<   2009年 06月 ( 3 )   > この月の画像一覧
想うこと4経済とは何か(26)経済政策への提言2.万民がところを得る
万民がところを得られるようにすることは国家の最大の使命です。いかなる時代でもいかなる政治形態の国家でもこれは真実です。この原則を見失った政権はやがて覆されるのが歴史的事実と想います。
「万民がところを得られるようにする」というのは「全ての人がいきいきと活動できる居場所を得る」ということです。
このことは国家といわず、人の形作る全ての集団について言えることです。 家族、会社、サークル、学校その他公的な組織でもです。
会社の経営者であれば、会社を全員が大いに生きがいを持ち、活発発地に働ける場所とすることが最大の使命です。国家は非常に規模は大きいのですが、全く同じことです。近代の国家の多くが経済成長ということを目標の中心に位置づけてしまったので、この基本的な使命から目がそらされてしまっているようです。
強者をより強くし、弱者を切り捨てていくというのは資本主義の原則から見て正しいことであっても、国家としてあってはならないことです。確かに近代国家は、義務教育制度などを通じて人生の幼少期に万民が教育を受けれるようにしています。しかしその義務教育の後は職を得るも得ないも、個人の責任であるとされます。派遣社員が職を失うのが社会問題になっても、国家はそれに責任があるとは考えないようです。また多くの人からそれは派遣社員自身の問題だという意見も聞きます。でも本当にそうなのかはよく考えてみる必要があると思います。派遣社員という制度は、「日本はアジアの先進国」といっている間はなかったのです。ところがアジアの中で台湾、韓国、中国、ベトナム等の国々が次々と経済発展をしていく中で日本が厳しい国際競争にさらされ、低コスト化による競争力の増強が求められる中で派遣社員という制度が普及してきた、と言えます。そうなるとそれは個人の問題とはいえず国家、社会の必要により作り出されてということです。そして仕事量が減れば、簡単に解雇できる派遣社員という制度は企業が自らの身を守るために不可欠の存在にもなってきています。その意味では派遣社員は現在の経済体制を維持するために重要な役割を果たしていると言えます。 そのような派遣社員が困窮に至っている状況に関して国家も企業も責任はないと考えるのは理不尽というものです。 企業はともかく絶対に責任がないと言ってはいけないのは国家です。
by masaaki.nagakura | 2009-06-25 12:58 | 想うこと
想うこと4 経済とは何か(25)経済政策への提言1.持続可能な社会の実現を
私は経済学については全く素人であるのですが、国家の経済政策についてはどうしても提言したいことがあります。それは現在の国の経済政策がどうも場当たり的であり、長期的な展望や深謀遠慮が欠如しているように思えるからです。野党の民主党には期待をしているのですが、「高速道路の無料化」とか、極めて短絡的な発想の景気刺激策を出したりするのを、見るとあまり期待が持てないような気もしております。
私が第一に提言したいのは「明確に持続可能な社会の実現を目標とする経済政策を打ち出せ」ということです。「経済成長をしなければならない」という考え方はひとたびは止めた方が良いと思います。もし経済成長という言葉を使うならば、それはGNPというような尺度でなく、いかに持続可能な社会に近づいているか、という尺度で使うべきでしょう。「持続可能な社会」という言い方は最近言われだしたので、何か新しい概念のように思うかもしれません。実際には人類は過去のいかなる時代も、いかなる人々もそれを目指して来たのだと思います。近代以前には経済成長という考え方は明確にはなく、持続可能な形を目指した結果、自然に成長してきたという方が当たっていると思います。近代社会は産業革命以後に経済成長というのが多くの国家の目標とされ、環境なり、資源なりを犠牲にしても経済成長をするのがいいことだという、不思議な考え方(というか強迫観念)が生まれ、その結果持続可能性をどんどん損なってきた、ということだと思います。現在ようやく「持続可能性の重要性」があちこちで論じられるようになってきたのですが、多くの人たちの考え方は経済成長第一で場合により持続可能性が犠牲にされても止むを得ないというところにあるように思います。たとえば「高速道路を無料に」などというのはそのような発想から生まれていると思います。敢えて言いますが、そのような考え方は物事の軽重を間違えているものです。
by masaaki.nagakura | 2009-06-24 13:13 | 想うこと
想うこと4 経済とは何か(24)近代における経済システムの制御の試み
経済システムを制御することは極めて困難であることを話しましたが、近代の歴史では絶えずそれを安定に制御しようという試みがなされてきました。
アダムスミスは「国家の統制(経済システムの人為的制御)をしないことでむしろよい制御がなされる」といういわゆる自由主義経済を唱えたのですが、それをまともに実行した結果、不況や極端な所得格差が生まれるという矛盾が生ずることが明らかになってきました。
その反省からマルクスとケインズという二人の人物による新たな発想が生まれてきました。
マルクスの発想は「経済システムを完全に国家統制の元に置くことにより完全な制御を達成する」というものです。特に経済理念としては「一人は万人のために万人は一人のために、そして能力に応じて働き、必要によって得る」共産主義という理想を掲げました。これは特に自由主義経済の中で極端な富の偏在が生じるのに対して、万人が仕事を得、かつ生産物の享受を得る社会を作ろうという考えから生まれています。
結果的にマルクスの考え方は実現し得ていないのですが、その困難である根源的な理由の一つに「需給調整」の困難さがあります。国家統制経済による需給調整というのはそれぞれの産品について需要を予測して生産することですが、人の必要とする産品の種類は途方もなく多く、また原料が一次産業で生み出され、加工され、供給するまでのプロセスというのは極めて複雑であり、人知では把握し切れないものです。
ケインズは基本的な需給調整は自由市場にまかせるが、景気変動による失業者の増大に対しては政府が公共事業等国家に有用な需要を生みだし、その需要を満たすべく新たな雇用を作り出すという考え方を打ち出し、理論化しました。この考え方は「総需要管理」といわれているようです。
実際にはいかなる時代においても国民の全員に仕事が割ふられるようにするというのは国家の基本的な役目であり、古代からその努力が続けられてきたわけです。
その意味では「総需要管理」という考え方がケインズ個人の独創とは言えないでしょう。
ケインズの独創性は古代からあるそのような考え方を明確化し、理論化し、国家の経済施策として実用できる形にしたことだと思います。
経済システムの制御という点においてマルクスとケインズの大きな相違は「マルクスが経済システムの構成要素の中核である生産手段(土地、工場、機械器具、輸送手段)等の一切を国家の所有とし、それを統制できるようにしたのに対し、ケインズは生産手段は原則として民間の手に委ねつつ、景気の波の中で多数の失業者が出ないように国家事業等で対応する」ということでしょう。
一見するとマルクスのように生産手段を国有としてしまった方が経済システムの制御は容易になるように見えます。しかし国家が巨大であり、多種の民族、気候、文化等を抱えていると人知では読みきれない変動があり、国家がそれを予測し、未然に調整するのは非常に困難です。
(小国ではたとえばキューバのようにマルクスの考え方が機能しているように見える国もあります。)
国家がこのような困難な需給調整をする代わりにそれを自由市場に任せるというのが自由主義経済の考え方です。しかし、自由市場も完全な需給調整が出来るものでないことは最近の経済状況をみれば瞭然です。自由市場による需給調整は国家の計画による需給調整よりはまし、と言える程度です。
自由市場の大きな問題は需給バランスの変動による失業者の発生です。ケインズは自由市場で制御しきれない需給バランスの変動分を国家事業で調整し、失業者をなくすという考え方を示したと言えるでしょう。
by masaaki.nagakura | 2009-06-02 13:07 | 想うこと