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想うこと8 母なる宇宙に抱かれて(12)結び
「母なる宇宙に抱かれて」と言うタイトルで話をしてきました。
このタイトルはプロローグで述べたように次のイメージングから来たものです。
 「すべての生命も無生命もこの母なる宇宙という母胎の中に身ごもられている兄弟だ。喧嘩したり、抱きあったり、憎みあったり、愛し合ったり、生存競争したり、天災を引き起こしたり、またそれによって悲惨な目にあったりしているけど、どっちにしろ同じ母胎の中に身もごまれている兄弟姉妹どおしの間でのことなのだ。」
 このイメージングを持ちつつ、特に戦争の原因や平和への道について考えてみました。
 
 近代において戦争に至るには次のようなプロセスがあるという話をしました。
(1) 存在感への脅威の感覚
  :自分たちの存続が何かによって脅威にさらされている。
(2) 屈辱感からの開放を求める意識
  :自分たちは屈辱的な状況におかれ、自尊心が傷つけられている。そこから開放され、自尊心を取り戻し、
  存在感を回復したい。
(3) 共通の敵に対する敵愾心
  :上記(1)(2)の原因となっているのは、この敵であり、この敵を倒す、もしくは撃退したい。
(4) 国民全体を巻き込む共感
  :上記の(1)(2)(3)にかかわる想いが国民を次々と共感の渦に巻き込んでいく。
  (これはいわば相互にポジティブフィードバックが働いて生じるなだれ現象のような様相)

 そして平和に至るには敵愾心を次のような地球規模への問題に対する敵愾心に変えていくことが重要であろうと言う話をしました。
(1)地球温暖化
(2)エネルギー源の枯渇
(3)水と空気の汚染
(4)絶滅種の増大
(5)精神的病の増加
(6)成人病の増加
(7)経済の世界規模での不安定性
(8)社会的な絆の崩壊
(9)地震、津波等天災の脅威
(10)世界的な食糧不足発生の可能性

 しかし、38度線を見たことが一つの機縁になり世界平和に至るには上記の問題に挑戦していくと同時に(あるいはそれ以前に)「人間が自然を支配する」という考え方を改めて「人間は大自然に属する」という感覚を取り戻すことが極めて重要である、と言う想いに至りました。

何故なら上記の問題を引き起こしている大きな原因が「人間が自然を支配する」と言うところからきていると考えられるからです。

 これまでの話では出て来ませんでしたが、私はこの感覚の復活の機縁となるのは中国の老子の思想だと思います。次は私なりの老子の解釈の話をしたいと思います。
by masaaki.nagakura | 2012-06-24 21:05 | 想うこと
想うこと8 母なる宇宙に抱かれて(11)人間は自然に属する-シアトル酋長のことば
 世界平和のためには「人間は自然を支配する」のではなく「人間は自然に属する」と言う感覚を取り戻す必要がある、という話をしました。
 この感覚を切実に且つ詩的に表しているのは、米国の大統領から「土地を売り渡すように」と言われた時のアメリカ原住民の酋長であった、シアトルの次の言葉です。 (日本文と英文を載せます。)

どうしたら 空が買えるというのだろう?
そして 大地を。
わたしには わからない。
風の匂いや 水のきらめきを
あなたはいったい
どうやって買おうというのだろう?

すべて この地上にあるものは
わたしたちにとって 神聖なもの。

大地は わたしたちに属しているのではない。
わたしたちが 大地に属しているのだ。

ひとつだけ 確かなことは
どんな人間も
赤い人も 白い人も
わけることはできない ということ。

わたしたちは結局 おなじひとつの兄弟なのだ。

わたしが 大地の一部であるように
あなたも また この大地の一部なのだ。
大地がわたしたちにとって かけがえがないように
あなたがたにとっても かけがえのないものなのだ。

白い人よ。
わたしたちが子どもたちに 伝えてきたように
あなたの子どもたちにも 伝えてほしい。

大地は わたしたちの母。
大地にふりかかることは すべて
わたしたち大地の息子と娘たちにも ふりかかるのだと。

あらゆるものが つながっている。
わたしたちが この命の織り物を織ったのではない。
わたしたちは そのなかの 一本の糸にすぎないのだ。

生まれたばかりの赤ん坊が
母親の胸の鼓動を したうように
わたしたちは この大地をしたっている。

もし わたしたちが どうしても
ここを立ち去らなければ ならないのだとしたら
どうか 白い人よ
わたしたちが 大切にしたように
この大地を 大切にしてほしい。
美しい大地の思い出を
受け取ったときのままの姿で
心に 刻みつけておいてほしい。
そして あなたの子どもの
そのまた 子どもたちのために
この大地を守りつづけ
わたしたちが愛したように 愛してほしい。
いつまでも。

どうか いつまでも。


How can you buy or sell the sky,
the warmth of the land?
The idea is strange to us.
If we do not own the freshness of the air
and the sparkle of the water,
how can you buy them?

Every part of this earth is sacred to my people.

The earth does not belong to man.
Man belongs to the earth

One thing we know,
there is only one God.
Our God is also your God.
He is the God of man.
No man, be he Red Man or White Man,
can be apart.

His compassion is equal for the Red Man and the White Man.

We are brothers after all.

As we are part of the land,
you too are part of the land.
This earth is precious to us,
it is also precious to you.

White Man,
will you teach your children
what we have taught our children?

All things are connected
like the blood that unites us all.
Man did not weave the web of life,
he is merely a strand in it.

The earth is our mother.
What befalls the earth
befalls all the son and the daughter of the earth.

We love the earth
as a newborn loves its mother's heartbeat.

If we have to sell you our land,
White Man,
please care for it
as we have cared for it.
Hold in your mind the memory of the land
as it is when you receive it.
Preserve the land for all children
and love it
as we have loved it.

Please love it, forever.
by masaaki.nagakura | 2012-06-24 21:01 | 想うこと
想うこと8 母なる宇宙に抱かれて(10)東アジアから起こす世界平和への道
 朝鮮半島の38度線を観て、平和への道をいろいろ考えてみていますが、以下は世界平和への道を東アジアから開こうではないか、という考えです。
 人類の起源は一つとしますとその一つが太古から段々に枝分かれし、また離合集散して、現在の人類における人種とか国家とかが出来たということになります。
 アフリカが人類発祥の地と言いますが、その一部がアジアの中原に進出し、そこから漢民族、モンゴール、朝鮮、日本等へまた北上してアメリカ大陸へ、さらに南アメリカにとと南下したのでしょう。
 一部は南周りでインド、東南アジア、インドネシアを経てポリネシアにもいたります。日本はこの南回りの人達とアジアの中原経緯で来た人たちの混血と言われるようです。
 アフリカから北に向った人達がやがてエジプト、メソトピア、ギリシャ、ローマ、ヨーロッパと次々に新たな文化を展開させていきます。 またアジアでは中国及びインドの古代文明を始めとしてモンゴール、朝鮮、日本、東南アジア、インドネシアの諸島、アメリカ大陸ではインカや北アメリカ原住民が、太平洋の島ではハワイ諸島などでそれぞれ多彩な文化が開花していきます。
 このような移動と文化の発祥は5万年前以降の話で、宇宙や地球の歴史から見れば極く最近のことです。
人種や国家間の対立をなくすには、まず人類が共通の祖先を持っていて、そこから順次分化してきたことに思いを馳せることが大事だと思います。
 特に日本人は人種的にはモンゴロイドとされますが、モンゴロイドは太平洋を囲む東西の広い地域に住んでいて、歴史的に見ると比較的平和な人種であったと考えられます。
 日本の外国との戦争は近代以前には古代での朝鮮半島での戦争、蒙古の来襲、秀吉の朝鮮への出兵等であり、それらは短期間であり、ほとんどの時代を平和に過ごしていたわけです。
 この点はヨーロッパでの戦争の歴史とは大いに異なります。
 日本が大きな戦争をしたのは明治維新以降であり、そこには欧米文明に触発されたと言うべきものがあると思います。
 環太平洋と言う範囲で考えても近代以前においては、国家間の大きな戦争が起こったということはなかったように思います。
 思うに太平洋を囲んで広がったモンゴロイドは本来極めて平和志向的な人種であったのでしょう。
 この平和志向はひとつには互いに広い海洋に隔てられて、戦争をする必要がなかったいう地理的な条件にもよったとでしょう。
 もうひとつ自然と密着した生活をしてきたことからくる、心情的なものがあったように思います。 この心情的なものというのは「人間はこの大自然の一部である」という感覚です。
これは欧米の思想が「人間は自然を支配するもの」と位置づけるのとは大いに異なる点です。
 近代の科学技術は自然を支配せんとする方向に展開されてきたのですが、今や大自然からの相当強烈なしっぺかえしを食らいつつあるように思われます。
 自然を支配しようとした結果は自然を破壊し、その破壊の結果は人間の精神を破壊する方向に進みつつあるように見えます。自然の破壊が何故人間の精神を破壊するかは、「人間は大自然に属する」ということから見れば当然です。 つまり人間が自然を破壊するとはすなわち自分自身をも破壊していることなるからです。
 自然を支配しようとする思想は、人間をも支配しようとする考えに繋がります。そしてそれが市場を支配する、原材料を支配する、エネルギー源を支配するという方向をも導き、限りない相克、対立の世界を作り出していきます。いまやグローバリズムという名のもとに世界中が市場争奪戦の戦場と化しつつある様相を呈してきています。これはまたやがて原料争奪戦、エネルギー源争奪戦にも発展しえます。
 市場争奪戦、原料争奪戦、エネルギー源争奪戦といういわゆる経済的な競争の段階に留まればまだ良いのですが、この広い地球上のどこかでそれが人間同士が殺しあう戦争と言う事態に至ってしまう大きな可能性があります。
 永きに亘る世界平和を求めるにはどうしてもこのような「人間は自然を支配するもの」という考え方を反省し、「人間は大自然に属する」という考え方(あるいは感覚です、以下感覚と言います)に戻る必要がある、と思います。
 この感覚はアフリカよりユーラシア大陸に北周りにきて環太平洋に散らばったモンゴロイド、そして南回りに来た東南アジア、ポリネシアの民族の深層的な心情に共通に刻み込まれていると思います。
 この感覚を想起し、且つまた欧米の人達にも伝えていくことが重要でないかと思います。
 
 なお私はこの節のタイトルを「東アジアから起こす世界平和への道」としたのですが、ここで東アジアとして特に意識しているのは日本、韓国、台湾です。
 これらの国は環太平洋のモンゴロイドの中で近代化路線を先駆けて追及してきたもので、それゆえにその矛盾も最も鋭敏に感じつつあると思われるからです。
 これらの国の中でも日本は近代化のスタートが早かったこともあり、近代に対する懐疑的な意識は既に主流となってきているようです。 多分韓国、台湾にも早晩lこの懐疑的な意識が広がると思われます。
 そして、このような懐疑の意識は環太平洋モンゴロイドの持つ「人間は大自然に属する」という深層心理的な感覚が近代文明の「間が自然を支配する」という方向性に対してどうしてもなじめない、と言うところから発祥している、と考えます。
 
 以上の話は大分精神論的になったきらいはあると思います。
 世界平和への道を東アジアから、ということの具体的な当面の目標は38度線の対立の解消であると考えています。
 北朝鮮の人々も同じ環太平洋モンゴロイドです。今でこそハリネズミのようになっているように見えるのですが、「人間は大自然に属する」という共通の深層の感覚を共有しているはずです。
 日本、韓国、台湾とそして北朝鮮の人びとにそのような感覚がよみがえることによって、おのづから平和にが戻ってくる、と信じます。
 
by masaaki.nagakura | 2012-06-14 13:09 | 想うこと
想うこと8 母なる宇宙に抱かれて(9)38度線を見て想う
 2泊3日で韓国を訪れました。仕事の関係(納品と宣伝)で行ったのですが、同行した韓国商社の社長の案内で38度線も見学しました。 リムジン川を挟んだ対岸が北朝鮮でしばらく向こう岸を見ながらとても複雑な想いを持ちました。 
 近代産業の中心舞台に踊り入り、グローバリズムの荒波の中でひた走りに走る道を選んできた(あるいは選ばざるを得なかった)韓国と敢えて世界の潮流に逆おうとしているように見える北朝鮮。
 リムジン側のこちら側は立派な建物、道路、自動車、一方対岸は田畑と人家が広がっているものの、ひっそりとして人影もほとんど見らえません。
 私に生じた複雑な想いというのは、「この石油に支えられている近代文明の中に住んでいる日本や韓国とその近代文明の埒外におかれているかのように見える北朝鮮」の奇妙な対比からくるもののようです。
 リムジン側のこちらから見れば、あちら側はこの産業中心主義と民主主義という近代文明の波に乗り遅れたいわば近代という時代のアウトサイダーの世界です。 ところがリムジン川の向こうから見ればこちら側は石油に依存した一時の繁栄に浮かれている浮き草のような世界かもしれません。
 確かに近代文明から化石燃料を取り除いてしまえば、少なくも物質面では今の北朝鮮に近い世界になるかもしれません。
 この38度線という場所はそのような想いを起こさせます。
 そしてもう一つ戦争というものの可能性が現実味を帯びて感じさせられます。
 これは決して他人ごととは言えない問題です。

 大昔にモンゴールのあたりからか、民族の移動があり、一部が朝鮮半島にそこから当時地続きであった日本列島に渡り、他はアメリカ大陸にベーリング海峡を超えて渡り、更に南アメリカに達したということです。
 南アメリカからは更にポリネシアに更にニュージーランドにも移住したようです。
 とすれば、北朝鮮も韓国もアメリカの原住民もポリネシアの人々も親戚関係にあります。
 特に日本と北朝鮮、韓国は比較的に近い親戚関係です。
 そのように考えてみても北朝鮮と韓国の対立というのは他人ごとには思えません。

 戦争をなくそうとするならば、まずこの問題から掘り下げる必要があるのでないかと考えさせられます。
 南北統一という問題に対してはこれまでも非常に多くの人々の努力が傾注されてきたし、それでも解決していないのですから生易しい話しではないことは間違いありませんが、放棄するわけにはいかない問題であることも確かです。

 
by masaaki.nagakura | 2012-06-06 08:16 | 想うこと
想うこと8 母なる宇宙に抱かれて(8)戦争の消滅への道
戦争へ向かうときは次の意識が伴われている、という話をしてきました。

(1) 存在感への脅威の感覚
(2) 屈辱感からの開放を求める意識
(3) 共通の敵に対する敵愾心
(4) 国民全体を巻き込む共感
  
このような意識が戦争に向かった場合には、悲惨な結果をもたらすのですが、人類の歴史では繰り返し、戦争がなされ、特に近代の戦争は人的にも兵器でも近代以前に比して、規模が著しく大きくなり、一層悲惨な結果を招いてきました。

この戦争に向かうエネルギーは人類の持つ、本能的な衝動のようなものと結びついていて、その衝動が一定の間隔で爆発するか、のようにも見えます。

そのような衝動はまかり間違えば、戦争を引き起こすのですが、それをより創造的な方向に向かわせれば、人類の未来をより豊かで実り多い方向に導く力になる、と思います。

現在次のような地球的規模での問題があります。
(1)地球温暖化
(2)エネルギー源の枯渇
(3)水と空気の汚染
(4)絶滅種の増大
(5)精神的病の増加
(6)成人病の増加
(7)経済の世界規模での不安定性
(8)社会的な絆の崩壊
(9)地震、津波等天災の脅威
(10)世界的な食糧不足発生の可能性

多くの人々に存在感への脅威を与えているのは実はこのような問題です。
このような脅威は個人の力ではどうにもならないものに映ります。それ故多くの人はこのような脅威から目を逸らしたいと、思うし、実際多くの人は目をそらします。
そして目をそらすことは屈辱感あるいは絶望感をも生み出します。「どうしようもない大きな力によって支配されてそこから身動きが取れない」という屈辱感であり、絶望感です。

そしてそのような脅威、屈辱感、絶望感は方向を間違えると、戦争という方向に発展します。

本当の敵は地球の他の国ではなく、人類の抱えている上記のような問題です。
それに向けて力を結集していく、というのが人類の進むべき道です。

そこで次を戦争の消滅に向かう道として提案します。

1.存在感への脅威を与えているのは上記の(1)~(10)その他の問題であることを国際的な共通認識とする。
2.このような問題を解決できないまま放棄してしまうこと事は人類全体にとっての屈辱である事を明確に認識する。
3.これらの問題こそ、人類にとっての共通の敵である、と認識し、それに対する敵愾心を燃やす。
4.これら1~3を人類的規模で共感しあう。

そしてその問題の解決のための息の長い闘争がなされていくのが望ましい道です。
そしてそのようになっていくことで人々は誇りを取り戻し、自分の中にパワーが戻ってくることを感じられるようになるであろうし、実際に地球全体を動かすまでのパワーが生まれてくると思います。

あるいは以上のような考え方は誇大妄想的であると思われるかもしれません。
しかし、私は決してそのようなものとは考えず、むしろ人類の進むべき自然の道だと思います。

人類は母なる宇宙に抱かれた、母なる宇宙の申し子です。
母なる宇宙は人類を見守り、人類の未来への道を照らし続けてくれています。
隣人や隣国に怯え、憎みあうのはもうやめましょう。
手をたづさえることで必ず良き未来が訪れると信じます。
by masaaki.nagakura | 2012-05-18 13:35 | 想うこと
想うこと8 母なる宇宙に抱かれて(7)戦争の原因 まとめ
戦争にいたらしめる原因として下記(1)(2)(4)の3つのを挙げましたが、もうひとつ戦争にいたる場合に存在するのが共通の敵に対する敵愾心という意識です。それを含めて次の4つが戦争の原因といえます。

(1) 存在感への脅威の感覚
  :自分たちの存続が何かによって脅威にさらされている。
(2) 屈辱感からの開放を求める意識
  :自分たちは屈辱的な状況におかれ、自尊心が傷つけられている。そこから開放され、自尊心を取り戻し、
  存在感を回復したい。
(3) 共通の敵に対する敵愾心
  :上記(1)(2)の原因となっているのは、この敵であり、この敵を倒す、もしくは撃退したい。
(4) 国民全体を巻き込む共感
  :上記の(1)(2)(3)にかかわる想いが国民を次々と共感の渦に巻き込んでいく。
  (これはいわば相互にポジティブフィードバックが働いて生じるなだれ現象のような様相)

「共通の敵」が敵愾心を煽るものであるためには次の感覚が同時的に存在する必要があります。
①その「敵」が自分たちの存在感を脅かしている元凶である。
②その「敵」は自分たちに屈辱感を与えている当事者である。
③その「敵」に向かって協力して立ち向かわない限り未来はない。
④その「敵」に打ち勝つことによって自分たちは、屈辱から開放され、存在感の脅威から脱却できる。

このような感覚が国民の大多数で共感されることによって敵愾心はますます煽りたてられて、戦争への決断がなされます。

なお、上記(1)~(4)の4つは「戦争の原因」というより、「戦争に傾斜していくときに多くの国民の意識に見られる現象」と言う方が適切かも知れません。 しかし、このような意識が国民に発生しなければ、戦争には至らないであろう、という意味では原因と言ってもいいのでしょう。

では戦争をなくすためにはこのような意識の持ち方を変えれば良いのでしょうか?
事はそう単純ではないように思えます。 というのは上記(1)~(4)というのは戦争でなくても人間が共同して何かを成し遂げようとする際に出てくる意識であり、これがあるので人間が大きなパワーが出せるという面があるからです。 このような意識を出させないようにすることが、人間から大きなパワーを結集する力を奪ってしまう可能性があります。

このような人間のパワーを奪わないで、戦争をなくすためには「自分たちの存在を脅かし、屈辱感を与えている真の敵は何なのか」ということについて国民的な規模での、否、国際的な規模での思索がなされて、追求され、共感が成り立ち、それに向けてのパワーが国際的に結集されていくこと」が必要だと思います。
by masaaki.nagakura | 2012-05-16 08:44 | 想うこと
想うこと8 母なる宇宙に抱かれて(6)戦争の原因3.国民を巻き込む共感
 戦争の原因として、存在感への脅威と、屈辱感からの開放を求める心情の存在について、またそれらの心情は個人が喧嘩するときの心情に近いことを話しました。しかし一方非常に大勢の人間を動員すると言うことにおいて、個人の喧嘩とは異なるということも話しました。
 戦争に兵士として参加するのは職業軍人、志願兵、国家の徴兵の3種でしょうが、特に第2次世界大戦では徴兵が多かったようです。 兵士への総動員数は720万人位で戦争開始の軍人数240万人から480万人が徴兵されたことになります。 総動員数の3分の2が一般の人から徴収されたということになします。
 また、総動員数の人口に対する比率を見て見ます。当時の日本の人口が7100万人程度ですから10人ひとりが兵士となったことになります。さらに、兵役に適した性別(男子)、年齢と体力の持ち主は2000万人程度でしょうか。その3人に一人以上が戦争に動員されたことになります。 兵士として動員されなくても、戦争のための資材、食料、兵器等を生産する人の数は非常に多く、何らかの形で成人男子の大部分、家庭を守る専業主婦以外の成人女子の大部分が何らかの形で戦争に関わったと言えるでしょう。
 これらの戦争に関わった人たちは不本意ながら、それに関わったのでしょうか。無論不本意な人たちも多く居たに違いないのですが、大多数の人はむしろ積極的に関わったと思います。(これは私が、親たちや戦争を経験した人たちの話を聞いたり、当時に書かれた文章を読んだりして得た想いです。)
 一方では積極的に戦闘意欲を煽る宣伝は絶えず行われて、それが、否応なしに人々の意識を戦争に駆り立てたのだとも言えるでしょう。 また、「一部の軍人が国民を引っ張ってしまったから」とか「兵器産業により繁栄する大企業や財閥が、背後で操っていた」とかいう話がなされることがあります。恐らくそういう面もあったでしょうが、このような話がなされた場合によく考えなければならないのは、一方でそれに引っ張られた、あるは操られた多くの国民がいた、と言う事実です。
 「引っ張られた、あるいは操られた国民は犠牲者である」、という考えが出される場合もあるようですが、これは戦争責任あるいは戦争の原因を一部の人たちに押し付けることで、むしろ真の戦争の原因を探ることを放棄させる考え方であろう、と思います。そしてそのような考えからは、未来の戦争を食い止める思想も生まれてこない、と思うのです。
 多くの国民が戦争に積極的に関わったということは事実であり、この事実を真っ直ぐに見て、戦争の何たるか、を探ることで、未来の戦争を防ぐ考え方も生まれてくると思います。
 
 「太平洋戦争において日本の多くの国民が戦争に積極的に関わった」ことの背後には「戦争に向って行くこと、そして開戦に至るまでに多くの国民の心情的な共感があった」と、考えられます。
 更に具体的な形では「ここまで追い詰められている状態に甘んじていたら日本民族は滅びてしまう、闘う以外に選択の余地はない、これは正義のための戦いである」と言うような考え方への心情的な共感が、あったであろうということです。
 
 このような共感が創出される過程にはマスコミニュケーション(当時では主に新聞とラジオ)の存在があったことは否めません。
 しかし、だからと言ってマスコミニュケーションに戦争の責任があるのか、と言うとそうとも言えないでしょう。実際マスコミニュケーションを作っているのも国民の一部の人たちであるし、またマスコミニュケーションは往々にして国民が望むような報道をするということ、言葉を換えれば、マスコミニュケーションは国民の心情を映し出す鏡のような働きをしているとも考えられるからです。

 現在より考えると理不尽に思える、このような戦争に対する共感がどこから出て来たものか、もっと考えてみる必要がありそうです。

 ここでより一般的に人間集団において「共感」と言うものが何故存在するのか、について考えてみたいと思います。 
 人間集団あるいは社会(家庭、企業から国家)が一つの方向に向かって大きな力を発揮するためには成員による協力は不可欠です。 そして協力が良い形(相互に矛盾する行動が少ない)でなされるためには成員による共感が非常に重要です。
 その意味で「共感」は人間集団が継続的に存続していくために不可欠の要素と言えるでしょう。
 お互いに共感をもちつつ何かを成し遂げていくことは多くの場合楽しいことであり、そこに生きがいや充実感を感じるものだと思います。
 従って人は共感しあうことを求めあっています。
 実際の組織は常に成員が十分な共感を持ち得ているかと言うとむしろそうでない場合が多いようですが、やはり共感しあうことは求めていると思います。

 再度言いますが、共感そのものは人間が人間集団あるいは社会を作る以上必要不可欠です。
 しかし、戦争に向かわしめる共感というのは一体何なのでしょうか。
 人間社会にとっては必要不可欠な共感でも、戦争の場合の共感はその共感が誤った方向に流れてしまったのでしょうか。
 戦争の場合の共感は著しい特徴として、共通の敵に対する怒りや憎悪を伴う敵愾心が発生することです。
 次はその敵愾心も加えて戦争の原因をまとめます。
by masaaki.nagakura | 2012-05-07 15:02 | 想うこと
想うこと8 母なる宇宙に抱かれて(5)戦争の原因2.屈辱感からの解放を求める意識
 存在感への脅威が国民の大多数に浸透することが戦争が開始される条件であることを述べました。
 そのような脅威の感覚は具体的な事件などで「事実上の脅威」として認識されます。 たとえば日本が真珠湾攻撃を行ったときに大義名分の一つとされたのは「欧米による不当な海上封鎖」です。
 しかし、それを国民の大多数が脅威として感覚し、開戦を支持した裏には歴史的に形成された心情があるように思います。
 それはペリーの来航以来日本人の心情に刻み込まれた欧米への脅威の感覚です。
 その脅威の感覚というのは、初めて近代文明の持つ底知れない力を目の当たりにし「西欧が力において日本よえる遥かに勝っているかも知れない」すなわち「日本人は彼等に比して遥かに劣っているかもしれない」という劣等感あるいは屈辱感も伴っているものであったのかも知れません。
 実際に徳川幕府が(不平等条約か否かはとも角)日米和親条約と引き続く日米修好通商条約いう二条約を受動的に結ばされたという事実は、当時芽生えつつあった日本人の心情にくすぶる劣等感あるいは屈辱感を大いに刺激したものと考えられます。
ペリーの来航を機に芽生えた攘夷の思想は非常に激しいものでした。
 太平洋戦争の開戦はその時以来潜在的にくすぶってきた屈辱感から解放される、という感覚を国民の多くに与えたのではないか、と思うのです。
 ペリーの来航以後明治維新があり、富国強兵策に進んで、日清、日露戦争があり、その延長線上に太平洋戦争がありました。この歴史は日本人がペリーの来航以来心底に感じてきた欧米への屈辱感から脱却しようとしてきた歴史ではなかったのか、と思うのです。

 個人においても劣等感から屈辱感へ、また屈辱感から競争心、向上心、克己心への道は成長(もしくは自己変革)の過程でよくあることでないかと思うのですが、これは国家においても同じようです。

 しかし問題はその成長(もしくは自己変革)の過程において戦争を伴ったということで、ここには個人の自己変革(これもいろいろ形はあるでしょうが)とは異なる何かがありそうです。

個人も喧嘩をすることはよくあります。
 口論だけでなく殴り合いと言うのもあって、これは社会的には「暴力沙汰」とも言われて、一般に良いものとは考えられてなく、一方が怪我をすれば法律で罰せられることもあります。
 
 個人には法律でも認められない「暴力沙汰」が戦争と言うことになると、正当化されてしまう、と言うのは何故なのでしょうか。 ただ、ここで考えなければならないのは、「それを正当化している」のは戦争を遂行しようとしている国家であって、周りの国は必ずしも認めていないのです。 個人の場合であっても喧嘩をしている当人は多くの場合自分に正当性があると思ってしているのでしょう。

 どうも戦争というのはその底に個人の喧嘩と相当類似した、心情的な構造を持っているようです。 

 個人の喧嘩と言うのも日頃から「相手が自分を馬鹿にしる」とか「相手を日ごろから生意気であると思っていた」とか「自分を軽んじている」とか、「自分の弱点を責める」とか一方的あるいはお互いにそう思っていた場合に、何か具体的なこと、自分の権利を侵害されたと思うようなことをキッカケに始まることもあるようです。それから弱いものいじめと言うのもあって、これは特に引け目(劣等感)を感じている人が、自らと同様の弱点を持っていると見た人をいじめて、その引け目を克服しようとする(劣等感から解放されようとする)場合もあったり、あるいは集団内の異分子的な性格の一人をいじめて、それにより、自分達の結束を強めようとしたりする場合もあるようです。

 国家のしている戦争と言うのも心情的な構造はそれらの個人や集団の場合と大差ないようにも見えます。
 しかし、国家の場合にはそれが、非常に多くの人数を動員する、と言うのが個人の喧嘩とは相当に異なっています。 
 
  まず非常に大勢の人数を動員する、と言うことについてどうしてそのようなことが考えてみたいと思います。戦争に兵士として参加するのは職業軍人、志願兵、国家の徴兵の3種でしょうが、特に第2次世界大戦では徴兵が多かったようです。 兵士への総動員数は720万人位で戦争開始の軍人数240万人から480万人が徴兵されたことになります。 総動員数の3分の2が一般の人から徴収されたということになします。
 また、総動員数の人口に対する比率を見て見ます。当時の日本の人口が7100万人程度ですから10人ひとりが兵士となったことになります。さらに、兵役に適した性別(男子)、年齢と体力の持ち主は2000万人程度でしょうか。その3人に一人以上が戦争に動員されたことになります。 (つづく)
   
                  

 


(つづく)
 
by masaaki.nagakura | 2012-03-27 08:36 | 想うこと
想うこと8 母なる宇宙に抱かれて(5)戦争の原因1.存在感への脅威
 森の精になって

1.今日の私は森の精、
 カブトムシの子達の巣を準備。

2.手鋸片手に篠(しの)を刈り、
 カブトムシの子達の巣を囲う。

3.熊手を持って落ち葉かき、
 篠の囲いに運びます。

4.落ち葉の上に糠(ねか)を振り、
 落ち葉の熟成助けます。

5.やがて落ち葉は熟成し、
 カブトムシの子達の餌になる。

6.カブトムシの親が卵産み、
 カブトムシの子達が孵ります。

7.カブトムシの子達は落ち葉食べ、
 どんどん大きく育ちます。

8.やがて羽はえ大空に、
 カブトムシの子達が巣立ちます。

9.今は立派なカブトムシ、
 コナラの森で蜜を吸う。

10.そのうち伴侶に巡りあい、、
 カブトムシの子達もできるでしょう。

11.森の命の循環を、
 思うて落ち葉を集めます。

12.今日の私は森の精
 カブトムシの子達の巣を作る。

(以上の詩は本文とは直接関係はありません)
 
 戦争は人類の歴史が始まってから、世界のどこかで殆ど絶え間なく起こっていたようです。
 戦争はいずれにしろ悲惨なものだ、と思いますが、特に近代の戦争は「科学技術による恐ろしく強力な兵器」の登場と「非戦闘員をも巻き込む戦争の形態」により、歴史上かってない悲惨な結果を招いてきました。
 以下は特に近代の国家間の戦争について原因を考えてみることにします・

 近代の国家間の戦争の原因というのは市場や物資の争奪にある、というような話がされることがあるようですが、私は決してそうではないと思っています。 それらは戦争のキッカケにはなったかも知れませんが、やはり根本では人間の心が引き起こしているものだと思います。 そこのところを十分に考えて原因を探っていかない限り、これからの戦争を防ぐことも出来ないと想えます。
 
 近代の国家間戦争の開始の多くのパターンは、「存在感が脅かされたと感覚した国家(以下国家A)が、存在感を脅かしたとする国家(以下国家B)に対して攻撃を開始し、国家Bが応戦する」というものです。
 
 実際にはほとんどの場合に、国家Aは戦争の開始の理由として「存在感が脅かされた」とは言わずに「存在が脅かされた」と主張して戦争を開始します。
 しかし、根底にあるのは国家Aの成員の多くに兆した存在感への脅威である、という点に注意する必要があると思います。
 それは国家Aの成員の多くにそのような脅威の感覚が共有化されない限り、成員の多くを動員した戦争にはなり得ないからです。

 国家Aの成員の意識を戦争に導くために、戦争のリーダー達は具体的な脅威の事実を時には針小棒大あげながらその脅威が如何に危険なものであるかを成員に宣伝します。この宣伝のために近代に発達したマスコミニュケーションの場が大いに利用されてきたのは悲しいながら真実です。多分新聞やラジオがなかったら、あれほど大きな戦争は起こせなったのではないか、とも思えます。

 戦争には国家間の戦争以外に民族間、宗教間および思想的な対立による戦争があります。
 民族間、宗教間の場合は過去の歴史おり相互の集団内で相手に対する脅威の感覚が共有化されている場合が多く、何かの事件をキッカケに眠っていたかも知れない脅威の感覚が呼びさまされて戦争に発展したりするように思います。このような戦争を駆り立てるのに多分マスコミによる宣伝は不要です。
 思想的な対立による場合として、現状の政府を覆そうとする社会的集団が現状の政府に対して仕掛ける場合があります。 この場合には「存在感が脅威にさらされた」というより「自らの存在感を得よう」という動機で戦争に至るように思います。 この場合は重要なのは成員による思想の共有化です。

 近代における国家間の戦争は必ずしも相互に歴史的な対立があるわけでもない国家間でなされています。ですから戦争を始める国は相手の国家が如何に危険であるかを、国民に徹底的に宣伝して、脅威の意識を浸透させなければ始められない訳です。

 しかし、戦争をすることが国民に大きな犠牲を強いることは国民のほとんどに解っている筈です。
 それなのに戦争のリーダーによる宣伝を受け入れて、戦争に賛成するのは何故なのか、そこのところを良く考えてみる必要がありそうです。



 
 
by masaaki.nagakura | 2012-03-21 01:01 | 想うこと
想うこと8 母なる宇宙に抱かれて(4)人の心に関する仮説
 
  金星と水星の恋物語

1. 水星が金星に寄り添っている。 
  金星がビーナスならば水星は水の精。
  ビーナスに焦がれる水の精。
  いつから始まった恋かしら。

2. 金星はキラキラ、水星はホンノリ
  輝いて話している。
  金星は賑やかに水星は恥ずかしげに
  春の夜空の恋物がたり。

3. 天空は周り、水星は西空に沈む。
  さよならビーナスまた明日。
  水の精を見送ったビーナスは
  一層キラキラ輝いて春の夜空を
  賑やかす。 
 
(以上の詩は本文と直接の関係はありません) 

 現在の私達がこれから向かうべき最大の課題は次の3つだと想います。

 一、悲惨な戦争を繰り返さない。 
 二.地球環境を破壊から救う。
 三.人をあらゆる苦悩から解放する。 

 地球環境の破壊、戦争、苦悩等は全て人の心から作り出されたものです。
 従ってこれらの課題を解決するのも人の心です。
 であるとすれば、私たちはこれらがどのような人の心から起こり、またどのような人の心の持ち方によって解決できるかの道を探る必要があると思います。

 これらの課題を解決する道を探るために人の心に関する次の仮説を立てます。
1. 人は本来この母なる宇宙と合一した存在である。
2. 人は自己を個体存在として認識した瞬間(我あり、とした瞬間)から宇宙との合一状態から離れる。
3. 人は本来「宇宙と合一した存在」であるが故に「宇宙と合一した状態」に戻ることが可能である。
4. 一方人は社会的集団を作り、その社会的な集団の中で生きる。
5. 社会的集団はそこに所属する人を個体的存在として認識し、責任を持たせあうことによって存続できると考えられている。
6. 従って社会的集団の中では人は得てして「宇宙と合一した状態」に戻ることが困難になる。
7. 人は深奥に「宇宙と合一した状態」に戻ることへの希求を持つが、往々に社会の中でその深奥の希求は意識に上らない。
8. 社会は人が「宇宙と合一した状態」に戻ることを阻止する作用を及ぼしている。
9. 孤独感の本質は「宇宙と合一した状態」に戻りたいけど戻れないという感覚である。
10. 社会は人に「宇宙と合一した状態」に戻ることが出来ない代償として賞賛、名誉、地位、富、権力を用意する。 これらは社会が存続するために必要なものでもある。
11. 賞賛、名誉、地位、富、権力により人はその所属する社会集団の中での存在感を獲得する。
 しかし、この存在感は「宇宙と合一した状態」の代償である故、満足されず、人をあくなき富や権力の追求に人を導く場合がある。
12.社会の中で得られる存在感は「社会に密着して生きている」という感覚で、これは「母なる宇宙と一体である」という感覚に近いものである。 
13.人はこの社会の中での存在感を熱烈に求める。存在感は「母なる宇宙と一体である」という感覚に近く、それはまた孤独感をも和らげるからである。
14. 人に存在感を与えるものは賞賛、名誉、地位、富、権力のみでない。怒鳴り散らしたり、脅かしたり、消音機をはずしたバイクを飛ばしたり、泣いたりしても存在感を得ることが出来る。時には犯罪すら犯す。
命を懸けることもある。
15. 人は多くの場合いかなる形にしろ、存在感だけは確保するように悲しいまでの努力をする。
16.人は何かを希求するときに同時にそれが得られないことへの不安と恐怖が起こる
17. 人は社会の中で存在感を最も強く希求するがゆえに、存在感を失うことを最も恐れる。
18.人は自らの存在感を失わせようとしていると想える他者に最も強い敵意と憎悪を覚える。
19.人は自らに存在感を与えてくれていると想える他者に愛や敬意を抱く。
20. 人は自らより強い存在感を有する他者に対して、敬意、羨望、妬み、劣等感等を覚え、敵意や憎悪に発展する場合がある。
21.人は自らより弱い存在感を有する他者に対して、憐み、軽視、軽蔑、優越感等を覚え、場合によりその他者を支配しようとする。 いじめや迫害に発展する場合もある。
22.人が心の深奥において自らが「母なる宇宙に支えられて生きている」と感覚している限りにおいて、自らの存在感に不安がなく、この社会をも受け入れることが出来、全ての人に敬愛の情をもって接することが出来る。
23.人が現世における体験の結果などにより「この宇宙は自らに敵対している」と感覚している限りにおいて、自らの存在感に不安を覚え、この社会を受け入れることが出来ず、全ての人に敬愛の情をもって接することが難しく、羨望、妬み、劣等感あるいは軽蔑、優越感、敵意、憎悪等の情を持って接しがちになる。
24.人はより強い存在感を得るために自らの所属する社会的集団の規模を拡大しようとする場合がある。
 特に国家はそのようにして出来た社会的集団の極限である。
25.近代国家を構成する成員(国民)の大多数は自らの存在感に不安を感じており、その集合体である国家は常にその内に不安を抱えた存在となる。
26.いかなる近代国家も国民の存在感を強めるのが最大の使命である。
27.国家は地位、爵位、学歴による差別、褒章等を設けて国民が存在感を強めるための機会を与え、同時に国民を国家の望む方向に誘導しようとする。
28.国家は「この世界は脅威に満ちており、国家がその脅威から国民を守っている」というメッセージを国民に送り続けようとする傾向を持つ。もしこの世界が脅威に満ちていなければ、国家の存在意義は薄いものになるであろうから。
29.国家が一個の人格を持つとすると上記22.の感覚、すなわち「自らが母なる宇宙に支えられて生きている」という感覚ではなくて、上記23.の感覚すなわち「この宇宙は自らに敵対している」という感覚になりがちである。これが国家が戦争をする底流にある感覚である。
(つづく)
by masaaki.nagakura | 2012-03-20 20:02 | 想うこと