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私の旅11 小川町周遊
 白馬で宿を共にしたデービットとアクセルの父子が8月24日の夜、小川町に着きました。
 先ず夕食をと言うことで案内したのが小川町の駅の近くにある山崎さん(俗称山ちゃん)経営のカフェ・パシフィカです。この日はたまたまカフェ・パシフィカで有機農業の人達、他の10人を越える老若男女の交流会があり、デービットとアクセルも加わり、大変にぎやかでした。
 宿は古民家の片岡家に案内しました。 片岡家は小川町の八幡神社に隣接していて、ご先祖は代々八幡神社の神主をしていたということです。 
 次の朝、デービットとアクセルに印象を問うと、大変満足した、紹介してくれたのを感謝すると言うことでした。
 その純日本風の落ち着いた雰囲気と片岡夫人のもの静かな対応が気に言ったのではないか、と思います。
 次の日は片岡家を出て、先ず小室加代子さんのところに立ち寄り、しばらく話をしました。
 デービットは映画のシナリオを書いているし、小室加代子さんは小説を書いているところなので、話が合うのでないか、と思ったので引き合わせたのです。案の定、大変意気投合したようで、好きな歌手も一致したりで、話が延々と続きそうなので、「他も回るので」と言って二人を引き離しました。
 次は有機農業で有名になっている金子さんの霜里農場です。
 次は私の家のある飯田地区にある里山クラブyouyouの集会場の里地里山体験広場
 我が家で昼食にそばを食べ、エコデザイン株式会社の見学。
 吉田家住宅を巡り、団子とお酒。(車は伴侶が運転) 次は吉田家住宅での写真です。
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 フィナーレは麦雑穀工房マイクロブロワリーで地ビール。
 お二人は次の宿の浅草に向かいました。この周遊には満足して頂けたようです。

 以上はデービットとアクセルを案内した小川町周遊ですが、小川町に遊びに来る方は参考してください。
 なお、時間があれば見せたかったのは久保正太郎さんの和紙工房です。
ここでは、お店で和紙を販売しているだけでなく、お店から少し離れたところに実際に稼動しているいわば古典的な紙漉き工房があり、大体いつでも見せてくれるので小川町に来られる方は関心があれば見学コースに加えると良いと思います。
 その他、小川町で訪ねるとよいと思うのは酒蔵晴雲です。もし春でしたら桃源郷もすばらしいです。
 以上、読者へのご参考までです。
by masaaki.nagakura | 2011-08-31 13:13 | 私の旅
私の旅10 白馬への旅
 しばらく堅苦しい話ばかりでしたのでこの辺で旅の話を入れます。
 8月21日長野県の白馬のウイング21という会場で開催された「夏の終わりコンサート」というコーラスの集いに聴衆として参加しました。 小川町から会場までは車で4時間かけて着きました。
 このコンサートは毎年今頃に開催されていて 今回は22回目と言うことです。
 私の配偶者は小川町のパンドラというコーラスグループに加わっていますが、その指導者が宮林亮至という人で、その宮林亮至さんが「夏の終わりコンサート」のアレンジでも活躍しているという関係で参加したわけです。
 地元の長野県を始め、関東、関西から23団体が集まり、心温まる合唱を堪能しました。 
 特にサマーチルドレンという白馬村の子供たちの合唱が[世界中の子供たち笑顔になりますように」と言う出だしの歌は震災地への励ましの意味と世界平和の意味をこめて歌われるように感じ、感動しました。 ただ審査員の評価が6位というのは可哀そう。順位づけでなく、それぞれに賞賛と意見があれば良いのにと感じました。
 その夜は神城という駅の近くにあるケイズハウス白馬アルプスという宿に泊まりました。 ここは外国人のバックパッカーズがよく泊まるニュージーランド風の宿でシンプルで安くて気楽に泊まれます。
 マダガクカル、キューバ、ニュージーランド等日本人には珍しい場所をいろいろ旅したマスターのトシさんとの話も面白く、白馬に行く人には是非おすすめの宿ですです。
 次の写真はそのケイズハウスの前にあるしゃれたイギリス庭園風の庭のある民芸品屋さん「そらいろのたね」とそこで購入した土産(ハンガー)です。
 この辺は西洋風のペンションなども多く、ヨーロッパのどこかにいるような気分にさせられます。
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夕食は宿に近いカントリーロードPIZZAKAYAで美味しいイタリア料理をワインと一緒に頂きました。このお店も静かでのどかな雰囲気で食事を楽しめておすすめです。
 さて宿に戻ったら広間にデービット(Davit Turnquist)とアクセル(Axel Turnquist)という父子のアメリカ人が居て、しばらく話をしました。
 父親のデービットは映画のシナリオライター、アクセルはワシントン大学の4年生で固体物理学を専攻している、ということです。二人は主にヒッチハイクと徒歩で日本を旅行中で、名古屋、京都、奈良を巡って来て明日は長野の予定ということです。アクセルは何と東京から名古屋まで20日間かけて野宿をしつつ、歩いて行ったということで大変驚きました。
 実は私も学生時代東京から名古屋に近い愛知県の蟹江の両親の家まで歩きかけたのですが、箱根山のあたりで放棄した、という経験があります。
 アクセルの専攻している固体物理学というのは私も学生の時に専攻していたということもあり、話が大分弾みました。 二人に小川町の話をすると大変興味を持っていただき、小川町にも寄るということになりました。
 翌日二人を長野の善光寺近くの宿まで送りました。ついでに善光寺参りをしましたが、「これは牛に引かれて善光寺参りでなくて、アクセル達に引かれて善光寺参りだ」と言って伴侶と笑ってしまいました。
 
 
 
by masaaki.nagakura | 2011-08-23 13:02 | 私の旅
想うこと7 良き未来に向けて(11)マルクスの共産主義
 アダムスミスの資本主義とは別の方向を示した人々が居ます。 特にマルクスは共産主義を唱え、それを理論的な根拠としたロシア革命が起こり、更にそれが東欧、中国、キューバ、ベトナム等に広がります。
 マルクスの共産主義の理論的根拠となる「資本論」第1巻が出版されたのは1867年でアダムスミスの「国富論」の出版の90年後です。この頃に資本主義の問題が噴出し始めていたという事情もあるでしょう。
 特に着目すべきことはマルクスが若い頃に資本主義の中で発生する「疎外」という点を問題にしたことです。疎外は「人間の作り出した生産システムが人間に敵対的になり、人間を抑圧する」ということです。
 共産主義という発想はこのような状態からの脱却を意図したものともとらえられます。
 私はマルクスの共産主義思想の狙いの中心は「生産システムを保有し、生産する集団をゲマインシャフト化」というところでないかと考えています。 
  資本主義経済の中で「生産システムが敵対的になる」というのは企業というゲゼルシャフトの中では「その成員の存在が、生産システムの持続、発展のために存在する」と位置づけられ、その結果、成員の運命以上に生産システムの維持、発展が重要視され、それが「疎外」と呼ばれる状況を結果する、と考えられます。 
 マルクスは生産手段を資本家ではなく労働者の手に移すことにより、そのゲマインシャフト化が達成される、と考えたのではないでしょうか。 
 経済が原始共産制から出発し、やがて資本主義、社会主義を経て共産主義に移行するというような理論も唱えているようですが、これは共産主義というゲマインシャフトへの移行を必然的なものと位置づけて正当化する」という潜在的な意図があって作られたものでないか、と思うのです。
 ロシア革命以降の歴史をたどると、実際には共産主義の路線はマルクスの思惑通りには進まずに、ロシア革命で成立したソビエト連邦はベルリンの壁の崩壊とともに崩壊しました。 そして中国、ベトナムも共産党の一党独裁という形が残りこそすれ、経済の実態は自由主義経済と言ってよい状態でしょう。
 現在ではキューバや北朝鮮を残して世界全体がグローバリズムという勢いのもとで、産業中心主義を骨格とする自由主義経済の方向に進んでいるようです。 それと共に自由主義経済が当初から持っていた「貧富の格差の増大、公害、恐慌の可能性」という3つの問題、それに加えてマルクスの言っていた「疎外」の問題は世界規模に拡大しています。
 私はマルクスの信奉者ではないのですが、このような状況を見るにマルクスの考え方は再度顧みる価値があると思っています。
 私にとってのマルクスの魅力は彼がゲマインシャフト的な社会の到来(再構築)をを目指したと考えられる点にあります。科学的社会主義などという論理はそれを正当化するために後付したものであるでしょう。
 マルクスが12歳で通ったギムナジウムの校長は熱心なルソーの信奉者であったと言われます。
 マルクスはその思想の影響を十分に受けていたと推定されます。
 マルクスの原始共産制の社会のイメージというのは、ルソーの自然状態における独立して自由な個人のイメージに、更にリアルな有機的結合体であるゲマインシャフトとしてのイメージを付加したもので、それが未来に想定した共産主義社会のオリジナルモデルとして位置づけられたのでないか、と思います。
 マルクスは1883年に死に、その親しい協力者であったエンゲルスはマルクスの資本論遺構から資本論第2巻、3巻を刊行(1894年)し、1895年に死んでいます。
 ロシア革命というのは1917年に起こりましたが、これはマルクスの死後34年、エンゲルスの死後22年です。
 そしてベルリンの壁崩壊というのは1989年でロシア革命後72年になります。
 この間に何が起こったのでしょうか、マルクスの考えが間違っていたのでしょうか、あるいはソヴィエト連邦の中に問題があったのでしょうか。
私はマルクスの思想の中にも少なくも二つの重要な見落としがあったように思います。一つは技術革新というものの齎す効果を過少評価していたのではないか、ということです。もう一つは大国において計画経済を行って需要と供給のバランスをとることの困難性です。
 この二つの点において自由主義経済はソビエト連邦の社会主義体制より明らかな優位を示したことは歴史の語るところです。
 またソビエト連邦において長く続いた共産党の一党独裁が、組織の固定化、硬直化を招いたようです。
 これはマルクスの思想のせいというより、人間の作る組織が固定化すると陥りやすい傾向が表れたというべきでしょうか。 
 (続く)

 

 
by masaaki.nagakura | 2011-08-08 00:33 | 想うこと
想うこと7 良き未来に向けて(10)アダムスミスの国富論の虚構性
 イギリスで産業革命が進行中の1776年にアダムスミスが「神の見えざる手の働きで各人が自らの利益を追求することで全体が豊かになっていく」という主旨の国富論を出版し、これがイギリスを産業中心主義を骨格とする資本主義(自由主義経済)に向かわしめました。
 以後多くの国がその道を追従していくことになります。
 やがて、貧富の格差の増大、公害問題に加えて世界恐慌等が起こり、アダムスミスの唱えたような単純な自由主義経済は見直しを余儀なくされました。
 現在の主流となる経済の考え方はケインズの影響も得て「自由主義経済が基本であるが、国家による適切な統制(金融や公共事業)を加えることで安定な経済成長を達成する」というあたりでしょうか。 
 ところで現状はというとやはり、初期からあった「貧富の格差の増大、公害、世界恐慌」という3つの問題は小解決されないまま続いています。

 私は「国家の適切な統制のもとにある自由主義経済」という現在の流の中に根本的な問題が潜んでいるのではないか、と考えています。この経済思想の中では「利益を上げる企業が良い企業で、利益を出せない企業は悪しき企業である」という単純な見方が企業の価値づけの指標となります。実際に利益を出せない企業は銀行も金を貸さなくなるし、やがて破産します。そのこと自身は社会全体から見て必ずしもおかしなことではないでしょう。そのようにして利益を出せない企業が淘汰されて、利益を出せる企業が残っていけば社会全体としては優良な(?)企業が増えていくわけで問題はないと考えられるからです。
 しかし、このような状況の中では企業はどうしても利益優先主義に走ります。問題はそこから発生してきます。たとえば公害問題を例にとると、企業にとって公害を出してもそれが利益につながるならば、敢えて公害も出す、という考え方に導かれます。 確かにそれを規制するのが国家であって、実際法律によって規制されるのですが、多くの企業の意識はせいぜい規制をぎりぎりにクリアすれば、というところにとどまります。 でもこれも無理からぬことです。というのはたとえば同業の3社があって、いずれも水質汚染を招く物質を放出するとします。その3社のうちの1社は規制を無視し、1社はぎりぎりで規制をクリアし、他の1社は規制以上に水質汚染物質を出さないとします。 もし3社の生産能力は同等とし、製品を同じ価格で販売したとすると、最も利益を上げられるのは規制を無視した会社です。 日本では流石に規制を無視した場合の信用失墜のリスクが大きく、そのような企業が少なくなっているでしょうが、それでも規制以上に水質汚染物質出さないように努力する企業よりも規制ぎりぎりで水質汚染物質を出した企業の方が利益が大きくなります。
 国際的な競争力という点について言えば、公害について規制の緩やかな国の製品ほどコスト競争力が強くなると問題が生じます。
 以上は公害という問題を例にとりましたが、「人材育成」の問題についても同じようなことがあります。
 近年日本では派遣労働者が増えているということが問題となっています。
 派遣社員が増えるというには次の理由があります。
 まず、企業にとっては正社員を多く雇用するということはリスクを伴います。というのは日本の多くの企業は、景気の変動により受注量が減ったとしても正社員をやめさせるわけにはいかずにそれがその企業の倒産につながる可能性もあります。その意味で受注の増減に追従できる派遣社員の存在はそのリスクを回避しつつ、しかも受注量に応じた生産を可能にするというメリットを齎します。
 このような事情があるので特に大企業はこぞって派遣社員の比率を増やします。
 これは企業が存続、発展するには正当な手段とも言えるし、恐らくこの方向性はこれからも拡大し続けると推定されます。
 問題はそれが全体社会にとって望ましい形であるのか、ということです。
 特に次世代を担う人材の育成という点で問題があるように思うのです。
 私も以前の会社では人材派遣会社の人達数名に仕事を頼んでいました。
 私としては彼らの将来にも良かれと、知識を伝え、成長してもらおうと(教えられることも多くありました)しましたが、彼らの中にある将来に対する不安感を取り除くことはできなかった、と感じた経験があります。
 このような不安を抱えつつ成長するとことはなかなか難しいのです。
 これから派遣社員を巡る状況は変わっていくかもしれませんが、最も大きな問題は「これからの社会を担っていく若い人たちを誰であり、育てていこう」という心が派遣社員を受け入れる企業に希薄である、という点です。
 企業のリスクを避ける意味で派遣社員は重要な役割をはたしていますが、その彼らに依存している企業が彼らを次の時代の力となるように成長させようとする意識は乏しいと見えます。

 以上で「公害」と「人材育成」という面で企業の利益追求が必ずしも社会全体の利益に繋がらない、という話をしたつもりです。
 言いたいのはアダムスミスの「神の見えざる手」という話の虚構性です。
 ある人はアダムスミスの「神の見えざる手」などという話は古い、今さらそれを批判して何になる、というかも知れません。 しかし私は近代におけるアダムスミスの国富論やジャンジャックルソーの民約論のような原点的な思想は、非常に色濃く人々の心の中に内在化することで現在にも影響を及ぼし続けており、それが多くの人びとの思考方式を潜在的に支配していると考えています。又そのような潜在的な思想支配の状況が近代からの脱皮を困難にしていると思っています。 民約論も国富論も歴史的には大きな意味があったでしょうが、そろそろその思想を脱却すべく、その思想に横たわる本質を再考すべきでないでしょうか。
by masaaki.nagakura | 2011-08-07 18:15 | 想うこと
想うこと7 良き未来に向けて(9)社会契約論の引き起こした問題
 山岡鉄太郎の話に関連して近代の法律は「自由意思を持つ個人の存在」を前提しているが、そこに無理があるのでないか、という話をしました。 
 明治の初めに中江兆民がフランスに渡りジャン・ジャック・ルソーの書「社会契約論」にであい、それを「民約論」となずけて日本語に翻訳されました。その書はもともとフランス革命での思想的な根拠ともなったでしょうが、日本でも自由民権運動にも大きな影響を与えらと思われます。
 その思想の根本は「自然状態では個人は独立し、自由に行動するものであるが、お互いの利益を図るために相互に契約して社会を作った。」ということでしょう。これは身分制が固定化され、神聖視すらされた封建社会の考え方に対して「本来個人は独立したもので、自由で且つ平等である」という考え方を対立させて、封建社会の体制を打ち砕くのに大きな力を与えたのは確かでしょう。
 しかし、このもととなる「自然状態では個人は独立し、自由に行動するものである」という考え方自体は荒唐無稽のものです。
 何故かというと「この宇宙の存在は全てが関連しあい、繋がりあって存在していて、人間の個人といえどもその例外ではありえない」という厳然たる真実が存在するからです。
自らの命も宇宙全体とつながっていて、宇宙全体と不分不離のものであるという意識は霊性的な自覚ともいうべきで非常に重要なものであると思います。 老子の道の思想や仏教思想の根底にはこのような感覚が色濃く横たわっています。 又、自然と密接に関わりながら暮らしていた原始人の感覚にもそれがあったと思われます。原始人までさかのぼらなくても近代以前の農耕中心の生活も自然の諸力を常に感じながら生活していたわけですから「宇宙全体とのつながり」の直観は普通に持ち得ていたはずです。
 「本来個人は独立したもので、自由で且つ平等である」という考え方は封建社会から脱皮し、近代の民主主義の向かわしめる思想的な役割を果たしたことは確かでしょうし、そのような考え方が出たことが悪であったとは思いませんが、問題はそのような考え方が「宇宙全体とのつながり」に関する直観を鈍らせてしまう、という点にあります。「宇宙全体とのつながり」に関する直観は「周りの自然とのつながり」や「周りの人々とのつながり」に関する直観も含みます。
 「宇宙全体とのつながり」に関する直観が鈍くなるということは「周りの自然とのつながり」や「周りの人々とのつながり」に関する直観も鈍くさせます。
 「独立した個人」という仮想的な個人感覚が発達することは、一方では慣習にとらわれない個人の発想や個人的才能の開花を促進するかも知れませんが、他方では個人の孤立と人間関係の希薄化を招きます。
 この個人の孤立と人間関係の希薄化というのは近代における人間集団の形が、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトに移行してきたことにも関係しているようです。
 近代化はドイツの社会学者テンニースのいうごとく人間の形ずくる集団の形をゲマインシャフト(地縁・血縁集団)からゲゼルシャフト(機能集団)に移行させてきています。
 ゲマインシャフトは運命共同体であり、その成員の能力に関わらず存在が許容されます、というより存在させるのがゲマインシャフトの使命です。
 一方ゲゼルシャフトに属する個人はそのゲゼルシャフトの目的とする機能に役立つ限りにおいて存在する価値があるとみなされます。その結果個には常にその集団から外される可能性がある、という危機感が発生します。
 一昔前であれば、企業に解雇されても田舎に帰って百姓をやる、という道も残されていたでしょう。一昔前というのは「田舎」という農村的なゲマインシャフトが健在であったからです。
 現在は「田舎」と呼べる存在を持つ人は少なくなってきております。またたとえ「田舎」があってもそれは帰ってくる人を受け入れる余地をなくしてきているようです。
 したがって現在の社会では、多くの人にとって自らが所属するゲゼルシャフトから放り出されると生き場を失うという状況が生まれています。 これが現在の社会不安を齎している一つの原因でしょう。
 
 「自らの命が宇宙全体と不分不離の形でつながっている」とう意識の喪失と「ゲゼルシャフト化」は相俟って多くの人々を孤独と不安に押しやっている、という状況があると思います。
 
 日本では年間自殺者数は3万人を超え、精神障碍者の数は250万人を超えると言われています。
 
 この背景には上記の状況も大いにかかわってると思われます。
 
by masaaki.nagakura | 2011-08-06 12:07 | 想うこと
想うこと7 良き未来に向けて(8)山岡鉄太郎の話
 ここで少し趣は変わるようですが、山岡鉄太郎(山岡鉄舟)の考え方と言うことに触れてみたいと思います。
 よく知られているように鉄太郎は幕末は幕臣として、幕府に使え、勝海舟と共に、西郷隆盛等の率いる官軍と講和(江戸城の無血開城)を結ぶのに活躍し、明治維新の後は明治天皇の侍従としても活躍しました。
 鉄太郎の考え方は勝部真長の「山岡鉄舟の武士道」という書に良く著されていると思います。
 鉄太郎の考え方に着目するのは彼がまさに日本の近代化が始まろうとする時代と前近代との分水嶺に立っていて、過去(前近代)も、現在(近代化の出発点)も見ておりまた未来(近代化の結果)をも見通そうとしていた点にあります。
 特に科学進歩が齎す結果については深い憂慮の思いを吐露しています。
 もとより科学を否定しているわけではなく、科学が人間の欲望(鉄太郎は獣欲と呼んでいる)と結びつく結果、物質的偏重に陥り、道義的霊性が失われていくことについて憂慮しているわけです。
 このような考えを示す一部を抜粋、引用します。
「科学の進歩をきたしたには原因がある。それは自由思想である。----さてその自由は抽象科学の研究と共に無制限に発達してきたのである。その結果は自由に種々の枝を分かつにいたったのである。利己心のごときはまさにこれである。家族制度などはかまわないのである。自己さえ自由であれば他を顧みないのであるから、祖先、父母、兄弟姉妹には、格別の重きを置かないのである。何事も自己を中心点として産出したものである。だから政治、法律、経済、道徳、その他諸般のこと、みな推論したところの権利の伸長物である。ここにおいて、みな人が自由の権利によって、自己を満足させる(ことが)利益であることを感じ、それより知的競争となり、科学的研究、物質的偏重を生じたのである。
 それゆえに科学的物質の大進歩をなしたことについては、一文明(すなわち枝葉の文明)として感謝するとともに慨嘆するというわけである。」
 これは明治20年に武士道についての講和の中で語られたことです。
 このような考え方は第二次大戦後の教育を受けた我々などからは「これは自由主義や科学思想の否定であり、封建道徳からくる考え方である」とも見れるし、恐らく当時にあっても「進歩的な」人たちからは守旧派の寝言のようにみなされたとも想像されます。 しかし科学技術の上に立つ産業中心主義がさまざまな矛盾に陥り、多くの人々が人々が未来への希望を見失ってきている現在を顧みたら、この言葉の中に重要な警告が潜んでいるかも知れないと、この言葉の意味を再度考えてみるべきでないかと思います。
 岡倉鉄太郎は武士道を語るにおいて各所で「無我」ということを言っています。
 たとえば「父母の恩」を語る中には次があります。
 「老幼男女の区別なく、各自で発現本所にたちかえってみるがよい。各自の身体はみなこれは父母の遺体であって、しいて我なるものはない。われわれの身体はみなすべて父母の骨肉の分子である。今もしこれを父母に返還してしまったら、更に一物も我というべきもののある道理がない。このように道理をわきまえてくれば、わが身体は全部我のものでないことが明瞭でないか。」
 一方近代の法律は「自由意思をもつ個人の存在」を前提しているようです。これはそういう前提を置かなければ法律そのものの正当性が保持しえないためかも知れないのですが、私はそのような考え方に自然でない無理があり、それが様々な問題を引き起こしているように思っています。
 

 
by masaaki.nagakura | 2011-08-01 13:01 | 想うこと