火光天の歴史をたどる (1)火光天の起源
小川町の飯田神社で火光天を祭る「宵宮祭」がある、という話をしましたが、これからその歴史をたどってみたいと思います。
飯田神主の千島さんの話では火光天を祭るのは珍しいと言うことです。
まずインターネットで検索しましたが、火光天というキーワードで出てきたのは次の二つです。
「小川町の祭り、伝統芸能」
「2014年5月ー偏平足ーGooブログ」
この下のブログにはヒントがありました。そのブログに一節を引用します。

秋葉山では十二天は「伊舎那天、帝釈天、火光天、焔魔天、羅刹天、水雨天、吹風天、多聞天、大梵天、持地天、日天子、月天子」となっている。」

ここで十二天はWIKIPEDIAでは次のように説明されています。
「仏教における「天」あるいは天部像とは、仏教流布以前の古代インド神話やバラモン教の神々が仏教に取り込まれ、護法善神となったものである。十二天とは、八方(東西南北の四方と東北・東南・西北・西南)を護る八方天に、天地の二天と日月の二天を加えて十二天としたものである。」
とし、次の表が示されています。
帝釈天   Indra         東  
火天    Agni          東南
焔摩天   Yama         南
羅刹天   Rākṣasa / Nirṛti 西南
水天    Varuṇa       西
風天     Vāyu        西北
毘沙門天  Vaiśravaṇa    北
伊舎那天  Īśāna        東北
梵天     Brahmā       天(上)
地天     pṛthivī        地(下)
日天     Sūrya / Āditya   日
月天     Candra        月

秋葉山の十二天と比較すると次のように対照できます。左がWIKIPEDIA、右が秋葉山の名称です。

帝釈天   ⇒同左
火天    ⇒ 火光天    
焔摩天   ⇒ 同左      
羅刹天   ⇒同左
水天    ⇒水雨天
風天     ⇒吹風天
毘沙門天 ⇒多聞天
伊舎那天  ⇒同左
梵天    ⇒大梵天
地天     ⇒持地天
日天    ⇒日天子
月天    ⇒月天子

すなわち火光天は火天と同じことになります。
どうして秋葉山とか飯田神社では火天が火光天とされるのか、今のところは謎です。

火天は元のインドではAgni(アグニ)です。
次はWIKIPEDAからAgniの細密画(18世紀 インド)です。

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これは19世紀に描かれたインド絵画(大英博物館所蔵)(gregorius.jpバラモン教の神々より)です。
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日本でも火天は色々な姿に描かれているようです。
これは京都国立博物館所蔵の火天。
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これは長保寺という寺に所蔵されている16世紀に描かれた火天。
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火天の姿は変わっていますが、共通しているのは炎を背負っている、あるいは頭や口から炎を出している(インドの2番目の絵)ことです。

炎を背負っていると言えば不動明王を思い出します。
次は不動明王と火天の関係について考えます。
by masaaki.nagakura | 2015-12-07 08:24 | 小川町の人と自然
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