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想うこと7 良き未来に向けて(25)提唱4 中央集権と地方分権の調和(つづき1)
 人類の歴史は中央集権と地方分権を繰り返してきたと言うこと、そして近代社会は中央集権に向かって来たと言うことを話しました。
 無論いつの時代でも完璧な中央集権はないし、また完璧な地方分権はなかったでしょう。しかし、その時代の傾向として、どちらかに向かうというjことはあったと思います。
 ここで地方分権というのは先ず法的に地方自治体が決定する範囲が拡大し、逆に国家の規制が弱まることです。税金の分配も地方自治体に比重が高くなり、それだけ地方自治体が活動できる範囲が広がると言うことです。
 私はこれからは地方分権に向かうであろうし、また向かう方が良いと考えています。
 地方分権に向かうプロセスは次のように推定しています。
(1)グローバリズムの進行によるコスモポリタニズム的な意識への移行
 近年に置けるグローバリズムの進行は国家の壁をますます薄いものにしてきました。これは国家と言うもの存在感をますます希薄にしてきたと言うことでもあります。インターネットの普及がこれに拍車をかけています。グローバリズムという言葉は経済的な意味で使われているようですが、この経済的なグローバリズムの進行は精神的にも国家意識というものを希薄にし、人々の意識をグローバリズムと言うよりむしろコスモポリタニズムというのが適切なあり方に移行させていくでしょう。
(2)コスモポリタニズム的な意識からの浮遊感の発生
 国家の存在は近代においては人々が意識すると否とに係らず、人々のよりどころになってきています。国家の存在が希薄になり、コスモポリタニズム的な意識に移行することは、自己存在の立つべき根拠を失っていくような浮遊感を引き起こしていきます。この浮遊感というのは自己の存在感の希薄化とも言えるし、また孤独感ともいえます。 
(3)浮遊感からの脱却を目指す
 浮遊感から脱却するために人々はお互いに近づき絆を強め合おうとします。その絆を強め合おうとする場は家族、企業、地域社会、同好会、宗教等いろいろあるでしょう。一方では国家の存在を再構築しようとする動きも出てくるでしょう。
(4)地域社会を自らの手に取り戻そうとする活動の活発化
 近代社会においては多くの人々にとって企業が大きなよりどころとなってきました。人々の意識の中では国家があり、その中に企業があり、その企業の中に私が居る、という形で自分自身を位置づけ来たのでないでしょうか。しかしその結果は家庭や地域社会の荒廃、身の回りの景観や自然環境の破壊更には地球環境の破壊にまで結びついて来たわけです。 現在既に多くの人々が「これは何か変だ」と気がついて未来への道を探り始めていると思います。
 地域社会の自然が豊かであり、景観が美しく、教育、福祉、医療、住宅等が満足できるものであり、また人と人との関係が良いものであってこそ、そこに住む安らぎや喜びが生まれてくるものでしょう。
 この単純な事実に気がついてくれば自ずから地域社会を自らの手に取り戻そうとする活動が活発になっていくでしょう。
(5)地方分権へ向けて法改正
 現在の法律は国の手で地方を縛り上げるもので、地方自治体が自主的に采配出来る範囲は相当限られているようです。 このままでは地方の自主性は発揮されず、地方ごとの状況や考え方に応じた創造的な変革を行うことに限界があります。
 現在国家が規制している範囲を大幅に地方自治体に委譲することが必要です。
 また税金も国家より地方への分配の比率を高めていく必要があります。
 こうして初めて地域社会をそこに住む人々の手に取り戻すことになるでしょう。
(6)地方毎に個性的、創造的な文化の発現
 地方自治体の自由で創造的な活動が活発になることによって地方毎の特色ある個性的、創造的な文化が
発現してきます。 各地方は他の地方のやり方を学びつつ、自らの方向を変えつつ、より良い方向に発展するという良循環がでてきます。
 ここで文化と言っているのは、教育、福祉、医療、居住環境、自然と人間の共存の在り方、街路の景観、人と人とのコミュニケーションの在り方、政治、経済、伝統等のすべてを含むものと理解してください。
 これらはその土地に住む人々が望ましいと考えられる方向に次第に変貌し、発展して行くでしょう。
 このようにして真の意味での地方分権の形が形成されていくでしょう。
 
 
by masaaki.nagakura | 2012-01-31 13:02 | 想うこと