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想うこと7 良き未来に向けて(15)ニーチェのニヒリズム
 近代において様々な「イズム」が生まれてきましたが、これらのイズムは多くが社会や個人の「理想の姿」を想定し、その理想の姿に近づこうという呼びかけとして提唱されています。この意味でこれらのイズムは「理想の姿は存在し、人はそれを知り、近づくことが出来る」というソクラテス、プラトンの思想の延長線上においてその理想の姿に具体的な形を与えたものと観ることも出来ます。 
 ところがニーチェは「ツァラツストラはかく語りき」の中で「神は死んだ」と言い、永劫回帰を唱え、そのような理想の姿を追求するという試みの不毛性を訴えます。
 すなわち永劫回帰(生命、人間を含め宇宙全体で同じことが無限にくりかえされる)という思想により「ある理想に向かって前進する」という近代のイズムの一切を否定し、更に神は死んだとして西欧社会の一神教的な価値観も否定しています。 これは一切の価値を認めないというニヒリズムの立場です。
 しかし一方で、「その永劫回帰という運命を積極的に肯定して生きる」超人の姿を提起し、また「人間は猿から超人の間に張りわたされた一本の綱である」といって、人間は超人に向けて向かうべきである、という方向性も示唆しています。 この超人というのもひとうの理想像であり、ここにニーチェは価値を認めていることになり、一切の価値を認めないという意味でのニヒリズムとは矛盾することになります。
 ただし、「ニヒリズム=一切の価値を認めない」ではなくて「ニヒリズム=一切の既存の価値を認めない」と考えれば、超人としての生き方に新たな価値を認めるというニヒリズムはあり得ることになります。と言うのは超人と言うのは既存の価値ではなく、新たな価値だからです。
 WIKIPEDIAによればニーチェは強さのニヒリズム(=の能動的ニヒリズム)と弱さのニヒリズム(=受動的ニヒリズム)があるとし、前者を肯定した、と言うことでニーチェの中ではニヒリズムと超人の思想は矛盾がなかったということでしょう。
 ここからは私の想像になりますが、ニーチェは一度彼の言う「弱さのニヒリズム」に陥り、そこから抜け出さんとして「強さのニヒリズム=超人」と言う考えに至ったのではないか、と思えます。

 こう推定するのは私自身のニヒリズムに関する経験もあってのことです。
私のニヒリズムについては稿を改めます。
by masaaki.nagakura | 2011-09-30 13:10 | 想うこと
想うこと7 良き未来に向けて(14)近代における「イズム」の興隆と背景
 本論においては以下の趣旨を述べます。
 「近代においては様々な理想像を掲げた『イズム』が生まれました。
  
 近代における『イズム』は次の3段階に亘って展開してきています。
 第1段階はルネッサンスからヨーロッパの近代化に至る段階
 第2段階はヨーロッパ国家群によるアジア、アフリカの植民地化と産業革命の世界規模への進展の段階
 第3段階はグローバリズムの進展と地球環境、資源枯渇が問題化が同時進行している現在の段階
 
 第1段階で啓蒙主義、経験主義、資本主義、世界国家主義、民主主義、自由主義その他が生まれる。
 第2段階で共産主義、社会主義、民族主義、国粋主義、開国主義、中央集権主義、アジア主義、三民主義、非暴力主義、国家社会主義、全体主義その他が生まれる。
 第3段階では環境保護主義とそれに関連する社会や個人のあり方に関するイズムが生まれてきています。
 
 これらのイズムはそれぞれに生まれた背景があるト思います。
 第1段階のイズムは封建社会からルネサンスを経て近代脱皮する過程で生まれています。
 第2段階においては、近代におけるヨーロッパの国家群によるアジア、アフリカの植民地支配、産業革命を起点とする世界変動とその変動と連鎖した国家間、民族間の覇権をめぐる対立、また国家内、民族内の進むべき方向を巡る模索、対立があり、その中で生まれてきています。
 第3段階は近代文明の引き起こした環境問題、資源枯渇問題、各種社会問題等からの脱却を目指そうとする意思から生まれてきています。」
 
説明:近代社会の底流にはイデアリズムの思想が深く浸透している、という話をしました。
  近代は「何々主義」といった「イズム」が次々と興隆してきた時代です。
 資本主義、共産主義、自由主義、社会主義、啓蒙主義、国粋主義、国家主義、産業中心主義、人間主義、現実主義、理想主義、実践主義、芸術至上主義、経験主義、民族主義、三民主義、社会国家主義、グローバリズム、ローカリズム、自然主義、超現実主義、写実主義、古典主義、ロマン主義、ラテン主義、アジア主義、復古主義、イスラム主義、自然保護主義、封建主義、教条主義、個人主義、集団主義、全体主義、中央集権主義、地方分権主義、原理主義、利己主義、博愛主義etc.
 まだまだ「イズム」はあるでしょう
 これらの「イズム」はたとえば教条主義や利己主義といったように避難の意味で用いられる場合もありますが、多くはその主義を唱える人の向かおうとする「理想」を表しています。
 イデアリズムには「真の姿、理想の姿が存在し、それに至ることが出来る」という信念があるという話をしましたが、何々主義というのはその理想の姿を具体的に表したもので、これら「イズム」もイデアリズムの延長線上にあると言えます。
 自然科学がイデアリズムの「自然界の真の姿があり、それに至ることが出来る」という思想の延長線上にあるとすれば、「イズム」というのは「社会や個人のあり方には理想の姿が存在し、それに至ることが出来る」というイデアリズムの考え方の延長線上にあるものとも言えます。
 
 このような「イズム」の興隆は人間社会が進むべき方向を見出し、その方向に人々を導いていくための試みから生まれてきたもので、人間社会の進展に役立ってきていることは確かでしょう。
 しかし問題は「イズム」を絶対視することで、様々な対立や矛盾、時には戦争をも引き起こしてきたことです。 実はイデアリズムの「理想の姿があり、それに至ることが出来る」という思想を都合よく解釈すると「イズム」が理想のすがたである」という信念を強めさせることになります。
 イデアリズムの創始者であるソクラテスやプラトンは「理想の姿があり、それに至ることが出来る」と言っても「私は理想の姿に至った」とは言っていないのです。
 一方近代の「イズム」の多くが「これが理想の姿である」と主張し、これが抜き差し難い対立を引き起こしたり、社会を身動きの取れない状態に陥らせたりすることがあるようです。

 このような「イズム」の興隆は近代においてなぜ起こってきたのでしょうか? 
 「イズム」の興隆の背景にはイデアリズムがある、という話をしましたが、それは「イズム」が自己主張の根拠として暗にイデアリズムの「人間は理想の姿に至り得る」という考え方を背景にして自己主張をしている、ということです。
 近代において「イズム」が興隆してきた理由には時代的な背景があるように思います。
 最初の段階はヨーロッパにおけるルネサンスから近代への進展の中で時代を変革する思想として生まれてきたイズムです。
 次の段階は国家間、民族間の対立、そして各国家内、民族内での新たな方向を模索する中で様々なイズムが生まれてきます。
 お互いに自己主張する旗印が何々主義となり、それに理論武装が加わり、あるいはその旗印のもとに政党が結成され、政争となり、あるいは内戦、あるいは国家間、民族間の戦争となります。 これら主義間、国家間、民族間の対立に更に古くからもある宗教間の対立や経済的な対立が加わり、一層複雑な様相を呈してきました。このようなイズムの生まれてきた大きな機縁はヨーロッパの特定国家郡によるアジア、アフリカ諸国の植民地支配とそれを時には背後から支えた産業革命でしょう。 それにより、アジア、アフリカの諸国の過去の秩序は崩壊し、新たな方向が模索され、その中で独立戦争や諸国内での主導権を巡る対立、抗争が繰り返されてきました。
 第3の段階は現在のイズムです。これは特に今までの近代文明が進んできた方向に関する懐疑と新たな方向を模索しようとする意識から生まれて来ているものです。
 これらのイズムを代表する言葉は環境保護主義といえるでしょうが、環境保護というだけでなく、社会あり方、個人のあり方等に関して様々なニュアンスを持つイズムが生まれてきているように見えます。
 このようなイズムは多くがこれまでのイズムのように激しく自己主張するものではなく、草の根的に社会に影響を与えるもので、その意味では「イズム」とも言えないものかも知れませんが、着実に社会を変革しつつある、あるいは変革する可能性をもつもののように感じます。
 
by masaaki.nagakura | 2011-09-23 18:22 | 想うこと
想うこと7 良き未来に向けて(13)近代におけるイデアリズム
  デカルトの話で出てきた「イデア」は近代を考える上でも相当重要な概念と思われます。そこで以下で論ずるのは近代における「イデア思想」あるいは「イデアリズム」の位置づけです。

 近代に先立ってルネサンスと言われる時代がありました。これを単純に言えば古代ギリシャ、ローマの文化の復活の時代と言えるでしょうか。 思想的にはキリスト教一辺倒の時代から、ヘレニズムをも見直し、蘇えらせる時代が到来したということでしょう。 その中で思想的に着目されるのはやはりソクラテス、プラトン、アリストテレスです。中でもそれらを流れるイデアの思想です。 イデアというのは「真の姿」「理想の姿」というように訳せます。(というか私は訳しています) 一方イデアリズムというと「観念論」「理想主義」というように訳せます。あるいは「唯心論」とも訳されるようです。
 近代の自然科学はこのイデアリズムに挑戦状をたたきつけます。
というのはイデアリズムには「自らの心の中に深く沈潜することによって真の姿、理想の姿に到達することが出来る」はずです。 またイデアリズムにとって外界というのはその「真の姿、理想の姿を想起させる機会を与えるもの」であって、その中に真の姿、理想の姿が隠されているわけではない」のです。
ところが、自然科学は「自然の真の姿は実験等により自然を探求することによってのみ明らかにされる」というわけです。 このことは「心の中をいくら深く掘り下げても、そこに自然界の真の姿は見出しえない」ということにもなります。
 
 このように自然科学がイデアの思想を否定した、ということは近代にはイデアリズムが消え去ったもしくは消え去る運命にあるということでしょうか。
 どうもそうではなく、むしろ自然科学の考え方とイデアリズムは非常に近い、いわば親戚関係にあるように思えるものがると考えます。
 先ず自然科学の考え方とイデアリズムには共通した基本的な考え方があります。
 それは自然科学もイデアリズムも「自然界の真の姿は存在するし、人間は探求することによってその真の姿に近づくことが可能である」という共通の考え方を持っています。
 確かに自然科学は自然に接し、そこから実験的はあるいは自然観測によるデータを積み重ねるところから出発して、自然の真の姿に近づこうとします。
 一方プラトンによれば本来人間は自然界の真の姿(イデア)を知っているが、それに至るためには「真の姿を想起する」ことが必要であり、その想起のためには真の姿(イデア)の模倣である自然界に接することが必要です。
 こうしてみると「自然界の真の姿は存在する」と言う事と「真の姿に至るためには自然界に接する必要がある」という二つに面で自然科学とイデアリズムは一致しています。
 イデアリズムが自然科学と異なるとすればそれは「その真の姿が既に人間の心の中に存在する」と主張する点です。
 しかしそれは本当に大きな相違でしょうか。 イデアリズムの人がいて、「自然界の真の姿は自らの心の中に既に存在し、想起することでその姿に至ることが出来る」と信じて、それを追求するとします。
 ところで想起するためには「真の姿の模倣である、自然現象に接する必要がある」というイデアリズムの考えに則る必要があるので「自然観察を行う」事になります。更に突き詰めて自然観察をするとなれば、数値データを取ったり、実験をしたり、その結果を見て思考したりするでしょう。そこまで来ると実際の行動は「真の姿は自然界そのものの中にある」と信じて、自然を探求する科学者の姿勢と同じことになります。
 私は近代の自然科学は古代のイデアリズムの思想の延長線上にあって発達してきたのではないか、と思っています。
 ニュートンやアインシュタインは自らは多くの実験をしたわけではなく、天体や微粒子に関して他の人がとったデータを思考の材料にして、深く自らの中に沈潜して自然法則を見出しております。この姿勢はあたかも自分の中に眠っている真実を掘り出そうという、イデアリズム的な衝動に動かされているかのようです。
 
 さて、近代におけるイデアリズムの位置づけと言うことに関して、現時点での私の結論は以下です。
 「イデアリズムは近代の自然科学の発達によって否定されているかのように見えているが、実は自然科学そのものがイデアリズムの延長線上にあって発達してきた。自然科学のみならず近代の考え方の中にイデアリズムは潜在意識のような形で浸透していて、それが社会制度、政治、経済、法律等にも深く影響を及ぼしている。」


(補遺: 真っ向からイデアリズムを否定する思想としてマルクス、エンゲルスの唯物論と言うのが出てきました。
 唯物論では心とか精神というのも物質界の一つの現象ということになります。それはたとえば大脳や神経の電気的な作用の齎したもの、となります。
 しかし、そのような考え方にも容易に反論が可能です。
 たとえば「では唯物論という考え方自体は物質なのか、大脳や神経の電気的な作用なのか」と言う質問が出てきます。更に「大脳や神経の電気的な作用を追及することによって、その人間の考えや感情は知りえるのか、電気的な作用をいくら追求しても、それは電気的な作用という尺度で観た姿が浮かび上がるだけで、その考えや感情は理解し得ないのでないか」と言う反論で出てきます。これに対して唯物論者が「科学が更に発達すればそれもわかるだろう」と言うかも知れません。
 そう言う唯物論者に対して更に「電気的な作用を調べることによって考えや感情が判るということは、ある人の脳や神経の電気的な作用のパターンとその人の考えや感情の対応が判る、という事か」と尋ねたとします。それに対して もし唯物論者が「YES」と答えるなら、「では脳の神経や電気的な作用とは別に考えや感情があると言うことを認めたことになり、唯物論とは矛盾する」と言えます。
 こういう議論は果てしなく続くかも知れませんが、唯物論が人間の心(感情や意思や思考など)を物質的な作用だと証明することは極めて困難でしょう。)
 

 
by masaaki.nagakura | 2011-09-07 23:02 | 想うこと
想うこと7 良き未来に向けて(12)デカルト
 デカルト(AC1596生)はフランス生まれの哲学者・自然学者・数学者です。
 信仰や既成概念によらずに「理性の光」から物事を探求する、という姿勢を打ち出し、近代哲学の父と呼ばれているようです。
 自ら抱く全ての考えを疑うことから始めて、まず「われ思う、われあり」という真理に行き着いたと言われています。 これは「我はこのように“全ては偽である”と考えているが、その考えている我自身の存在は疑いえない」ということでしょう。
 ヨーロッパのそれまでの主流のスコラ哲学がキリスト教の信仰と結びついていて、特にアリストテレスの学問を真理として受け入れる、という態度が一般的であったのに対してデカルトは真向から反対の方向、すなわちすべてを疑ってみる、という「積極的懐疑」の方向を採ったわけです。
 ここにデカルトの当時としてはいわば革命的な考え方があったと考えられます。

 この考え方は哲学の方向を一変させ、近代の科学思想の哲学的な基礎ともなったと考えられます。
 スコラ哲学ではアリストテレスの学問を絶対視していたようです。
 たとえばアリストテレスの力学では「物体は重いものほど早く落ちる」というもので、ガリレオ(AC1520生)がそれを実験で間違っていると証明するまで,知られている限り誰も実験をしないでアリストテレスの考えを信じ続けていた、ということになります。 
 天動説というのもアリストテレスの哲学体系の中にあるものです。
 コペルニクス(AC1473生)は地動説に関する書物「天体の回転について」を自分の死期の近づいたことを知った1543年に出版させますが、その後も教会と一般の人達には地動説は受け入れられず、「天体の回転について」の出版より90年後のAC1633年にはガリレオが地動説を唱えた廉で終身刑を言い渡されています。
 ところでガリレオが「物体は空気抵抗のない限り全て同じ速度で落下する」として、アリストテレスの「物体は重いものほど速く落ちる」という考えの誤りを指摘した時には罪を着せられることはなかったのですが、地動説を唱えた時には有罪とされました。これは天動説がキリスト教の信仰と結びついていて、それに反するということであったのが理由でしょう。
 
 デカルトは32歳から彼の「機械論的宇宙観」を表す「世界論」という哲学書を記すのですが、彼が37歳の時(AC1633)にガリレオが地動説の咎で終身刑にあい、その公刊を断念したと言われます。

 デカルトの「われ思う、故にわれあり」という言葉で有名な「方法序説」はデカルトが41歳(AC1937年)の時に公刊されました。
 「方法序説」の執筆、公刊は「世界論」の公刊を断念したデカルトがより根源的なところで当時のキリスト教会の自然観やアリストテレス絶対視の思想に反論を挑んだものと考えられます。

 私は「われ思う、故にわれあり」というのはその言葉自身にそんなに深い意味があるのかは疑問に思っています。 むしろ、それは物事はこれほどまでにも疑い得るものだ」という宣言であって、キリスト教会や当時のアリストテレス絶対視の思想に対する「見せつけ」と考えれば大いに納得できます。

 ところでデカルトがそこまでして懐疑論を投げつけねばならなかったアリストテレスというのはどういう人物でどういう思想家あったのでしょうか。 
 アリストテレスはソクラテスの弟子であるプラトンの弟子でアレキサンダー大王の師でもあり、万学の祖とも呼ばれ、古代ローマから中世、近世を通じてヨーロッパにおける学問の中心となる人物でした。
 更に近代の科学や哲学はアリストテレスを批判しつつ、アリストテレスからの脱却を目指して展開しますが、その背後にアリストテレスの哲学や自然科学がベースとしてあったことは否めないでしょう。
 それゆえに近代の思想を理解するためにアリストテレスと更にその師であったプラトンやソクラテスの思想を理解することは重要です。 
 
 以下は少し、アリストテレス、プラトン、ソクラテスの思想とその西欧における展開の歴史についてです。
 ローマ帝国の時代にはプラトンが紀元前387年頃に開設したアカデミアが教育の中心となる場であり、そこでは主にソクラテス、プラトンの哲学思想と共に、アリストテレスの学問が学ばれていました。
 アカデミアはAC529年にキリスト教を国教とする東ローマ帝国によって閉鎖され976年の歴史を閉じます。これよりアカデミアの学者はササン朝ペルシャに亡命し、イスラム圏の自然科学の発達に大いに貢献することになります。
 しかしやがて11世紀になりスコラ学(西方キリスト教会の神学者・哲学者の起こした学問のスタイル)が起こり、それは参考書にアリストテレスの著作も取り入れます。
 元来キリスト教にとって異教徒であるアリストテレスの学問がスコラ学者に受け入れられた理由の一つはアリストテレスの天動説がキリスト教の世界観と矛盾しないように思われたということだと思います。 そしてアリストテレスの学問が頑固に支持され続けたのは、その学問がキリスト教と結びつくことで、キリスト教への信仰を一層強固にできるという意味があったからではないかと思われます。
 アリストテレスの天動説の記述は以下のようなものです。
 「世界の中心に地球があり、その外側に月、水星、金星、太陽、その他の惑星などが、それぞれ各層を構成している。これらの天体は、火・空気・水・土の四大元素と更に完全元素である第5元素エーテル(アイテール)からなる。そして、エーテルからなる故に、これらの天体は天球上を永遠に円運動をしている。さらに、最外層には「不動の動者」である世界全体の「第一動者」が存在し、すべての運動の究極の原因である。」
 キリスト教神学者はこの「第一動者」が神である、としたということです、(Wikipedia)
 
 もう一つアリストテレスの学問の中にはそれを絶対視させる要因が潜んでいます。
 それはアリストテレスの「事物の中には一般的な法則ともいうべき真実が内在し、それに到達することができる」という確信です。
 アリストテレスは多分その確信に導かれて、あの膨大な領域の学問分野への探求を続けていったのでしょう。 私はこの確信のもとになっているのはアリストテレスの師であり、ソクラテスの弟子であるプラトンの「イデア」という考え方であると思います。
 アリストテレスはプラトンの「イデア」論を否定したのですが、「真実は存在し、人間はそれに到達することが出来る」という「イデア」の思想に流れる確信はしっかりと受け継いでいるようです。
 
 プラトンは「イデア」をこのように説明します。
「我々の魂は、かつて天上の世界にいてイデアだけを見て暮らしていたのだが、その汚れのために地上の世界に追放され、肉体(ソーマ)という牢獄(セーマ)に押し込められてしまった。そして、この地上へ降りる途中で、忘却(レテ)の河を渡ったため、以前は見ていたイデアをほとんど忘れてしまった。だが、この世界でイデアの模像である個物を見ると、その忘れてしまっていたイデアをおぼろげながらに思い出す。このように我々が眼を外界ではなく魂の内面へと向けなおし、かつて見ていたイデアを想起するとき、我々はものごとをその原型に即して、真に認識することになる。」(Wikipediaより引用)
 
アリストテレスは「ここにあるイデアだけの世界などはあり得ない」と主張したわけです。
 しかし、一方では「感覚で認識される個物を形成するものの中に一般化できる共通の真実が存在し、それは探求し、知ることができるものである」という強い確信は抱いていて、それは「イデア」の思想に触発されて、抱かれた確信である、と思います。

 プラトンの師のソクラテスは「知への愛(フィロソフィア)と善く生きる」ことが人間にとって一番大事であることを説き続けました。 しかし、もし絶対的な真の姿(イデア)や絶対的な善(これもイデア)がないとしたら「知や善の探求」にどれだけ意味があるかという疑問が生じます。
 ここに「イデア」という思想が出てきた、というか出さざるを得なかった理由があると思います。
 ソクラテス自身は「イデア」という思想を明確にしたわけではないようですが、弟子のプラトンにそれを導かせるような話をしています。
 たとえばアテネの裁判で有罪判決を受け毒杯をあおいで死ぬ前の日に弟子たちと語った対話(書名:パイドン)の中で「霊魂は不滅であること、生まれる前に持っていた知識を事物に接して想起することが出来る」等と説いています。
 
 プラトンはそのような師の話にヒントを得て「イデア」という思想を明確にしたのではないかと思います。
 「イデア」という絶対的な存在があれば「知を愛することと善く生きる」ことが明確な意味を持つことになります。
 私は「イデア」というのは(それが天にあるとかのはどうでもよくて)そのような絶対的な存在を想定することによって、人を「知への愛(フィロソフィア)と善く生きる」へ誘う力が出てくるということに意味があるのでないか、と考えます。 
 
 アリストテレスは「イデアが天にある」という考えは否定しましたが、「知への愛(フィロソフィア)」という点ではソクラテスとプラトンの意志を継承した優等生で、むしろ「知への愛」を持っただけでなく、真剣に知を探求し、師の目指すところを師以上に実践した人物と言えるでしょう。

 アリストテレスの創始した学問は論理学、自然学、形而上学、倫理学、政治学、家政学、文学に及んでいます。これだけの追及は余ほどの信念に基づいて実行されたに違いありません。
 特に自然学は物理学、天文学、植物学、動物学、気象学など多岐におよんでいます。
 
 あまりに整然として体系づけられ、且つ網羅的であったので古代から近代にいたるまでの非常に長い間、多くの人びとから完璧なものとみなされ、絶対視されるに至ったのも無理からぬことでしょう。
 しかし、それゆえに新たな学問の進展を妨げてきたのもまた事実です。
 
 デカルトの「積極的懐疑」は近世末期におけるそのような学問の閉塞状況を打ち破る意味があったと考えられるのです。 デカルトの「われ思う、故にわれあり」というのは「懐疑」を許さない当時の閉塞状況への挑戦の言葉だったと思います。
 (後にスピノザはこの言葉は「私は思惟しつつ存在する」ということと同じで論法ではない、というようなことを言っているそうです。 私はこの言葉は「確かに思っている存在があり、それを私と呼ぶ」ということと同じでないかと考えています。)

 デカルトの時代には既に過去の既成概念を打ち破るような経験的な事実が明るみに出てきております。
 ガリレオの「物体は抵抗を受けない限り同じ速度で落下する」というのもそうですが、ケプラーの法則などもそうです。アリストテレスによれば、星は円運動をするのですが、ケプラーは楕円運動をすることを経験的に調べ上げています。

 デカルトの既成概念に対する懐疑主義はこのような時代背景も影響していたでしょう。
 デカルトは規制概念に対する懐疑に哲学的な正当性を与えた、ということでないでしょうか。
 そしてその懐疑主義は結果的に「自然を既成概念からではなくて経験的に追及する」という近代自然科学の考え方の一つの裏付けともなります。 
 デカルトの死(ac1650)の15年後(AC1665)にはニュートン(AC1642生)が22歳の若さで万有引力を発見します。
 ニュートンが若い頃に好んで読んだ書はデカルト、ガリレイ、コペルニクス、ケプラーの自然哲学書であった(Wikipedia)と言うことで、ニュートンの万有引力をはじめとする様々な発見にはデカルトの思想の影響もあったと考えられます。
 
 
by masaaki.nagakura | 2011-09-03 18:17 | 想うこと
想うこと7 良き未来に向けて(12)近代の思想家達
 旅の話を終え、また「良き未来に向けて」の話に戻ります。
 これまで、ルソー、アダムスミス、マルクスなど近代の思想家の話をしてきました。このような思想家の事を考えるの確かにこれらの人たちが、近代の進んでいる方向に大きな影響を与えていて、未来を考えるためにはこれら、近代に大きな影響を及ぼしている思想家たちの思想が何であり、それがどのような問題を含んでいるかを反省する必要がある、と思うからです。
 というのも「私たち人間の多くはその時代の考え方に深く影響されており、知らず知らずのうちにそれらの考えに束縛されて、自由な発想ができなくなるようにされている」と考えるからです。
 特に近代社会は教育制度なるものを普及させましたが、その教育で教える考え方はそれらの思想家達の考えをベースにしているものが多く、それゆえ私たちの思考も根底で、それらの思想家たちの影響を深く受けています。
 「良き未来」について考えるには一度近代の思想家達の束縛から自らを解き放って、自由な発想ができる姿に戻っていることが重要と思います。
 さて、ルソー、アダムスミス、マルクス以外に近代に大きな影響を与えた思想家達は実に多いのですが、代表としてまず近代哲学の父と言われるデカルト、進化論のダーウイン、ニヒリズムのニーチェ、精神分析のフロイドについて考えてみます。
 なお、私はこれらの人たちについてそれほど深く研究したわけではありません。
 ただ、それらの人たちの思想を振り返り見ることが、自らの束縛を少しでも軽減させるのに役立つのでないかと考えるのです。
by masaaki.nagakura | 2011-09-03 09:21 | 想うこと