トルコ旅日記3.トロイへ
77月18イスタンブルのホリデイインホテルに宿し、19日35名の参加者と共にバスに乗り込みトロイに向かいます。トルコはイスタンブルの海峡を境に西がヨーロッパ、東がアジア。アジア側が、シリア、イラン、イラク等 と国境を接し、ヨーロッパ側ではルーマニア、ギリシャと国境を接します。トルコは文字通りヨーロッパとアジアに跨がる国です。私達の泊まったホテルはヨーロッパ側に位置し、バスはヨーロッパ側を海峡に沿って南下します。
トロイまで数時間の走行で、ヨーロッパ側もアジア側もほとんどがなだらかな丘陵地帯。その間、民家が集合あるいは点在する他は大部分よく耕された畑です。畑は、概して
広く、日本で言えば北海道がこんなだろうか、と思う。トルコは日本に比して面積が2倍、人口が2分の1程度であることを思うと、むべなるかな、です。畑の作物はアジア側では大半が向日葵でまだ緑の区画、一斉に黄色く花開いた区画、種が蒔かれたばかりか、茶色い土の見える区画がパッチワークのように広がり、甚だ美しい。
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フェリーでマルマラ海を渡り、ヨーロッパからアジアに向かいます。
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アジア側では向日葵もあるけれど、オリーブも多く、オリーブの比率は、南に来るほど増えてくるようです。
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トロイの発掘場所は想像していたより狭いが、想像していた以上に深く、三次元的に発掘されていて、古代の栄華と盛衰の歴史に思いを馳せました。
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シュリーマンが密かにドイツに持ち帰ったという遺物、財宝は、第二次大戦のソ連による空爆で焼失した、と言うガイドの話には、がっかりでしたが、後に「実はソ連が空爆に先立つて盗み、持ち去り保管していた」と言うことがゴルバチョフにより、公表
さるた、ということで胸を撫で下ろす。
トロイはギリシャの対岸にあり、ホメロスのイーリアスに記すようにギリシャが多数の軍船による戦隊を組んで向かった、と言うのも非現実的な話でない。シュリーマンが馳せた古代へのロマンも解る気がします。私は、遺跡の前の露店で販売していたトロイの解説書と木馬の絵のついた日除け帽子を買いました。次は遺跡の近くの模型の木馬の前でとった私の写真です。
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この木馬は中に入れます。実際にはこんなに大きなはずはなかったとは思いますが。
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by masaaki.nagakura | 2014-07-20 10:03 | トルコ旅日記
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