を認められていない)といういことは死であるという感覚が人間の中にあるからではないか、と思います。
 そこで子供であれば泣いたり、駄々をこねたりして自分の存在を母親に認めさせようとします。
 実際人間がもっと野生的な生活をしていたころは子供にとっては母親に存在を認められないことは死を意味する場合もあるので、泣いたり、駄々をこねたりするのは実質的な意味もあります。 
 学校であれば、敢えて突っ張ったり、喧嘩をしたりします。
 企業でも怒鳴ったり、意地悪をしたり、くどい説教をしたりします。これも存在感を得たいというのが深い動機のように思える場合があります。
 富や名誉を得たいという、昔から多くの人の胸に宿る願望がある。「富貴は人の求めるところ」というもの。
 それも実はこの社会の中での存在感が欲しいだけかも知れません。

 でもこれほど人が渇望している存在感の原点は何なのでしょうか?
 私はそれは「もともと母なる宇宙と一体であった存在が母なる宇宙に愛され、再び抱かれ、一体となろうとしている姿」でないかと思うのです。

 子供は母に愛されることによって間接的に母なる宇宙の愛を浴びて存在感を得ます。母親から愛されることによって母なる宇宙との一体感を得てます。これが人がこの世に生れ落ちて最初にめぐり合い、渇望する存在感である。
 この存在感への渇望は大人になっても変わりません。 母親であったものが恋人になったり、配偶者になったり、機能集団(学校、会社、研究所、大学、役所)になったりして、その中で必死に存在感を得ようとする。そのために本当に悲しいまでに努力する。
 そのために社会が発展し、文明が花開くのでしょうが、一方では社会の生み出す病ともいうべきもの、精神の病であったり、戦争であったり、犯罪であったりをも生み出す元になっているかも知れません。



 
by masaaki.nagakura | 2012-03-10 16:35 | 想うこと
想うこと7 母なる宇宙に抱かれて(1)プロローグ
  銀河の中で

1.今宵は何故か星が近くにいるよ。
 僕を守ってくれているのだろうか?
2.僕は星を見つめ、星も僕を見つめる。
 この銀河の中で星も僕も生きている。
 星もそれを知っているのだろうか?
3.この世を去った人が星になるって
 幼い頃に聞いた気がする。
 今夜はそれも本当に思える。
4.僕達はみんな銀河の中で生きてる。
 果てしなく続くこの銀河の中で。
 星たちと一緒に生きている。
5.流れ星が蛍のように尾を引く。
 北極星がそれを愛おしみ、
 流れ星が命を終える。
6.僕達もいつかこの世を去り
 星たちと一緒に生きていくのだろう。
 この果てしない銀河の中で。
7.夜が明けたと雄鶏が鳴いて
 星たちも消えて今日が始まる。
 また新しい今日が始まる。
 新しい今日を迎える、銀河の中で。


人と人は喧嘩をしたり、仲良くなったり、国と国も戦争をしたり、友好を深めたりいろいろしています。
 何故そうなっているのか、それを考えてみたいと思います。
 人はもっと仲良くなれないのか、国と国は戦争をしないで済まないのか、そうできる道を探りたいです。
 
 私が観ていきたいのは「人の心の姿」です。
 心は人と人を結びつけ、また離反させる、時には戦争も引き起こします。
 特に現代は精神の病と言われるものが増え続けています。これはずいぶん悲惨な話です。今の世の中で最も問題にされるのは経済の話のようですが、私には精神の病の問題の方がもっと大きいと思えます。
 増えている自殺や犯罪の問題もあります。これも「人の心」のなせることでしょう。
 私にもあることですが経済的な事で苦しんだり、喧嘩をしたり、幸福感を覚えたり、不幸を味わったり、優越感を覚えたり、みじめになったりすることは今の世に住む人々に実に多いように思います。
 しかし、これらは本当に経済的な事が引き起こしていることなのでしょうか。
 確かに経済的な事がきっかけになっているかも知れませんがやはり「人の心」が引き起こしていることの考えた方が当たっていることが多いのではないでしょうか。

 これから観ていきたいのは「このような問題を引き起こしている心の姿」であり、「そのような問題から解き放たれる道」です。
 「そんなことが簡単に観えるわけないじゃないか」と思われるかも知れません。実際私もそう思ってます。
 しかしチャレンジすることはできます。 チャレンジすることで人間の心の神秘の姿を垣間見ることはできるかも知れません。

 タイトルを「母なる宇宙に抱かれて」としたのはと私が最近抱いているあるイメージングから来てます。
 そのイメージングは「すべての生命も無生命もこの母なる宇宙という母胎の中に身ごもられている兄弟だ。喧嘩したり、抱きあったり、憎みあったり、愛し合ったり、生存競争したり、天災を引き起こしたり、またそれによって悲惨な目にあったりしているけど、どっちにしろ同じ母胎の中に身もごまれている兄弟姉妹どおしの間でのことなのだ。」というものです。

 このイメージングは単なる空想ではあります。
 第一母胎という表現自体が人間という生命体の1種のその中の女性の胎内というイメージから来るものなので、全ての存在を包含する宇宙全体のイメージに拡大させてしまうことに無理があります。

 一方このようなイメージングはかなりリアルに宇宙の姿を表現しているようにも思います。
 先週NHKのBSのコスミックフロントで放送されたの話では地球における生命の起源の元であるアミノ酸が彗星からもたらされたものらしです。 また地球の水はもともと太陽系の果ての無数の氷の小或星が衝突しあい軌道を外れて地球に迷いこんだのが元らしいです。 このような偶然が重なって地球に生命が生まれたという説もあるでしょうが、これを偶然というにはあまりに出来すぎと思えます。
 どうしても宇宙存在そのものの中に生命をはぐくむ意思と力が潜んでいて、それが生命を誕生させていると思えます。 
 そうだとすると宇宙そのものが生命であり、生命を生み出す母である。又その母なる宇宙から生み出された生命体である私たちは母なる宇宙の中にいるのですから、母の胎内に居つづけていると言ってもおかしくないと思います。

 このイメージングは「自分がこの宇宙という母胎の中ですべての存在と親密に結びついている」という感覚を持ち続けさせてくれて、それが私の想像と推理を励ましてくれるように思います。
by masaaki.nagakura | 2012-03-10 13:42 | 想うこと
小川町の人と自然(62)雪だるま
 エコデザイン株式会社の玄関先に社員が昨日雪だるまをつくり、オゾンショップブログ(家庭用オゾン関連製品通販ショップ掲載のブログ)に写真を掲載しました。
 これはなかなか愛嬌のある顔でしたが、壊れてしまいました。
 今朝見ると、また別のチョットいかめしいのができていました。
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 ところが昼になったら一寸情けない風情になりました。
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 しばし、エコデザイン株式会社の玄関を守ってくれた門衛です。
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by masaaki.nagakura | 2012-03-01 13:28 | 小川町の人と自然