私の旅16 パンチャラマの笛に寄せて  
フェイスブックでお友達にしていただいた高木京子さんからの知らせでパンチ・ャラマというネパールの方が指揮するバンド「チョータリミニライブ」の演奏が5月16日熊谷のニットーモールでありました。ネパールの地震への募金もかねての演奏でした。
私はネパールには特別な恩義を持っていたのでこの機会とばかりに出かけ、演奏に聞きほれた上、寄付もさせてもらいました。
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これはバンドのメンバーの方たちとの写真、左から2番目が私、その右側がパンチャ・ラマさん、一番右はパンチャ・ラマさんの弟さんです。この弟さんは地震の後にネパールに向かい、被災地の支援をしたということです。
パンチャ・ラマさんと弟さんとはしばし、親しく会話をさせていただきました。
そして私がネパールで受けた恩義についても話させていただきました。

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私がネパールで恩義を受けたというのは40年も前で、私が30歳のころの話です。その話を記します。

私はインドに特別の思い入れがあって、最初に行った外国がインドでした。40年前ごろ、30歳ころの5月でした。
心の恩師である奈良毅先生の紹介でカルカッタのラーマクリシュナミッションに何日か過ごし、ラジギールでは日本山妙法寺に世話になり、ブッダガヤにて大塔をめぐりました。その後はバーラナシーを経てニューデリーに向かうつもりでしたが、暑さに耐え切れず、パトナよりバスでネパールの首都カトマンズに向かったのです。
カトマンズで数日を過ごし、その間トレッキングでヒマラヤも見てカトマンズに戻りました。

カトマンズを去る前の日のことです。日本への土産をということで一日カトマンズの街を歩きました。
露店で一枚一ルピーの版画を何十枚も注文したときに、店主が大きな瞳で私を見つめ、ゴクリと生唾を飲んだ(ように思えた)のを妙に覚えています。
ある店(露天ではなく、結構立派な骨董品を並べているようなお店)で美しい青銅の女神像を見つけたのです。
「美しいなーーー」と思ったですが、高価で財布をはたかなければ買えそうにないのであきらめました。

ところが宿に帰り、横になるとしきりにその女神像のことが思われて、頭から離れません。そのしまい「この女神像を手に入れれば自分は結婚できるのに違いない」という妄想まで浮かんできます。しかし、次の日は朝早く空港に向かわなければならず、また店に行く時間はありません。

決心して床を抜けだし、夜道をそのお店に向かいました。
でもやはり店は閉まっております。

するとそこに若いネパール人の男性が通りかかり、私にどうしたのか、とたづねます。事情を話すとその男性は直ちに、その店の裏のほうに回ってドア(?)をたたき店の主人を呼びだしてくれたのです。そして私はその女神像を手に入れることができたのです。

その男性と、私の宿の近くまで歩きました。別れようと思ったら、「ヌードルを食べないか」と言うのです。私は次の日のフライトが早いと言うことが頭にあったのでとっさにそのことを話し、断ってしまったのです。

後で、その男性は腹をすかせていたのでないか、と思い当たり、あっさり断ってしまったことを後悔しました。
私が断っときにその男性はいやな顔もせずに(記憶の中では)ちょっと淋しげな笑いを浮かべて去っていったのです。

やがて私は結婚もできたのですが、いまだにあのときにあの女神像が手に入ったためだ、と言う思いがあるのです。

そのとき以来私はネパールにはいつか恩返しをしなければ、という思いを抱き続けてきました。
今回の寄付はその償いとしては決して十分なものではないのですが、何か胸のつかえがひとつ下りたような気がしております。

パンチャ・ラマさんの吹いている笛はバンスリと呼ばれる竹笛です。
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一本購入しました。
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by masaaki.nagakura | 2015-05-19 21:39 | 私の旅
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