カテゴリ:イタリア紀行( 10 )
イタリア紀行(10)まとめ
長らくこのブログの更新をしていません。これには理由があって、「ボローニャ旅日記」と言うのを旅の仲間(総勢8人)の意見を反映しつつまとめていたためです。ようやく形が出来てきました。ためし製本をして1昨日(10月23日)旅の仲間に郵送しました。そして最終意見を反映したものを完成版として、製本し、またインターネットで公開の予定です。 イタリア紀行に関するブログはこれでお終いにします。続きに御関心ある方は是非後日公開予定の「ボローニャ旅日記」をご覧ください。それは私だけでなく、参加者一同の意見や感想がは反映されたもので、きっと面白く読んでいただけると思います。

ここではその[ボローニャ旅日記」の中の私の感想だけを記載します。

6. 世界史を見せてくれたボローニャ
埼玉県小川町在住 長倉正昭

赤井芳昭さんは本書の感想文で「屋根」と言う映画について「老警官の眼差し」が心の奥にずっと残っていると書かれている。私はこの映画は見ていないが「鉄道員」(Ferroviere)と「ニューシネマパラダイス」とかのイタリア映画には強い感銘を受けた。これらの映画に共通して漂っているのは「庶民の生活の匂い」と「暖かい血の通う人間味」ではないか、と思う。
このような映画を通じてだろう、イタリアには米国や他のヨーロッパの国以上に親近感を覚えていた。
短い期間ではあったけれども、イタリアを旅してみてその感覚は間違っていなかった、と再確認できたように思う。
特に案内役のベルトッチさん、ジャンカルロスさん、運転手のマッシモさんはとても率直に且つ親しく対応していただいて有難かった。
近頃は日本ではほとんど見られなくなった物乞いの姿も私にはノスタルジックな印象を引き起こした。多分古代ローマにはこのような物乞い達も居て、それが現在にも繋がっているという事だ、というようにも思えた。
イタリアが面白いのはそのような「庶民の生活の匂い」が漂う一方において、それが古代ローマ帝国を建設し、ルネッサンスの先駆けとなり、華麗な芸術を生み出し、更にカトリックの教皇が住まわれる国である、という事。
この絶妙なコントラストがイタリアの魅力ではないのだろうか。

今回の旅先はボローニャとフィレンツェという限られた都市だけだったけれど古代から今に至るまでの歴史的な遺産は十分に豊富だ。
時を超えて、古代も中世もルネッサンスも近代もそのまま現在という時間の中に共存しているという感じである。
今回の旅でヨーロッパの歴史、否世界史と言うものが、生き生きとした実感をもって立体的に且つ、親しげに見えてきた、という気がする。

私は近代と言う時代は既に終焉に差し掛かっていると感じている。顕著ではないがあちこちで新たな時代に向けての胎動が始まっているのではないだろうか。職人組合CNA、有機農場COPAPS等はその胎動の始まりかも知れない。
イタリアには今後も新たな時代へのチャレンジを継続することを期待するが、私達日本人も良き未来を創造すべく大いに知恵を出していきたい。
私自身もそのために何を出来るのか、模索中である。

最後に私達にこのような旅の機会を与えてくれた富士国際旅行社の方々、親しく案内をしてくれたベルトッチさん、ジャンカルロスさん、素敵な場所に私たちを運んでくれたマッシモさんに感謝の意を表します。

(補足説明:ヨーロッパの歴史を観ると、ローマ帝国、キリスト教、ルネッサンスと言うのはいずれも時代の大きな節目を作ってきた。
イギリスの歴史学者でトインビーと言う人が「歴史の研究」という書を残していて私はそれを若いころに読んで大変感銘を受けた。
以下は私の記憶からであるが、その書によるとある文明が崩壊していく過程では内的プロレタリア―トと外的プロレタリアートが出現し、それがその文明と対抗する勢力になるという事。
古代ローマ帝国の内的プロレタリアートはキリスト教であり、外的プロレタリアートはゲルマン民族等の蛮族戦闘団体であった、と言う。やがて古代ローマ帝国の内的プロレタリア―トであるキリスト教がヨーロッパを席巻し、古代は終焉し中世と言う時代になる。また時代が過ぎてキリスト教中心の中世に対抗するルネッサンスという活動が現れる。そしてこのルネッサンスと言う活動から近代が生まれる。そしてその近代が私たちの生きている今に繋がっている。
このようにイタリアと言う国は古代、中世、近代そして私達の生きる今に至るまでの変革を齎したローマ帝国、キリスト教、ルネッサンスのいずれにおいてもその渦の中心となってきたという事は驚異的なことではないだろうか。)
by masaaki.nagakura | 2013-11-25 19:58 | イタリア紀行
イタリア紀行(9)ボローニャの旅(実践編の1 7月23日)
帰国して10日位過ぎました。この間旅のメモをまとめたりしていました。
その記録は後日この旅の参加者8名でまとめて、公開の予定です。
ここからは私の印象録です。
 7月23日9:25アリタリア航空AZ783便にて成田を立ち、12時間45分にて15:10ローマ空港着、17:25ローマ発18:35ボローニャ空港着。
 ボローニャ空港にはガイドのベルトリッチさん(Bertozzi Daniele)が迎えてくれました。マッシモさんの運転するマイクロバスに乗り込みました。このマッシモさんのマイクロバスはこれからボローニャを去るまで私たちの足となってくれまさう。マイクロバスは一路私たちのこれから宿泊するホテルインターナチオナーレに向かう。途中新市街を通過しました。ここは衛星写真で見ると旧市街に匹敵するほど広い。ベルトッチさんの話では建物は主に第二次大戦後に作られ、ボローニャ大学の学生が大勢住んでいるという事、因みに大学生の数は凡そ10万人。ベルトッチさんに「ボローニャ市民の平均年齢は51歳(イタリア平均は43歳)とネットで調べたが本当か」と聞いてみたら、「そうかも知れないが大学生は市民として登録していないからそれは大学生を含まない平均年齢だろう」という事です。

 ホテルに荷物をおいてから、ベルトッチさんの案内で近くのスーパーで買い物。それからレストランにてパスタとワインで夕食。ベルトッチさんにイタリアの経済について聞いたら「大変悪い、原因はいろいろ考えられる、東欧からの安価な物資の輸入、40%という高い税金、政治家が国家のことを真剣に考えていないことなど」という話。ベルトッチさんは日本で東洋美術の研究をしていたこともある人、参加者の一人が「日本人とイタリア人のどちらが幸福と思うか」と聞いたら、「数年前なら日本人と答えただろうが、今は判らない、ホームレスは日本と同じようにイタリアにもいるが、イタリア人は困っている人は助けるという気持ちが強い、だからイタリアの方が安心して住めるかも知れない」という答えでした。

長倉正昭感想:この「安心して住める」という感覚が持てることは何よりも大切な事でないか、そしてそのために助け合うという事。これは単純なことではあるが人々が社会を作り共に生きていくために不可欠な原点ではないか、と改めて思う。今の日本に「この困った人は助けよう」という感性がどこまで残っているのか?

補足説明:イタリアは20の州から成り、各州に県があり、全国での県の数は110、県の中に日本でいう市町村と似た地方自治体(Comune:コムーネと呼ぶ、共同体の意)がある。
 以下ではこの地方自治体(Comune)を市と訳す。
イタリアは県と県庁の所在地である都市の名前が一致している。ボローニャ市(人口約37万人)はボローニャ県(人口約100万人)の県庁の所在地(県都)でもあり、またボローニャ県の属するエミリア=ロマーニャ州(人口約440万人)の州都でもある。
なお、この記録でボローニャと言うボローニャ市のことを意味することにし、ボローニャ県を指す場合にはボローニャ県と記す。
イタリア半島の形は長靴に例えられるようだが、足(あるいはお尻と足)に例えた方が各地方の位置を示しやすい。もしイアリアを右足に例えるとボローニャの属するエミリア=ロマーニャ州は内股の辺で、ボローニャはその内股の中心付近(内陸部)に位置する。
ボローニャの属するエミリア=ロマーニャ州の西南(足に例えると太ももの位置)はトスカーナ州でトスカーナ州の州都がフィレンツェである。エメリア=ロマーニャ州とトスカーナ州の間はアペニン山脈が横たわる。
ボローニャ市を衛星写真で見ると、東西に走る鉄道を境に旧市街と新市街が歴然と分かれている。旧市街は鉄道の南に位置し、新市街は鉄道の北に位置する。旧市街を衛星写真でみると直径は2km程度、南東の方向に引き伸ばしたような5角形、やや細かく見ると7角形の広い道路に囲まれている。この道路はかって城壁のあったところと言う。
新市街の広さは衛星写真では旧市街に匹敵する、あるいは更に広い。第2次大戦後に建てられた建物が多いというが、日本人から見ると近代建築と言うよりやや古風な鄙びた建物が多いと思う。しかし、旧市街に入ると歴然と長い歴史を経たと思わせる建築群に取り囲まれる。これが本物だ、いよいよボローニャに来た、と実感する。
by masaaki.nagakura | 2013-08-10 18:25 | イタリア紀行
イタリア紀行(8)マッジョーレ広場(空想編)
いよいよボローニャの中心となるマッジョーレ広場(Piazza Maggiore)に来ました。
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上の写真の正面にあるのがサン・ペテローニオ大聖堂(Basilica di San Petronio)です。
14世紀から2世紀にわたって建設がつづけられ、ローマのサン・ピエトロ寺院を超える予定でしたが、バチカンからの干渉で中座してしまったと言います。 それにしてもでかい。
この大聖堂を斜め上から見るとこのように見えます。
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更に上空から見るとこのように見えます。(自由な角度から見れるのが空想の旅の良いところ?)
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この写真の真ん中がマッジョーレ広場で街の中心であるのがうなずけます。
ボローニャではどこに行くにもマッジョーレ広場からいくのが分かりやすいという事です。「すべての道はローマに通ず」ではなくて、ボローニャでは「すべての道はマッジョーレ広場に通ず」と言いう事でしょう。
大聖堂を目印にして上空からもっと右を見ていきます。
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大聖堂の向かいがボデスタ宮殿です。1階にはマッジョーレ広場を見渡せるカフェも。
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大聖堂と簿留守た宮殿の間にボローニャ市庁舎。
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更に上空から右を見ていきます。
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更に右を見ていくと3つの塔が見えますがどれかがアシネッリとガリゼンダという2つの斜塔でしょうか。
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ネットでボローニャの絵地図を見つけました。この地図と衛星写真を組み合わせてみたら、上記の写真の塔はどれもアシネッリとガリゼンダという2つの斜塔ではないようです。
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空想旅行はもっと続けたかったのですが、出発の時間が近づきました。
これで空想編は終了です。
by masaaki.nagakura | 2013-07-16 22:57 | イタリア紀行
イタリア紀行(7)小川町とボローニャの比較
この辺で私の住む埼玉県小川町とボローニャを比較してみます。
というのも、ボローニャに行く目的の一つとしてボローニャから小川町のよき未来につながる何かを見つけてきたい、というのがあるからです。
小川町のホームページによると現在の人口は3万3千人くらいです。
一方WIKIPEDIAのボローニャの中の統計には次の記述があります。

「ボローニャの2007年の人口は37万2256人(2008年に37万4460人)だった。そのうち46.7%が男性、53.3%が女性だった。年金生活者は27.02%(イタリア平均19.94%)だった。平均年齢は51歳(イタリア平均42歳)である。2002年から2007年までの5年間での人口増加率は0%(イタリア平均3.56%)である[1]。最近[いつ?]の出生率は人口1000人に対し8.07人(イタリア平均9.45人)である。
2006年の調査では、人口の91.88%がイタリア人だった。最大の移民グループはルーマニア人とアルバニア人である。その他フィリピン人の多い東アジア系2.82%、バングラデシュ人の多い南アジア系1.39%である。」

小川町の2013年の人口は31,954 人でボローニャは小川町の11倍です。そんなに人口の相違がある地域を比較して意味があるのか、確かに疑問ではあります。 人口の同じくらいと言いと埼玉県では川越市が32万7,881人でボローニャには近いのです。

しかしここでは敢て小川町とボローニャの比較を続けます。(言い訳をすると、ボローニャもナポレオン占領時には7万人(ボローニャ紀行による)で小川町の2倍程度です。これは多分AC1800年頃であって、ボローニャ大学の作られた1088年にはもっとずっと少ない人口、多分今の小川町より少ない人口の町であったでしょう。時間を越えた話をすれば人口の多寡は問題ではないのです)

次に小川町の平均年齢ですが、明確な数値は見つからず44歳~48歳の間のようです。ボローニャは51歳で一層高齢者が多いようです。埼玉県で一番平均年利が高いのが小川町のお隣の東秩父村で50.1歳で、ボローニャはそれより高いことになります。 東秩父村の平均年齢が高いのは多分ですが、子供が仕事を求めて都会の方に出て行ってしまうからでしょう。 因みに埼玉県で平均年齢が最も低いのは東京に隣接した戸田市で39.6歳です。
ボローニャは都会であり、仕事はありそうで若者が外に出ていかなければならない事情はないと思うのですが平均年齢が51歳でイタリア人の平均年齢43歳(日本人は44.9歳)より9歳も上なのです。これには何か理由がありそうです。 年金生活者が27.02%とイタリアの平均19.94%に比してかなり高いのは平均年齢の高さと連動するということでうなずけますが、なぜそんなに高齢者が多いのかという理由は気になります。これについてはボローニャに行ってから探ってみたいです。

次に男女比ですが小川町は男性が15,735、女性が16,219で男性49.2%、女性50.8%(日本人全体では男性48.6%、女性51.4%)です。ボローニャは男性46.7%、女性53.3%で大分女性の割合が高いことになります。これも何かわけがありそうです。

さて、小川町とボローニャの比較は以上の他に地形、政治、伝統産業、産業構造、歴史、学校制度等についても進めてみたいのですが、これには相当時間がかかりそうで、また旅立つ日も一週間先と近づいてきたので、あとは帰国してから、折りを見て、という事にします。
by masaaki.nagakura | 2013-07-06 19:05 | イタリア紀行
イタリア紀行(6)ボローニャ大学(空想編)
今日はボローニャ大学(Università di Bologn)に来ました。
向こうから学生たちが走ってきます。日本から来た私を歓迎してくれているのかな!(というかこれはボローニャ大学のホームページのトップの写真です。) このラフな格好は日本の学生と大差ないようです。
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ここは何といってもヨーロッパ最古の大学で「母なる大学」ともいわれるとか。
1088年創立で、こんな1350年代の講義風景の絵が残っているということ。
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今の大学と服装は無論違うのですが、更に違うのは大学の運営者は学生たちであって、教授は学生たちに雇用されていたということ、そして大学の固有の建物というのはなくて教授の家やおそらくは貴族の館が講義室として使用されていたという事です。 
現在のボローニャ大学は建物もあり、また運営権は大学側にあるという事で、現在の日本の大学と同じです。一方「ボローニャ紀行」によれば日本の大学と非常に違う点があります。入学試験がなくて1000ユーロ払えば入学できるという事です。その代り大学に入るには高校卒業資格が必要でこれが結構難問ということです。 またボローニャ大学に入学しても卒業するには多くの単位取得試験に合格する必要があり、これがまた相当難しいという事です。

次はボローニャ大学の現在の講義の風景。この席がまばらな感じなど日本の大学にもありそうな風景です。
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ボローニャ大学からはかってダンテ、ガリレオ、コペルニクス(この順に顔写真)などルネッサンス初期の大物が続出しています。
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現在のボローニャ大学の教授には教授紹介のサイトで会えます。
女性の教授(たとえばこの人)が多いのに驚きますが、大学のアピールの意味で主に女性教授に登場してもらっているのかも知れません。

次は卒業式の風景と思われます。(これも大学のホームページから)
学生たちの背後にはやや古風な大学の建物が見えます。
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ここからまた未来のダンテ、ガリレオ、コペルニクスが巣立っていくのでしょうか?
by masaaki.nagakura | 2013-07-04 21:57 | イタリア紀行
イタリア紀行(5)CNAと産業博物館(空想編)
イタリアにはCNAという民間の連合体があります。これは日本語では(ネットで見ると)職人・小・中企業全国連盟、職人業全国連合、イタリア中小企業/職人企業連合などと訳されています。イタリアにはそれこそ中世の徒弟制度を思わせるような小人数(平均3~5人)の職人企業が数多く(2万5千とも)あり、その連合体がCNAという事です。ボローニャにはこのCNAのエミリア・ロマーニャ州支部があります。 因みにエミリア・ロマーナ州というのはボローニャが属する州でボローニャはこの州の州都です。
ネットに掲載された「仙台印刷団地クラスター革新プロジェクト2008」の大和田美香氏の文を引用させてもらうとCNAとは次のような連盟です。

「CNA=職人・小・中企業全国連盟
民間の連合体。全国組織の非営利団体。
・ボローニャ県の本部には県の職人企業2万9000社の約半分が加盟。
・加盟企業は300種。そのうち製造業(機械メーカー、部品生産、繊維、縫製、靴など)が55%、サービス業40%、芸術・伝統産業4%を占める。
・CNAに加盟すると、該当する業種別連合に登録され、創業相談、世界市場・行政・技術革新などの最新情報の提供、会計税務サービス、環境・社会保障の相談、製品開発・ITを含めた技術指導、職員研究、銀行からの融資獲得、行政からの補助金獲得、後継者のいない企業への後継者探しなどのサービスが受けられる。
・グローバル競争の中でEU、中央政府、州政府に対する働きかけを行う。
・持てる情報分析力と自治体とのコネクションを生かし、グローバリゼーションに向け、業種ごとに様々な提案を行う組織。
◆町工場の創造的なものづくりと高い技術水準を支える。」

私はイタリアに昔から続いていた家内工業のようなものがCNA連合体を作ってお互いを守りあっているのか、というような想像もしたのですが、上記大和田美香氏の話ではボローニャでは1950年代から積極的に職人企業が親会社から独立する形で増えていったという事です。再び同氏の文の引用です。

「・第二次大戦後、イタリアに特徴的な中小企業・職人企業あるいは家族経営の企業はアメリカ型大資本に太刀打ちできず、不況に喘いでいた。
・しかし、ボローニャには50年代以降、戦後復興の勢いに乗って製造業を中心に親会社から熟練工が次々と独立起業し、事業主もそれを積極的に支援する気運があった。
・親会社の技術は使っても異なる製品を作り、共倒れを防ぐ。上下関係ではなく、平等な関係の独立起業「スピン・オフ=付随的派生」。
・親会社から4、50社が独立し、それを中核企業としてさらに分社、その周りを部品製造業者が数十社取り巻く、というボローニャ独自の現象。
・70年代にはこれらの専門分野に特化したスピンオフ企業がお互いの足りないところを補完しあう様々な形の協調関係(ネットワーキング)を構築。
・スピン・オフ企業が集積し、競争しながら強調する「3C(cluster=集積、competition=競争、collaboration=協力)」と呼ばれる産業再生のモデルは「ボローニャ方式」と呼ばれる。
・ボローニャには電子機械、オートバイ、包装機械の産業地区がある。
・地区を形成している企業はほとんどが中小企業。
・独自の技術をもって地域内分業を発展させ、互いに水平ネットワークを組んでものづくりをしている。
(大企業は例外的)
・相互信頼に基づく新しい中小企業のネットワーク化の進行 ⇒グローバル競争の荒波に対抗していく「地域の制度的厚み」を増す。」

私はかねてから「中小企業のネットワーク化が大企業をしのぐ日本の産業の活力を生み出す」と言っているのですが、ボローニャではすでに相当以前からその方向性が追究されてきた、と感じます。

井上ひさしが絶賛している産業博物館ではそのような職人企業が育てた高度な技術と産業の姿が観れると思います。
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産業博物館はイタリア語で「Museo del patrimonio industriale di Bologna」のようです。
イタリア語のWikipediaでは内容は解せないのですが、写真は次などが観れます。
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by masaaki.nagakura | 2013-07-03 21:15 | イタリア紀行
イタリア紀行(4) ピッツア・グランデ(空想編)
ここからがまず事前空想のイタリア旅行です。読者も一緒に空想旅行を楽しんでいただければ記す甲斐があります。最初に行くはずの保育園は実際に訪ねてのお楽しみとして、2番目の訪問先のピッツア・グランデ(大きな広場)に向かいます。井上ひさしのボローニャ紀行(以下ボローニャ紀行と略)ではピッツア・グランデというのはホームレスを援助するためにボローニャ大学の3人の学生が25年以上も前に始めた新聞の名前です。 この新聞はホームレスが販売して生活の糧にもしているようです。日本でビッグ・イッシュウ(BIG ISSUE)というのが東京の街角で売られていますが、それと似たようなものでしょう。少し違うのはこのピッツア・グランデというのはホームレスの人も読むものでホームレスの人にとって有益な記事も含まれているという点です。次はボローニャ紀行に引用されたそのような記事です。
「インデペンデンツア通りの高級料理店ディアナでは、水曜と木曜はパンやハムがあまるから、閉店間近の午後10時過ぎに裏口に行くがいい。ただし、給仕のジュリアーノはケチな上に無愛想なので、彼を避けるのが賢明である。ジュリアーノは若いのに禿げているからすぐわかる」
ところでピッツア・グランデ(PIAZZA GRANDE)をWIKIPEDIAで調べると実際に存在する広場の名前で、12世紀にモデナ大聖堂の前に作られた広場という事です。 次の左が大聖堂、右は市庁舎です。
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市庁舎の角に次の像があります。(上の写真の市庁舎の真ん中の像ではなく写真の右端で丁度見えない角にあるもっと小さな像)
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この像はボニッシマ(Bonissima)と呼ばれ、貧者に気前の良かったBONAという貴夫人がモデルとも言われています。広場で話される雑談を全て聴いている、と言われていて何でも首を突っ込みたがる女性のことを「ボニッシマのよう」とも。 確かに頭上の大きな貝は集音の役目もしていそうです。私にはすべての人々の喜怒哀楽の声を聴き分ける観音様の化身のようにも思われるのですが。
つぎはピッツア・グランデの全景(に近い?)です。ボニッシマが右端に小さく見えます。
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by masaaki.nagakura | 2013-07-02 21:24 | イタリア紀行
イタリア紀行(3) ボローニャの旅程
 6月25日に今回の旅の説明会があるということで、伴侶と一緒に新宿の富士国際旅行社の事務所を訪れました。結局出席者は伴侶と2人(旅行応募者は8名)だけでしたが、2人の担当者が親切に説明してくれました。この旅行社は以前私の所属するオゾン環境・医療研究でキューバ旅行も企画してくれたところで、一風変わった企画もしてくれるように思いました。(全体像はわかりません)
 ボローニャの旅程は次だという事でした。
 
 7月24日 ①保育園  ②ピャツァ・グランデ(ホームレス協同組合)
 7月25日 ③CNA(職人企業)  ④産業博物館  ⑤コーパックス(生産・社会的活動のための共同組合)
        ⑥イル・モンテ(知的障害を持つ人達のレストラン)
 7月26日 ⑦ボローニャ大学  ⑧マッジョーレ広場  ⑨サン・ペテロニオ教会

 これは井上ひさしのボローニャ紀行にある場所が多いと思い、「ボローニャ紀行」と照合してみると上記①以外は「ボローニャ紀行」にも名前が出てくるところで、また②~⑦まではやや詳しい解説もある場所です。
 私はもともと「ボローニャ紀行」に感銘を受けて参加することを決めたものですから、これは願ったり、です。
by masaaki.nagakura | 2013-07-01 21:28 | イタリア紀行
イタリア紀行(2) なぜボローニャか
 イタリアのボローニャに行くことを決めたのは、偶々旅行社からの募集があったのがきっかけですが、ボローニャは前々から「機会があれば行こう」伴侶と話していたところなのです。そしてどうしてそのような話になったかと言うと、ボローニャ紀行という井上ひさしの紀行文(これも伴侶が購入)を読んで大変興味を持ったからです。
 以下は大半が井上ひさしのボローニャ紀行からの知識によるものです。
 自分がなぜボローニャにそんなに関心を持つか、という事を自己分析してみると凡そ次の点ではないかと思います。
(1)ボローニャが近代における大学発祥の地であり、しかもそのボローニャ大学というのは学生が作ったという事。
(2)伝統的な街並みを丁寧に保存しつつ、産業分野でも創造的な活動がなされ続けているという事。
(3)パルチザンの歴史も示すように根強い自治の精神を備えていること。
(4)文化遺産、演劇、美術、音楽、文化活動などにボローニャ市当局は無論のこと、銀行や企業が積極的に支援しそれを支え、発展させようとしていること。
by masaaki.nagakura | 2013-06-17 08:21 | イタリア紀行
イタリア紀行(1)まえがき
 本年7月の23日から31日の予定で伴侶とイタリア旅行をすることになりました。伴侶と外国へ行くのは人生で2度目、一度目は彼女の父親が仕事(職業訓練校の設立援助)で韓国に駐在している時に婚約を告げに行った時で40年近く昔のことです。
 イタリアの旅行先はボローニャとフィレンツェで特にボローニャは前から行きたいと思っていた都市です。井上ひさしのボローニャ紀行というのを読んだのも関心を持った理由ですが、特に大学の発祥の地というのにも惹かれます。
 さて紀行というのは旅行中に、あるいは旅行から帰ってから書くものでしょうが、ここでは敢て行く前から書き始めようと思います。
 まずイタリアについて調べたり、想像力を膨らませたりしながら、架空の旅をして、それから実際の旅に出かけようとする算段です。これによって旅を2度、否3度楽しめるのでないかと思います。行く前の架空の旅、そして実際の旅、それから帰ってからの追憶の旅です。
 
by masaaki.nagakura | 2013-06-11 21:18 | イタリア紀行