世界平和のための老子(8)始原への遡及 ③赤子のこころ
 これまでも触れてきたように、老子の思想には有無以前の世界、善悪以前の世界に戻り、そこに居ながらまたこの世界を観ていく、と言うところがある、と思います。 この有無以前、善悪以前の世界を誰しもが体験しているのは赤子の時です。そこで老子は赤子の心を讃えることになります。

第55章(前半抜粋)
含徳之厚、比於赤子。蜂虿虺蛇不螫、 猛獣不拠、攫鳥不摶。骨弱筋柔、而握固。             
未知牝牡之合而峻作、精之至也。終日号而不嗄、和之至也。         

(徳を含むことの厚きは、赤子に比す。蜂虿虺蛇も螫さず、猛獣も拠らず、攫鳥も摶たず。骨弱く筋柔かにして、而も握ること固し。未だ牝牡の合を知らずして而も峻を作すは、精の至れるなり。終日号して嗄れざるは、和の至れるなり。)

第55章 (前半抜粋 訳)
徳の厚いのは赤子に例えられる。蜂、ムカデ、サソリ、蛇もささず、猛獣も襲わず、猛禽も飛びかからず、骨は弱く、筋は柔らかでいながら強く握ることが出来る。男女の交合も知らないのにおチンチンがたつのは精気がみちているからで、一日中号泣していても声が嗄れないのは和に徹しているからである。

次は赤子に関するもう一つの文です。

第10章 (一部抜粋)

專氣致柔、能孾兒乎。
(気を専にし柔を致し、能く嬰児ならんか。)

この文は第55章と同様に赤子(嬰児)の柔軟さを讃え、その嬰児のような柔らかさに至っていることを推奨しているものでしょう。

老子は81章の中の多くの文で剛強さよりも柔軟さを、そして智よりも無智を讃えているのですが、赤子の中にそれが具現された姿を観ていて、そのような姿に帰ることを推奨しているのです。

イエスキリストは「幼子のようでありなさい」というような意味のことを言っていたと思います。
老子は幼子を更に遡って赤子のようでありなさいと言っているようです。
by masaaki.nagakura | 2012-07-24 07:32 | 世界平和のための老子
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