カテゴリ:比企の活性点( 13 )
比企の活性点13 満天座の宵祭り
埼玉県小川町に満天座というバンドがあります。毎月第3木曜日の夜、自然食パスタレストラン「わらしべ」で歌の会を開いています。この会は、十年近くも続いています。今月は第4木曜日の8月28日にあり、久々に訪ねました。
この「わらしべ」はマイクロブロワリーの地ビールも出すので、飲みながら歌に聞き惚れ、優雅な宵を過ごします。
まずは自作のメロディーと歌詞の正始さんの登場。
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この2日後に彼の第1子の女の子が生まれました。
次は満天座の創始者で絵本作家の菊池さん(左)と有機農業とヘメロカリス育成家の岡本さん。
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今回は元テレビアサヒのアナウンサーで現役シャンソン歌手の野崎由美子さんも登場です。

野崎由美子さんは、小川町の野崎医院の娘さんでもあるのです。
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AOIちゃんも熱唱。
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AOIちゃんは最近ブログも立ち上げています。
校長先生の飛び入りの歌も登場。
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カウンターで聞く人達。
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眠っている子もいて満天座の宵祭りは過ぎていきます。
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by masaaki.nagakura | 2014-08-30 18:28 | 比企の活性点
比企の活性点12福島さんのブドウ畑
8月21日例年の福島さんのぶどう畑でブドウ摘みイベントがありました。福島さんは将来の小川町ワイナリーをめざし、数年前からブドウ作りに取り組み、その趣旨に共感する有志がそれを支えています。最初一ヶ所だったブドウ畑も3箇所に増え面積も5倍くらいとか。この日のブドウ畑は小川町内の東上線の沿線。
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この日集まった有志は十数人。
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紙がけしたブドウの下からブドウを見上げて、十分に紫色に熟したものを摘んでいきます。

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ブドウを積んだ後はひと房づつ剪定。これが結構大変です。
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バーベキューでお昼。
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カボチャの登場です。この会は有機農業の人とか、そのファンが多く、いろいろ出てくるのです。
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カボチャの中にはカボチャのプリンが出来てます。
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ブドウシロップのかき氷です。シロップをついでいるのが福島さん。
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炎暑の中、素朴でエレガントなブドウシロップのかき氷に舌鼓を打ち、涼をとりました。
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夜は片岡家の古民家で懇親会でした。大いに飲み、語り、歌いました。
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by masaaki.nagakura | 2014-08-24 21:02 | 比企の活性点
比企の活性点11 かぐやでのガザ地区の話
8月9日の昼過ぎ、 日曜日で台風模様だし、ごろごろしていようか、と思っていたら、伴侶が「かぐやでイスラエルの人がガザ地区の話をするので行く」と言うのです。 「今問題になっているガザ地区の話か、見たくないなー」と咄嗟に拒否反応が出たのですが、「待てよ、見たくないけど、見ないわけにいかないか」と孫もつれてかぐやにでかけました。
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かぐやは正式には古民家ギャラリーかぐやで小川町に隣接する埼玉県滑川町の古民家。
かぐやの名前の由来は聞いていませんが、裏はうっそうとした竹藪、かぐや姫がいても不思議ではない。
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年間を通して催しをやっていて、時々参加したいます。前回行ったのは宮林先生のコーラスグループ「なにわ」の歌の会でした。
今回のように硬いテーマでの参加は初めてです。
台風模様のなか、結構大勢集まっています。
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講師のダニーさんです。
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ダニーさんの話は2年ほど前に小川町の「木の香」で原発をテーマに聞いています。
ダニーさんは徹底した平和主義です。イスラエルとアラブは共存する以外の選択はない、というのが話しの主旨でした。印象に残ったのは戦争を正当化する10の法則です。
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これにダニーさんが加えたもう一つの法則第11があります。
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こうして戦争は正当化される、という事で、このように誘導させてはならない、ということです。これには私も共感です。
講演お後の座談会も意見がいろいろあります。
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日本の現状は戦争に傾斜する危うい状況という意見、そしてインターネットの普及が阻止力になるという期待など。私は「戦争をなくすためには各国が協力して未来の地球の危機に対処することだ」という持論を語りました。私にはイスラエルとガザ地区の問題は人間の宿業が露骨に表れた場所に思え、本当に目を背けたくなるのですが、そのようなどうしようもないと思える問題に真正面から取り組もうとする、(あるいは取り組まざるを得ない)ダニーさんの話を聞いて勇気をもらいました。
ダニーさんは融和への道は可能と言います。例として挙げるのが、イスラエルとエジプトの関係です。かってはイスラエルの最大の敵はエジプトであり、ヒットラーとナセルは同一視されて、二人をかたどる人形が並んで燃やされた時代があった、それが和平の後、かっての対立が夢のようにお互いに旅行も出来るようになった、といういことです。パレスチナとイスラエルにそのような日が訪れるか、神のみぞ知るの世界ですが、そうあって欲しいものです。
これは見てもらいたい、と紹介されたのは、沈黙を破って、元イスラエル兵士の証言、というyou tubeでの映像です。見ごたえあり、ダニーさんの話の趣旨が得心出来ました。
by masaaki.nagakura | 2014-08-10 18:10 | 比企の活性点
比企の活性点10 ときのこや祭り
8月3日ときがわの「ときのこや祭り」に出向きました。
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これは毎月第1日曜日に開いている農林産物直売所「ときのこや」で発足4周年を祝ってのお祭りでした。
このあたりではすでに有名になっているジャンべ太鼓が始まってます。
太鼓に合わせての踊りが面白い。
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トルコでの踊りを思い出していました。
人気の上がっているあおいさんの歌。
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トランペットの演奏も。
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お店も色々です。
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地ビールもあります。
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このお店の場所の裏には涼やかな渓流で水浴を楽しむ人たちもいます。
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いつもお祭りと言うわけではありませんが、お店は有機の農産物を始め毎月出されているということ。
ちかくには温泉(四季菜館:現在ポンプ故障とのこと)もあり、斑鳩という豆乳うどんなど食べさせていくれる店もあります。
ときがわ町は私の住んでいる小川町の隣で人口12000人位ですが、地域を振興する活動の活発さでは人口32000人の小川町に引けを取らない、というか小川町は負けているかな?
まだときがわを訪ねてない方は一度寄ってみることをお勧めします。
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by masaaki.nagakura | 2014-08-03 20:33 | 比企の活性点
比企の活性点(9)寧々房
久々に寧々房を訪ねました。
ここはときがわの慈光寺の参道の角の古民家を活用した、焼き物のお店です。
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夢見地蔵さんが迎えてくれます。
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狭い古風な階段を上がった2階には素晴らしい仏像群。
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輝かしい美男子の仏様。丁度お日様が照らしています。
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今にも倒れそうだけど頑張っている仏様。自分の姿に似ている、と言った人がいたという事、共感します。
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来客が来て「茶香炉」が大変良いという話です。
茶香炉というのは知らなかったのですが、茶をロウソクで加熱して出てくる香を楽しむものだと、いう事。
好奇心にも駆られて買いました。
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ジャスミン茶(神戸の中華街で購入)を焚いて見ています。香ばしいかおりが部屋中に漂っています。
このような焼き物をつくっているのはこのお店のご当主である、優しい女性です。
寧々房のホームページがまた素敵です。
仏像が鎮座ましますのは主に2階ですが、1階では茶香炉など趣味や日用の焼き物もならべられています。優雅な雰囲気の中でゆったりとコーヒーも飲めます。
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比企に来られたらお立ち寄りするようおすすめです。
by masaaki.nagakura | 2013-12-22 16:24 | 比企の活性点
比企の活性点(8)ときがわの小物屋さん
昨日12月2日、伴侶とときがわの小物屋さんを訪ねました。
ここはときがわの建具会館から都幾川沿いに200mほど上流に上った道沿いにあります。
建物はこじんまりしているけれど100年以上の年月を耐えてきたという事です。
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入ると正面には絵本が。
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そして左には苔玉など。この苔玉は私も存じている小川町の新井さんが作ったとのこと。
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そして右のカウンターに置かれた大きなガラス瓶には水出しコーヒーが。
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そうです。このお店は「小物屋」という名前はともかく、このコーヒーが格別の喫茶室でもあるのです。
よく見ないと気が付かないけれどお店の正面に右側にはコーヒーの看板もあります。
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お店の前の都幾川のほとりで川を眺めながらコーヒーを楽しみます。
川の中州の枯れすすきの眺めも悪くないものです。
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このほとりは「川の駅 蛍」で里と山の間にあるという意味のしゃれた標識。
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そして「せせらぎ水路」と名付けた用水路に清らかな水が滔々と流れています。
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店のご主人がこのせせらぎ水路にイモ洗い機をセットしてサトイモを洗うのを見せてくれました。
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イモ洗い機はくるくるとよくまわり、20分ほどでサトイモがこんなにきれいに洗えました。もっとやっていれば皮も向けてくるのではないかと思います。
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御主人が店先に水を入れたガラス容器を並べて、美しく光るのを見せてくれました。
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関心と機会がある方は是非一度訪ねてみてください。
浮世のせわしさから放たれたしばしの時を過ごせると思います。
by masaaki.nagakura | 2013-12-03 20:56 | 比企の活性点
比企の活性点(7) 和紙めぐり
比企で和紙作りが昔から行われているのは小川町と東秩父村です。
 この両町村の和紙つくりポイントの探索です。
 第一部を小川町、第二部を東秩父村として和紙めぐりです。

第一部 小川町和紙めぐり
 3月17日(日)に「小川和紙未来フォーラム」というイベントに参加しました。
 これは小川町和紙活性委員会という小川町の和紙業者や「NPO法人生活工房つばさ」などの作る団体が主催したものです。
 午前は和紙関連のお店や施設を歩きながら見学、昼食はベリカフェ(有機野菜レストラン)で美味しい有機野菜料理を、午後は伝統工芸会館で小川和紙の活性化のためのデスカッション。
 参加者は30名位で小川町の人よりよそから来た方達が多いようでした。
 最後に希望者はということで久保製紙(久保昌太郎さんの和紙工房)を10名ほどで見学しました。
 私は小川町に30年ほど住んでいますが、私の知らない和紙関連のお店や施設があるのを知り小川町の和紙文化の奥深さを改めて感じました。
 今回印象に残った場所などかいつまんで紹介します。
 次は小川町の駅近くの門倉商店で和紙製品のお店です。近頃改装していい雰囲気になりました。
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これは昔から続く今屋紙店の古めかしい看板です。
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 次は和紙体験学習センターです。この施設も初めて知りました。
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 ここからは久保昌太郎さんの工房についてです。
 何しろ実際に毎日和紙を漉いている工房です。私は何回か訪れていますが、今回は解説付きでいろいろ新たに学べました。また和紙芸術展もこのお店の2階で開かれており、感銘をうける作品にも接することができました。 こちらは久保製紙(久保昌太郎さんの会社)の工房です。
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 和紙はミツマタ、コウゾ、ガンピなどの木の皮を原料とします。
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 久保製紙では主にコウゾを原料に和紙を作ります。 コウゾの皮は高知県、タイ等から運ばれこの倉庫に入れられます。 
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 次にこれをアルカリ液で煮て繊維状にします。
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 それを細かい繊維にしてこれを「とろろ葵」という植物を加えた和紙漉の水に入れてかき混ぜて繊維を分散させて漉きます。
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久保製紙の工房の天井には人の作業を補助するためにレトロなベルトとプーリの仕掛けがあります。
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尚、和紙の出来るまでのより詳しい工程については高知県の和紙工程紹介のサイトがお勧めです。
久保製紙のお店(販売所)の2階では和紙芸術展を開催していました。
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面白い和紙芸術の数々です。
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たまたま久保製紙のお店にさいたま市で和紙の張子を作っている和紙工房よち坊の須田善宏さんが来られていました。
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次は須田さんの作られた安産のお守りの猫です。
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楽しい一日でした。

第二部 東秩父村「和紙の里」訪問
 4月6日に私の旧職場の同僚3人が小川町に来訪したのです。
まず吉田家住宅でお団子を食べました。
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そして私も久々でしたが、一緒に東秩父「和紙の里」をたづねました。
ここの館長さん(?)に和紙の工程を説明してもらいました。
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次からは和紙の工程の説明図で明治40年代につくられたものです。現在パワーポイント制作途中というものを見せてもらいました。
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この施設の裏庭には昔から紙漉きをしてきたという古民家があります。
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今は小川町、東秩父はどこでもとても自然がやさしいです。
by masaaki.nagakura | 2013-04-02 07:50 | 比企の活性点
比企の活性点(6)東秩父農産物販売所
私の住んでいる小川町の隣に東秩父村という村があります。ここは現在埼玉県唯一の村です。一時は小川町との合併の話がありましたが立ち消えました。大変牧歌的な風情の漂う村です。この村に東秩父農産物販売所という販売所があります。 東京の方から来る人もいて人気があるようです。この東秩父村は地方公共団体としては秩父郡に属するのですが、実際の地理では比企郡に密着しているのでこの「比企の活性点」に加えさせてもらいます。
昨日2月2日伴侶と飼い犬のグリゼルダと一緒に山を越えて東秩父農産物販売所まで散歩しました。ここに行くには勿論山を越えなくても車で10分程度で行けるのですが、あえて歩いて行ってみました。というか、もともと山を越えて東秩父に行くというのが目的で、ついでに東秩父農産物直売所まで行ってみたというところです。
これからその散歩の経路とそして東秩父農産物直売所のことを思い出しつつ辿ってみます。
話はやや長くなりますが、御用とお急ぎでない方はおつきあいください。

私の住んている家は小川町飯田というところで官ノ倉山という山(海抜334.7m)の東側の麓にあります。東秩父は官ノ倉山の南に位置します。そこで官ノ倉山の中腹を横切ると東秩父の安戸というところに着きます。
昔は飯田から安戸に行くにはこの山道を利用したと聞いています。確かにその方が距離的には大分近いようです。
山道に入るまではしばらくなだらかな道が続きます。
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途中で野口さんが樹を伐採しているのに出会いました。ソマという木で昔は薪にしかならなかったのが、今はいろいろなキノコが売られていてその中のヒラタケがこの木で育つということでした。
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野口さんは飯田の住人ですが、この人が山道の倒木なども片づけてくれるので飯田の山道は歩けます。
道の途中に伴侶がイノシシが堀ったという穴がありました。実際この辺はイノシシを始め野生動物が多く、昨年は我が家の周りでアライグマを6匹捕獲したほどです。
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やがて山道に入ります。
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途中に池があります。これは飯田川の上流が砂防ダムでせき止められて出来た池で釣り人が来ることもあります。
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飯田と安戸の境目に相当する峠に「山の神様」と呼んでいる神様が祭ってあります。これは山の落ち葉や木々が農業用肥料やエネルギー源として重要だった頃に飯田と安戸の人々がお互いに他の領域を侵さないように神に見守ってもらうために建てたのでないか、かってに想像しています。
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安戸側に下ると「ゴルフ場建設跡地」に突き当たります。
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これはかって「和紙の里カントリークラブ」というゴルフ場が建設されかかって、中断されたところです。
この官ノ倉山にはかって「プリムローズカントリークラブ」と「和紙の里カントリークラブ」という二つのゴルフ場が相次いで建設されていました。いずれもバブルの崩壊とともに中止に追い込まれました。
この「兵どもが夢の迹」を過ぎて、相当荒れた道を下っていくと妙な鉄管製の鳥居がありました。その鳥居の先には何も人工物がないようなのでこれは誰かが「山をご神体として祭る」ために作ったのでないか、とこれも勝手に想像しました。
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結構荒れた道(安戸には野口さんのような人がいない?)を下り東秩父の安戸に至ります。
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ここまでゆっくり歩いて約45分、ここから15分ほどで東秩父農産物販売所に着きます。
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ここが販売所の中心で、地元の新鮮な野菜など売られています。
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私はゆず粉とその入れ物を買いました。ゆず粉180円、竹の入れ物100円でした。
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ここは団子屋さんとうどん屋さんです。
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焼き団子をいただきました。

極めつけはイワナです。東秩父で養殖されたイワナを焼いて売っています。
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その周りをしばらく逡巡したあと、香ばしいにおいの誘惑に勝てず、イワナを買うことにしました。1匹500円とやや高価ですが、このにおいの誘惑には抗えません。
イワナ焼きのご主人と小1時間も話をしながらイワナを焼いてもらいました。
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このご主人は鳩山にある日立の研究所に勤めていた理系の研究者である一方雪舟(と伝えられている)絵も保持しているとい古画の収集家でもあるとのことです。
イワナ焼きにも工夫を凝らしていて、頭から食べられるということ、実際に丸ごと食べて美味しかったです。
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この東秩父農産物販売所には一度訪ねて見られることをお勧めします。
by masaaki.nagakura | 2013-02-03 14:02 | 比企の活性点
比企の活性点 (5)笠山
比企地方での山を高い順に並べたら剣ヶ峰(876m)、堂平(875.8m)、笠山(837m)となるようです。
しかし比企地方で最も目立つ山と言ったら笠山です。それは第一に地理的な条件(注1)で比企地方の各所から見られる位置にあることと、第2に山頂付近の個性的な形(注2)によります。
(注1笠山の地理的な条件:埼玉県の山を高い順に並べた場合に笠山より高い山は大部分が秩父地方、飯能市、横瀬町にあり、それらの市は埼玉県の北または西の方に位置し、埼玉県の南と東には笠山より高い山はありません。)
(注2笠山の個性的な形:写真に示すように山頂付近がふっくらと膨らんでいておっぱい山とかいう人もいます。)
実際東武東上線で小川町から池袋まで行く間の相当のところからその姿を確認することができます。(どこまで南に下っても見えるかは未確認です。)
笠山は普段でもハイキングコースとして人気があるようですが、毎年4月に東部鉄道主催で開かれる外秩父七峰縦走ハイキング大会のコースにもなっています。
次はそのコース(東武鉄道の宣伝から)です。
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笠山は小川町では一番高い山で、各所からよく見えます。

次は夕暮れに槻川という小川町の中心を流れる場所から笠山を撮ったものです。
写真の中央が笠山でその左の峰は笹山さらにその左が堂平です。
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次は上の写真の笠山の部分の拡大です。
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お日様は丁度笠山の後ろ付近に沈むので山の形がよく見えます。
次は忠霊塔がある小川町の中央の小高い丘から撮ったものです。
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元日に笠山に上りました。これは小川町の桑原さんというバイオマスエネルギーの専門家で且つ有機農業者の知人が毎年元日に恒例で行っているもので今年は私も参加させていただいたものです。
総勢15名ほどで楽しい登山ができました。
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山頂には笠山神社という社があります。
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皆でケーキとお茶などで一服した後、山頂付近を見渡したら、「大願成就」と刻まれた碑文がありました。
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興味をそそられたので全文を写し取りました。次がそれです。
大願成就碑文:
昭和四十八年十月二十九日以降中央気象台創設以来の異常旱魃続き農作物は勿論飲料水にさえ事欠き稀有の天災に直面するも尚降雨の気配なき快晴の日々が続いた。茲に於いて止むにやまれず十八会員相図り古来より信仰厚き笠山神社に雨乞祈願を修業す。時に翌年一月二十日未明五時登山御来光を拝し慈雨を恵み給わんと教民救済御加護祈願を「雨が立った龍王」と絶叫三唱に及ぶ折しも極寒の松〇(1字不明)俄かに起り翌二十一日に大雪となり森羅万象悉く一息の期を得た。この霊験顕かなるを感謝と一同連署大願成就の建碑依って件の如し。 昭和四十九年五月一日 松本繁夫 田口茂 (他9名計11名連記あり)

つまり笠山神社で雨乞いをしてそれが成就したことを記念した碑である、ということです。
私の住む小川町飯田でも昔は雨乞いの習慣があり、雨乞いの時には石製の船を水に浸す儀式を行ったということを聞いています。
雨乞いそのものが効果があるのか、私はわかりませんが少なくとも旱魃による困窮のなかで(水の奪い合いをするのでなく)雨乞いが結束を強めたのは確かではないのか、と思いました。

次は笠山の登山口(自動車で至る中腹の登山口)にある看板です。この中の笠山神社の説明によれば神社が1839年と1903年に焼失して立て直したということです。実際の最初の建立はいつか分かりませんが200年ほど以前からあったのは確かでしょう。
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話は変わりますが、笠山や堂平の数キロメートル東側に慈光寺という寺があります。この寺は673年に建立されましたが、783年に伝教大師より天台密教の教えが伝えられそれ以来比叡山の延暦寺の関東支部とも言われ非常に多くの修行僧がその寺の周囲に僧坊を建てて住み、修業していたと聞きます。 住職の話では「このあたりの山が800M級で比叡山の周辺の地形に似ていて山岳を踏み歩く修業をするのに向いていたというのが、比叡山の関東支部と位置付けられたひとつの理由である。」ということでした。確かに比叡山は標高848mで笠山や堂平の標高に近いです。比叡山では現在でも千日回峰という修行がなされていて7年の間に一日30-60kmを通算1000日間峰々を渡り歩く荒行のようです。
であるとすれば往時の慈光寺の修行僧にとって笠山、堂平、剣ヶ峰などは恰好の修行場であり、庭のごとくに踏み歩いていたのではないか、と想像します。 またそれは今より1000年以上前からということになります。

そのようなことから笠山は神道や仏教の信仰にも繋がる霊的な山である、という感をも持ちます。
そのような想いから笠山を比企の活性点の一つに加えました。
by masaaki.nagakura | 2013-01-06 21:30 | 比企の活性点
比企の活性点(4)飯田神社
現在の日本全国での神社の数は約8万で人口は1億2800万人ですから神社が1600人に1社あります。 
ところで日本全国の神社数が8万というのは明治時代に行われた合祀政策(神社の統合を図る政策で1906年の勅令により進められる)により少なくなったからで、それ以前は20万ともいわれています。
さて、江戸時代中期には人口は3100万人程度で神社が20万とすると、155人に1社の割で神社があったということになります。 
これは当時の大部分の人々の周りに身近に神社があったということを意味します。

私の住んでいるのは小川町飯田というところですが、ここには小高い丘の頂上に建てられた飯田神社と通称される神社があります。この神社の存在はそのように人々が神社に身近に暮らしていた時代の有様を彷彿とさせるものがあります。
この飯田神社は毎年数回恒例の行事がなされ、その伝統が飯田地区自治会によって廃れることがなく継続されています。
次は元日の飯田神社の風景です。
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焚火を囲んで歓談です。社務所ではお神酒を飲み交わします。
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この神社は飯田神社と言われますが、同じ境内に写真の本殿とは別棟で津島神社と日枝神社と書かれたお札を祭った社があります。上の写真では本殿の右側の奥に見えるのがそれです。そして本殿の方は金毘羅様と呼ばれることがあります。このように分かれているのは合祀政策の結果と聞いています。多分それぞれ別のところにあったのをこの場所にまとめて飯田神社という名前にしたのではないか、と推定しています。
私が好きなのは本殿の裏にあるこの火光天の石碑です。火の神様ですが、火災を防ぐということで毎年「火光天のお札」というのが地元の人々に配られます。
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毎年薪を大きく燃え上がらせる火祭りが行われます。次は火祭りの火を背景に獅子を撮ったものです。
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参考1.神社数の人口に対する割合:比企地方(東松山を含む)には神社が197あり、また埼玉県の人口は23万3千人くらいですので神社が大体1180人に1社あることになります。(下注参照) 日本全国での神社の数は約8万で人口は1億2800万人ですから神社が1600人に1社あります。 その意味で比企地方は神社数の割合が全国平均よりは大分高いです。(私がネット情報から調べたところでは全国で神社数の人口比の最も多い県は高知県で350人に1社、最も少ない県は大阪府で11900人に1社です。なお沖縄県は大阪府よりさらにずっと少ないのですがこれは歴史的に神道の習慣がなかったためと考えられ、比較の対象とはできないでしょう)次は埼玉県庁のホームページから抜粋した比企地方の人口と神社数の関するデータです。参考のためにお寺の数も入れておきました。
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参考2.金毘羅様、日枝神社、津島神社の関連
 飯田神社に祭られている3つは全く独立にあったものは合祀政策で一か所に集められたのだろう、と思っていたのですが、ネットで調べてみるとこの3つは根っこのところで繋がっているようにも見えます。
それはいずれも大国主の命につながっていると考えられるということです。
 まず金毘羅様というのは金毘羅宮(別名琴平宮)であり、そこで祭られている神は大物主命です。
 そして大物主の命は大国主命の和魂(同一の神に荒ぶる神と和らぐ神との2面性があり、和魂は和らぐ神)と言われているようです。
 日枝神社は「大山咋命」と「大物主命」の両神を祭っておりやはり大国主命につながっています。
 一方津島神社はスサノオの命と大国主命を祭ります。
 従って、この3つの社に共通にあるのは大国主命ということになります。
 これは単なる偶然かも知れませんがこのようなことを考えてみるのも興味深いです。


参考3.神社の碑が語る養蚕の歴史
この飯田神社の境内にはこの地方の養蚕の歴史を語る興味深い碑があります。
既にこのブログで紹介しましたが、再掲します。
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この碑文の内容は以下です。
蠶桑之碑
「明治42年笠原方宜氏等が相談して、養蚕技術の改良を目的に組合を創設し、指導者を招いて、組合共同の桑畑と繭飼育場を設けて改良を続けた結果、業績が大いに上がって、著しい進歩をみた。埼玉県はこれを模範とすべく、数回に亘って表彰し、賞金さえ下賜された。 時は繭の価格が15円という好景気の状況であり、組合の利益を運用し、肥料の共同購入等も行うに至った。 しかし時代は急転し、繭の価格が2円前後にまで低落した。この不況を打開するために努力を重ねたが、効果を得るに至らず、やむを得ず桑畑を伐採し、麦畑に変えた。 しかし不況が七年続いた果てに神は我々を見捨てることなく、支那事変が勃発し、次いで欧州大戦が起こり、その結果糸の価格は1700円に急騰し、金融が復活した。ここにおいて組合の財産を整理して、組合員に分配し、銃後の後援の資金に充て、ひとまず解散し、新たに実行組合として立ち上げ、養蚕を通じて国に報いることとした。 繭の増産は農家の経済を豊かにする基礎となり、延いては武運長久の礎となる。 繭は飛行機や軍艦を生み出す。この時に糸の価格が急騰したのは天の助けか神の恵みか。以上の顛末を右に刻んで、永遠の記念とする。 昭和14年秋。

原文:明治四十二年笠原方宜氏等相謀り養蚕改良を企て、組合を創設し、指導者を招き従来の飼育法をかへ、組合共同桑園並びに繭圃を設けて益々改良する所ありしに、業績大小挙がり、著しき長足の進歩を見たれる模範とし、縣より表彰を受けること数回、金一封の下賜さえありた季、時恰も繭価十五円を称ふる好況なりしに組合の利得若干を運用し、肥料共同購入の普及を計りたり。然りと雖も時代の嵐有る毎に平調ならず、急転直下繭価二円内外に低落、不況打開のための画策これ努めるも功を見ず、已むなく桑園伐廃して麥園としたるも経済界の眠るが如く不況七年、神は吾人を見捨てず、支那事変勃発に次ぐ欧州戦乱の結果、俄然糸価千七百円に急騰、金融は復活を見る。茲に於いて蓄財を整理し、組合員に分ち銃後後援の資に充て、一先ず解散、新たに実行組合として更生、蚕業報国の実を挙げんとす。繭の増産は農家貨殖の基、延いては武運長久の礎、繭は飛行機を生み軍艦を産む。此の時糸価急騰せるは天の助か神乃恵か顛末を右に勒し、永遠の記念とす。
             昭和十四年秋  悟堂撰並書 

ここには歴史の荒波の中で翻弄される農家の姿も見えて切ない思いもさせられますが、一方このような情念で歴史が動かされてきた、ということを真正面から見ることで未来を志向するうえでの一つの教訓としても捉えておきたいと思います。
それにしても飯田神社は私にいろいろなことを教えてくれます。
by masaaki.nagakura | 2013-01-05 15:32 | 比企の活性点