近代の経済はローカリズム(地域経済)らグローバリズム(国際経済)へ変遷してきたと言う話をしました。
グローバリズムと言うのは国家間の経済的な流通の壁(関税その他の規制)を取り除いてやがては世界中を一つの経済領域にしていこうとする「世界市場主義」といううような意味でつかわれることが多いようで、私もこれまでそのような意味で使っています。 よくよく思うにグローブというのは地球ですから、本来グローバリズムというのは地球主義という意味で、地球全体を一つの共同体と観る、という意味があると思います。 その意味で見た場合にはグローバリズムというのはかって言われていたコスモポリタニズムと共通した意味を持つかも知れません。 コスモポリタニズムというのは世界市民主義とも約されていますが万民を自らの同朋とみなす考え方ですから、万民同胞主義と言えるでしょう。 グローバリズムとコスモポリタニズムを地球主義と万民同胞主義と解釈するとそこには地球全体あるいは全人類をひとつの輪のなかに包んでいこう、とする博愛的な意味も出てきます。特に地球主義というのは人類だけでなく、地球上の一切の生命、無生命も含むものですから、万民同胞主義を超え、自然環境全体をも含む深い意味をもつものと捉えられます。 もし、グローバリズムがそのような意味での地球主義として使われ、そのような意味で世界中に広がれば、それは人類全体に実りのある未来、希望に満ちた未来を齎すのだと思います。 現実に進行しているグローバリズムは「世界市場主義」と言うグローバリズムです。 それは経済競争の場の地域的な場所から、全世界的な場所への拡張を意味するものであって、ますます熾烈な経済競争を招き、一部の勝者と多くの敗北者をつくっています。 世界市場は限りなく広く、勝者すら、常に自らがいつ敗残者になるかも知れぬという脅威に晒されていると言う、決して幸福とは言えない状況におります。更にそのような人を消耗させる競争の果てに待っているのは資源の枯渇と、地球温暖化による人類の破滅ということであっては、誰にとってもいいところはないのです。 私は経済競争が悪だと思っているわけではありません。ただ根底に本当の意味でグローバル(地球的)な観点を持たずに、目先の利益を追求するための競争に陥れば、それはやがて必ず地球全体を破滅させる結果しか齎さないだろうと思うのです。 従って、今後はグローバリズムを「世界市場主義」として推進するのではなく、本来の意味である「地球主義」として推進していくことを提唱したいと思います。 補遺:グローバリズムの歴史について 哲学者カントがコスモポリタニズム(万民同胞主義)という考え方を出したといわれます。 カントがそれを言い出した頃はまだ多くの国が封建的な社会状態にありました。 国家と言う意識は人々のうちにそれほど強固ではなくコスモポリタニズムと言う考え方もヨーロッパにおける多くの知識人に受け入れられたようです。 しかしその後のヨーロッパの大国は中央集権的な国家体制を築き、アジア、アフリカ諸国に対しては優勢な軍事力を背景に植民地獲得競争を展開しました。 その結果世界中のほとんどの地域がヨーロッパの列強の植民地に化しました。アジア、アフリカで植民地化を免れたのはアジアでは日本、タイ、ブータンなど、アフリカではエチオピア、リベリアのみです。 特にイギリスは七つの海を支配するといい、広大な植民地を有する大英帝国と築きました。 中国(清)もイギリス、ロシア、日本に植民地化されつつありましたが、孫文が辛亥革命を起こして、国の崩壊を食い止めようとしました。 孫文は民族、民権、民生という三民主義を唱えたのですが、その書の中で「イギリス人はコスモポリタニズムと唱え、それに賛同する中国人もいるが、いま中国がコスモポリタニズムを受け入れたら、その実態はイギリスの支配下におかれるという亡国である」と言うような考えを述べていたと思います。 思うにヨーロッパの列強がアジア、アフリカを植民地支配していた状況においては、イギリスなどの広大な植民地を築いた国の中にコスモポリタニズムという考え方が再び出てきたのでしょう。しかし、その背景には大国の身勝手な考えがあったと思います。 この点ではローマ帝国、古代中国等を築いた人たちにも同様な身勝手なコスモポリタニズムがあったように思います。最近ではグローバリズムを推進する米国人の中にそのようなコスモポリタニズムが見られる気がします。 このようなコスモポリタニズムの共通した特長というのは、自国の文化の絶対的な優位性を信じ、それを全世界に向かって広めていくことが、正義でもありまた、全世界の人々にとっての幸福でもあると信じることにあるように思うのです。 やがて2回の世界大戦を経た後、世界中のほとんどの国が独立し、国家としての主権をもっています。これほど地球上に独立国家が連立している時代は歴史上ないだろうと思います。 このような状況にあることは真の意味でのグローバリズム(地球主義)の可能な素地ができたと 観ることができます。 かってのローマ帝国、古代中国、大英帝国がそうであったように、国家間に支配、被支配の関係がある中でのグローバリズム(あるいはコスモポリタニズム)はその実態が文化の一方的な押し付けにならざるを得ないようです。 対等の立場に立てる独立国家が連立した状況でこそ、相互の合意によるグローバリズムが無理なく進展できると思います。 残念ながら、現在まで進行してきたグローバリズムは上記のように「世界市場主義」という形でのグローバリズムであり、それはいわゆる「開発国」から「開発途上国」への「文化の押し売り」という面があったと思います。 本当の意味でのグローバリズムはこれからの人類の課題です。 私達は今、本来のグローバリズム、地球主義というグローバリズムが始まる時代の夜明けに立っている、と考えたいものです。
by masaaki.nagakura
| 2009-01-29 08:58
| 想うこと
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