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人類の歴史を振り返ると中央集権化と地方分権化という二つの方向が繰り返されてきているようです。
古代は中央集権化が進み、世界中で大帝国が建設されていきます。中世になると封建化という形での地方分権化が進みます。近代はまた中央集権化が進んできたようです。 このように見てくると、これからはまた地方分権化が進むようにも推定されます。 しかし、そう単純ではないかも知れません。 そこでまずどのような時に中央集権化が進み、どのような時に地方分権化が進むのかを考えてみます。 人類の歴史は3段階に渡って大きな変貌を遂げてきたと考えられます。 第1は道具の発明です。第2が農業の発明です。そして第3が熱を動力に変える熱機関の発明で近代の産業革命と呼ばれるものです。 これらの3段階の発明による変貌をいずれも産業革命と呼ぶことにします。 すなわち次のように呼びます 道具の発明=第1次産業革命 農業の発明=第2次産業革命 熱機関の発明=第3次産業革命 これらのいずれの産業革命も人類の生存領域を拡大するという変化をもたらします。 一つの仮説はこのような「産業革命に引き続いて中央集権化が起こる」ということです。 その理由は次の三つです。 1-① 産業革命を先駆けて達成した地域が強大な持ち、周辺の地域を支配する。 1-② 新たな技術の伝承と発達のためには中央にそのための知識が集約され、またその知識が全体に伝われるために中央集権が望ましい形である。 1-③ 産業革命を先駆けて達成した地域の周辺の地域の住民が、その増大する力に脅威に感じ、それに対抗せんとして力を集めるための中央集権化を志向する。 この仮説によって説明すると、古代の中央集権化は農業の発明という第2次産業革命を契機になされた、又近代の中央集権化は熱機関の発明という第3次産業革命を契機になされた、ということになります。 原始時代において道具の発明という第1次産業革命に続いて地域的な規模では中央集権化が起こったのでないかと思います。 次の仮説とは「産業革命がいきわたると地方分権化が進む」ということです。 その理由は次の三つです。 2-① 産業革命がいきわたることによってそのための知識は一般に普及し、特にその知識を集約する中央の権力は不要になる。 2-②中央集権化のもとで地方が中央の規制を受け続けることによって地方がその風土に合わせた自主性と創造性を発揮できない状態が継続することで地方の文化が衰退し、それに対する地方の不満が高まり、地方分権化が志向される。 2-③ 中央集権化が進んだ国家間の争いが、相互の疲弊をまねき、国民にとり国家権力に振り回されることへの嫌悪感が発生し、地方分権化へ指向する。 近代という時代について言うと第3次産業革命(熱機関の発明)の結果、それを先駆けて追及した英国やフランスそしてアメリカの勢力が強大となりました。 それらの国はいずれも中央集権化を進めて、強大となった国家の力を背景として産業革命を遂行していきました。それを追ってドイツ、イタリア、日本、ロシアなどがやはり中央集権化を進めて産業革命を遂行してきました。 現在ではその勢いが地球全体に広がって来て、特に中国、インドの興隆が著しい勢いをあらわしてきています。 しかし、このような、中央集権化の波はどこまでも続くものではなく、上記2-①②③の現象が現れてきて、やがて地方分権化の方向への流れが出てくると予想されます。 これは国家の中央の権力が不要になると言うことでなく、その権力が次第に必要最小限の規模に集約され、地方の政治的な権限が大幅に拡大していくであろう、と言うことです。 スエーデンでは既に、このような方向が相当以前から震央している、と聞いていましが、そのような形が全世界的に広まっていく可能性が高い、と考えられます。 以下は日本についての話です。 近代の日本における中央主権化は明治維新に始まると言ってよいでしょう。 明治政府が廃藩置県、税制、徴兵制、学校制度等を通じて中央集権化を進めます。 その目標とされたのは「欧米諸国に軍事、産業、文化の面で追いつけ、追い越せ」ということです。 合言葉は富国強兵であって、政府主導の下での産業振興策、軍備の増強がなされ、又それを発展させるための義務教育制度、帝国大学の設立等もなされます。 欧米に多数の留学生を送り、その産業、政治制度を学ばせ、その持ち帰る知識を国内に普及させる処置を講じていきます。 このような中央集権制による改革、施策のもとで日本における産業革命は進行し、それに支えられて軍事力に増強も達成されていきます。 戦争も幾たびか繰り返し、勝利しますが、第2次大戦に至り大敗を喫します。 (つづく)
ドイツの社会学者テンニースが「近代化の進行に従って人間の集団の姿がゲマインシャフト(地縁、血縁集団)からゲゼルシャフト(機能集団)へ移行する」というようなことを論じています。
これは単純に言えば近代化が進むにつれて、主に家族や地域社会とのつながりが中心となって人間が活動している社会(地縁、血縁的な社会)から主に企業、官庁、学校など社会的な機能を果たすことが目的の集団の中で活動している社会に変貌してくると言うことでしょう。 近代ではどうしてそういう傾向が強くなるかというと、多分近代において「産業の人口構成が農業中心から商工業中心に移行してきている」と言うことと関係があるでしょう。 農業中心の社会では多くの家族はその居住する地域の近辺で家族全員が農業や家事に従事するという形であって、家族同士が共に生活する時間帯が長く、また地域の中での人々がお互いに会ったり、相談したり、共同作業をしたりする時間も多くあったでしょう。 しかし、工業や商業となると家族や地域と離れて生活する時間帯が圧倒的に長くなり、」その分家族や地域との結びつきの度合いが小さくなります。 この傾向に拍車をかけるのが工業の生産単位や商店規模の大規模化です。 近代化以前では村の鍛冶屋であったり、村の酒屋さんであったり、工業、商業といえども、その地域との結びつきの中で地域の需要を満たす存在であったのが、近代の工業は大量生産の方向に進み、また商店も大販店となり地域との結びつきは薄れる方向になってきています。 このこと事態、物資の生産や販売の効率を高め、「より多くの人がより多くのものをより安価に手に入れる状況を齎してくれるという意味では良いことである、と言えるでしょう。 しかし、一方ではこのような変化が人間関係のあり方をも著しく変貌させてきていて、それが何らかの問題を引き起こしているようだ、と言うことについては考えてみる方が良さそうです。 一つの問題は機能集団の中では「その機能集団が目指す機能を果たすのに役立たない人は排除される」と言うことです。もちろん地縁血縁集団にあっても、子供でなければその人の存在が何かの役に立つことは求められるのですが、その何かと言う許容範囲は広いし、また簡単に排除されることはないでしょう。しかし、機能集団にあってはその集団が求めるある特定の機能に役に立たなければ排除されます。 一方近代社会では多くの国で「職業選択の自由」と言うのがあって、自分が役に立てる機能集団を見出してそこに所属できる、という可能性を与えています。 しかし、それでも実際には全ての人がいづれかの機能集団に所属できるわけではなく、排除される人々がいます。それが失業問題と言われるものです。 そして失業していなくても殆どの人は失業するかも知れない、と言う脅威にさらされながら生活することになります。 このような脅威の感覚は時として個人に心のゆとりを失わせ、社会全体の問題から目をそらせ、ひたすら自らの生活を守るという生き方に追い込みます。 このような感覚が蔓延してくると社会全体に係る問題はますます解決が困難になり、それが社会不安を深め、それが個人の感覚をますます自己防衛的な方向に向かわしめるという悪循環を生じさせていくという可能性があります。 根本の問題は現在の多くの機能集団の中に「愛の心」が不足しがちである、ということにあると思います。 そうさせている一つの原因は「機能集団においては、その機能が達成されることが求められていることであって、「愛の心」は必ずしも重要なことではない」という考え方が常識のようにされている風潮にあるのでないかと思います。 学校においても小学校から大学まで教えるのは主に何らかの能力を鍛錬することであって、しかも人より優れた能力を持つことが賞賛され、「愛の心」は二の次です。 近代以前においては教育の中心が宗教や道徳にあり、キリスト教では隣人愛、仏教では慈悲の心、儒教では仁の心が最も称えられて来たわけで、近代の教育はそこから大きく変貌してきたようです。 日本の場合には教育がこのように変貌した転機は明治政府の富国強兵策にある、と考えられます。 その富国強兵策の動機というのは「日本を欧米の列強に引けを取らない強国に仕立て上げる」ということにあったわけで、そのために教育における「愛の心」は隣人愛、慈悲の心や仁の心よりも愛国心に置き換えられました。 そして教育者の任務は生徒、学生に国を興すための能力(政治、軍事、経済、産業上の能力)をより確実に習得させることとされ、また生徒や学生の最も重要な務めはそれらの能力を切磋琢磨して磨くことである、というように教えられたわけです。 第2次世界大戦の敗戦によって「愛国心=国の興隆=富国強兵のための能力の上達=そのための教育」と言う教育思想は崩壊したのですが、この中から強兵という言葉を取り除き、「愛国心=国の興隆=富国のための能力の上達=そのための教育」とする思想は潜在的に継続されているように見えます。 さすがに愛国心という言葉は日本を戦争に導いたとも考えられているためか、私が受けた教育の中で「愛国心を持て」と積極的に教える教師は殆どいなかった、と思いますが、教育の深層には上記の思想が一つの流れとして継続されているように思います。 一方第2次大戦以降の民主主義化と同時的に進行した個人主義化がもう一つの教育思想を生み出して来たと思います。それは教育は「個人がその人生において自ら満足できる一生を送るための準備として必要である。特に経済的に恵まれた生活を送るために不可欠である」という思想です。 これは「自己愛=恵まれた一生=経済的な豊かさ=そのための教育」という教育思想です。これは結構普及している思想で、時として子供を学習させるための説得にも使われているようです。 愛の心の原点は隣人愛、慈悲の心、仁の心という古くからの言葉に表される誰の心にも存在する愛であって、これに根付かない愛国心や自己愛は根のない樹木や花のようです。 私は決して愛国心や自己愛が不要のものである、とは思っておりません。 現代のように国家の存在が国民に対しても、世界全体に対しても大きな影響力を持つ時代にあっては愛国心を持つことは非常に重要な事と思っております。多くの国民に真の意味での愛国心があってこそ、国民にとって生活しやすく、また世界の平和、安寧に貢献できる国家が作られると思います。 しかし、隣人愛、慈悲の心、仁の心という原点的な愛から離れた愛国心は時として国の内外に紛争を引き起こし、それが戦争に発展することもあり得ます。 愛国心というのが、隣人愛、慈悲の心、仁の心にしっかりと根付いていて、またそれが人類愛にもつながっているものであって初めて真の愛国心と言えるものでしょう。 自己愛というのものも自然なものであるし、決して排除すべきものではないでしょう。 人は自己愛があるがゆえに人の痛みも解り、人に同情することも出来、またその心の発展した中に隣人愛、慈悲の心、仁の心があると思います。 しかし、この自己愛というのは自己防衛心や利己心とも結びつきやすく、それらに強固な結びつきが出来ると他人の痛みも解らなくなり、ひたすら自分を守ろうとする姿、他人や社会への害があっても利益を追求するという姿に陥っていきます。 (私は近代社会の中の一部に流れている「人は本来利己的である」という考え方は間違っていると思います。本来個人という存在は世界全体、宇宙全体とつながっていて存在しているものです。利己ということ自体は単なる人間の観念の所産であって、現実にはありえないことです。従って「人は本来利己的である」というのも単なる観念の所産であって、現実にはあり得ません。たとえある人が「自分は利己的に行動している」といっても、それは本人がそう思い込んでいるだけのことです。) 以上近代における日本の教育を例にとって話しましたが、この原点的な愛(隣人愛、慈悲の心、仁の心)の喪失という現象は日本の社会全体の現象でもあるし、また世界全体でも同様な状況が進行してきたし、進行しつつあるように思えます。 近代においては人間の集団の姿がゲマインシャフト(地縁、血縁集団)からゲゼルシャフト(機能集団)に移行し、同時的に原点的な愛の喪失が起こっていることが、近代社会の根本的な不安要因になってきているように思います。 多くの人がこの時代の不安要因の最も大きな問題が経済問題である、という考え方をしているように見えますが、本当にそうなのかよく考える必要があると思います。 もし原点的な愛がしっかりと根付いた社会であれが、これほど経済の問題に右往左往しなくて済むのではないか、と思います。 近代社会におけるゲゼルシャフト(機能集団)で人数において最も大きな比率を占めるのは企業という存在です。多くの企業はこのグローバリズムの進行する中で熾烈な競争を余儀なくされており、その中では「原点的な愛」がどうの、と言っていられる状態ではなくて、とにかく打ち負かされないために必死に頑張るしかない、という状況に置かれているように思います。 そしてその中に働く人々もこの流れの中で自らが振り落とされないようにしがみついて働き続けるしかない、という状況かもしれません。 しかしだからこそ、企業の中にも「愛の心」、原点的な愛の心が必要とされる時代になってきたと思います。 もしそうでなければ、やがて企業やそこに働く人々が互の熾烈な競争に疲弊し、社会全体の崩壊を招く可能性すらあります。 勿論「愛の心」があるからと言ってその企業が繁栄するとは限らないでしょうが、社会全体において「愛の心」を持つ企業が増えていくことが社会全体の不安を軽減し、精神的なゆとりを齎してくれるでしょう。 そしてそれが社会全体の活気を保持し、次第に良き未来を作り出していくことに繋がっていくものと信じます。 さて本論のタイトルは「機能集団と地縁血縁集団の調和」ということです。 これまでの話からすると「機能集団に愛の心を」というタイトルに変えた方がよいか、とも思ったにですが、この論を始めたもともとの主旨を顧みて、次を持って本論の結びといたします。 「近代において人間の集団の比率の中心が地縁血縁集団から企業、学校、官庁等の機能集団に移行してきました。その機能集団においては地縁血縁集団において重んじられた隣人愛、慈悲の心、仁などの原点的な愛の心が喪失され、それが社会不安を増長させる大きな要因になっていました。今後においては機能集団にあってもかって地縁、血縁集団が持っていた原点的な愛を持つように変貌していくことが求められる、と考えます。これを機能集団と地縁血縁集団の調和という提唱です。」
五つの調和に関する提唱の第2です。
グローバリズムはそのまま訳せば地球主義で、これはコスモポリタニズム(世界主義)とよく似ています。 コスモポリタニズムというのはwikipediaによればギリシャのディオゲネスが初めて唱え、近代ではカントがコスモポリタニズム的な思想を打ち出したと言われます。 コスモポリタニズムと似てはいても現在のグローバリズムは主に「国家間の経済的な壁をなくしていく」という意味で使われているようで、その点,四海同胞主義的な意味合いを持つコスモポリタニズムとニュアンスは異なるようです。 その「国家間の経済的な壁をなくしていく」という意味でのグローバリズムは現在歴史的にかってなかった規模で地球上で進行しているようです。 この状況を促進した歴史的な事件は「ベルリンの壁の崩壊に象徴される自由主義圏と共産主義圏の経済的な壁の消滅」でしょう。一方世界中で多くの経済的な協力関係が誕生し、拡大してきています。たとえば①欧州連合(EU)、②東南アジア諸国連合(ASEAN)、③アジア太平洋経済協力(APEC)、④経済開発協力機構(OECD)、⑤環太平洋戦略的経済連携(TPP)などです。 これらは必ずしも「経済的な壁をなくす」という目的で設立されたものではないようですが現在ではその機能が中心となっているように思います。 この状況は一概に歓迎すべきか、否かは十分に考えてみる必要があると思います。 経済的な壁をなくすの第一は関税の撤廃ということでしょうが、この結果が招来する一つの単純な結果は「国際競争力のある産業はより発展する可能性があるが、国際競争力のない産業は衰退する可能性がある」という点です。現在日本ではTPPへの参加の是非が問題となっていますが、その問題とされている点の一つは「現状で関税率の高い農業は、関税の撤廃により衰退する可能性がある」という点です。 この問題に対処するために「大農法に移行して農業の国際的な競争力をたかめろ」という意見がありますが、「本当にそれが、可能か」ということと「もし可能だとしてもそれで良いのか」という二つの疑問が起こります。 私は埼玉県の小川町に住んでいますが、ここでは有機農業が盛んになりつつあります。この有機農業を志して、小川町に移住する若者も増えています。有機農業は農薬を使わなく、健康によく且つ美味な野菜や穀類を作れるだけでなく、この自然の生態系を豊かにするという大きな益を齎してていますが、恐らく大農法には向きません。 大農法に移行すれば、エネルギー多消費、農薬多消費の農法に移行し、生態系の破壊は進行せざるを得ないでしょう。 以上は一例ですが、産業というものの価値を「国際競争力の有無」という一つの座標軸のみでとらえてしまうと、そこで「本当に未来のために良いものは何か」と探していく考え方を封鎖してしまいます。 「一国の産業がどのような姿であったら良いのか」は「それがどのような姿であったら良き未来につなげていけるか」という観点から考えるべきでしょう。 そして、その良き未来につなげていける姿はその国の持つ歴史や風土そしてその時代の状況を観つつ、描きだし、追求していくべきでしょう。 特に農業というのは気候、風土の影響を受け、またその土地の自然環境を形成する大きな要素ともなるものですから、その土地の気候、風土に合わせて、尚且つその土地の自然環境を豊かにする姿が良い姿であり、経済効率を追求した大農法は例え一時的に成功しても、永続的に持続できるものではなく、また持続すべきではない、と思います。 工業や商業でも「国際競争力の強化」という観点のみからグローバリズム的な方向を追及していくとどこの国にも国際競争力に優れたと言われる企業による同じような形の工場や商店が立ち並び、同じような都市が形成され、同じような考え方をもった市民がそこに住む、という姿になるかも知れません。 しかしそれは文化的なアイデンティティの喪失ということになるのではないでしょうか。 国にしてもまた一国内の一地方にしても、その産業や生活の仕方においてその国やその地方の独自性を追求する姿勢がある方がよいと思います。 グローバリズムに対してこのような国や地方による独自性の追求の姿勢をローカリズムと呼ぶこととします。 私はグローバリズムという方向に対して反対ではありません。これは長い人類が現在に至ってたどり着いた一つの趨勢であり、意味があるものだと思います。現在のグローバリズムは「経済的な壁の撤廃」という面が際立っているけど、それを求める結果の国際間交流が国家間のあるいは相異なる国民間の相互理解を促進していて、恒久的な世界平和に向けての一つの推進力にもなっていると思います。 しかし、一方で忘れてならないのが国や地方の独自性の追求というローカリズムの考え方です。 ローカリズムというのはグローバリズムと反対の方向であり、両立はしないように思われるかも知れません。 しかしそうではなくむしろ両立させることでいい姿になる、と思えます。 もし、グローバリズム一辺倒で行くと、産業の姿、生活のスタイル、ものの考え方にも世界標準のような形が形成され、全てがそれに合わされるようになっても、それを否定する根拠はなくなります。実際には個人に個性があり、その人にふさわしい生き方があるように、国にも、地方にもふさわしい姿があります。これは加藤諦三さんの言葉ですが、「ウサギやシカはライオンにはなれない」のです。 世界標準というライオンの真似をしても、疲れるだけです。だから国や地方はこのグローバリズム化する世界の中にいながらも、自らの独自性は何か、どのような役割がふさわしいのか、どのような姿、どのような生活スタイル、どのような自然環境であれば良いのかを追求し続ける必要があります。これが私がローカリズムと呼ぶものです。 一方ローカリズム一辺倒で行くと、それはある場合には国粋主義的な方向となるし、あるいは世界的な環境の変化を無視して、過去からの生活スタイルにしがみつく偏狭な姿勢になります。 グローバリズムとローカリズムの両立させるということはグローバリズムとローカリズムを調和させるということでもあります。 ただし現在のグローバリズムはたびたび申したように経済的な意味が強すぎて、そのままであるとグローバリズムは「経済的な世界標準を各国に押し付ける」だけのものとなり、結果的にローカリズムと対立せざるを得ない状況も出てきそうです、というか現に出てきていて反グローバリズムの運動も一部に激しくなっているようです。 グローバリズムをローカリズムと調和させるにはグローバリズムの意味を問い直していく必要があると思います。 WIKIPEDIAによればグローバリズムは「地球上を一つの共同体とみなし、世界の一体化を 進める思想」です。 「地球上を一つの共同体とみなす」というのはエコロジカルな観点からも当然でしょう。ここで問題なのは「一体化を進める」という一体化の意味です。現在のグローバリズムはこの意味を殆ど「経済的な一体化」であり、ひいては「済的な壁の撤廃」である捉えているところに問題が生じているのだろうと思います。 個人間の場合もそうですが、お互いに一体であると感じられるのは、お互いに対等の立場で理解しあえているときであり、一方が他方に支配されている形は一体化というより従属関係です。 現在のグローバリズムの形はえてして各国の歴史や文化にお構いなしにかってのいわゆる先進工業国がかってのいわゆる開発途上国に経済的な価値観と体制を移行させている形になり、真の一体化という意味とは遠いようです。 世界の一体化というのは世界の国や地方の文化や考え方が一つの形に統一されるということではなく、むしろ相互の固有の文化や考え方の相違がお互いに理解され、相互に敬意を払われるところから出発するものであると思います。 無論各国の文化や考え方のすべてが現在のまま未来永劫残されていけば良いというものではなく、他国の優れた点があれば、それを見習うという姿勢は必要でしょうが、他国から押し付けるべきものでもないと思います。 グローバリズムがそのような相互の多様性を認め合うという形で進展すれば、それはローカリズムと矛盾するものではなくローカリズムと相互に補完し調和する姿となるでしょう。 実際の国際情勢を見るといたるところで厳しい国家間の対立があり、「相互の多様性を認める」というような観点では済まないと思われる局面が多々あります。 それでも未来の良き姿として「グローバリズムとローカリズムの調和」を提唱します。 国や地方も地球全体の中で地球全体と調和して初めて末永く存続できます。その事をよくよく考えれば国や地方も地球全体の事を配慮して、考え、行動するする必要があります。そのためには地球上の種々の文化を先入見なく理解し、地球全体で起こっている温暖化、大気汚染、水質汚染、エネルギー資源の枯渇等の問題も自らの問題として対処しようとする姿勢を持つ必要があります。これがグローバリズムの真の意味であって、経済的な壁の撤廃というのは一つのあり得るオプションにすぎず、又不可欠の要素でもないのです。 ローカリズムと言うのは決して地方に引き籠るということではありません。国も地方も地球全体の中で地球全体と調和して初めて存続できる以上、そのような地方への引き籠りは永続できません。 むしろこの全地球の中で自らがどのような独自性を持ち、どのような役割を担うことが出来るかを常々想い、自らのより良い姿を追求していくことに真のローカリズムの意味があります。 このようにしてグローバリズムとローカリズムは相互に補完して良い形で調和し、それが種々の豊かな文化や自然に恵まれた地球を創生していくことになると信じます。 以上が「グローバリズムとローカリズムの調和」を提唱する主旨です。
提唱する五つの調和の第一番目についてです。
1776年に英国のアダムスミスの「国富論」が出版され、その書はそれ以降資本主義の根本原理として信奉され、現在もグローバリズムの進行する中で、実質的な意味と持ち続けているように思います。 アダムスミスの主張は「自由な市場経済が経済的な繁栄を齎す」ということで、国富論は何故そうなのか、という理由を様々な観点から説明しているものだと思います。 この書の原題は「諸国民の富の性質と原因の研究」というものです。 問題はこの「富」と言うものとして何を考えるかと言うことです。 国富論の出版された時代はイギリスが植民地支配と殆ど全世界を相手とする貿易によって巨万の富を集積してた時代です。 ですから「富」と言うのは主に輸送によって移動できる財貨」であったでしょう。土地など移動できないものも含めてもそれは「貨幣か貨幣と交換可能なもの」というものになります。 残念ながらのこの富の概念の中には「環境」というものが入っていないのです。 この富の観念の中に「環境」が込められていないのは、アダムスミス以後にアダムスミスの思想を批判しつつ新たな考えを提唱したマルクスやケインズにしても同様です。 このような富の概念をもとに富を追求した結果が、近代化の過程でどこでも起こった「環境を犠牲にした物財の生産と蓄積」です。 近代産業の発展段階の比較的早期に人的被害が明らかになった大気汚染は法的規制が順次強められ、改善し、または少なくても悪化が食い止められつつありますが、直ちに被害の生じない水質汚染は現在も多くの国で進行中とみられます。 また二酸化炭素の放出なども人的被害が目に見えないだけに問題とされつつも食い止められないのが現状です。 塩素系物質の大気放出によるオゾン層の破壊はフロンガスの国際的な規制により、進行は緩慢になったように見受けられますが予断は許されない状況です。 特に日本について言えば、大切のはずの河川、湖沼、山林、街路等の景観や居心地の良さまで、ひたすら破壊しつつ、物財の生産に励み、経済大国にのし上がったなど、その意識の貧困さは実に情けないものがあります。 これは第二次大戦の敗戦のショックにより、日本人古来の美意識や環境保全的な感性が麻痺させられた結果としか思えません。 「自然環境を破壊しつつ、物財を蓄積する」というのは「タコが足を食って生きるような未来のない姿」であるし、更にその行為が他の多くの生命を奪っていることを思えば「鬼畜の所業」とも言えるでしょう。 またこのような行為を継続することは必ず「人心の荒廃」をも招かざるを得ないでしょう。 というのは人間の深層心理は人間と他の種の生命という区別はしておらず、他の種の生命を犠牲にすることは人間を含む生命そのものを犠牲にしていることであるし、ひいては自らの生命をも犠牲にしているという痛みを感じつづけざるを得ません。 「人がお互いに尊重し合う」のがいい姿ですが一方で「他の種の生命を犠牲にしている」ことを正当化している以上人間同士の真の尊重もあり得ないことになります。 「自然とその中に生きる様々な生命を尊ぶ」という感覚なくしては人間同士の尊重も軽薄なものにとどまり、時には世を騒がす悲惨な事件をも起きざるを得ないことになります。 確かに人間にとって生活のための物資は不可欠であり、とても大切です。しかしそれがいつまでも自然破壊という犠牲のもとになされたのでは、やがて人類の滅亡に至るに間違いありません。 この人間に必要な大切なものを与えてくれる源はこの大自然、大宇宙です。 その大自然、大宇宙に感謝して、それを損なわず、むしろそれを育みつつ、必要な物資を生産するという形が、真の姿でしょう。 以上が「物資の生産と環境の創生の調和」を提唱する主旨です。
前回、経済政策への提言について話しました。
それは一言で言えば経済の中心を物資の生産から環境(生活環境、自然環境、社会環境、他)の創生に向けるべきと言うことです。 しかし、人間は物資なしには生存できないので、物資が不要となることではなく、物資の生産に偏っていた経済の焦点を環境の創生にも向けるべきと言うことです。 この意味でより適切に表現すると、「経済における物資の生産と環境の創生の調和」を図っていく、と言うことになします。 これは近代の経済が(資本主義の原理にもよって)商品として流通可能な物財の生産に偏ってしまい、その結果環境が破壊れてきた、という状態からの脱却を目指す(環境を復活し、更により良き環境を創生する)という意味でもあります。 近代が生み出してしまった問題は環境の破壊だけではなく地域的文化の喪失、人間関係の希薄化、地方の疲弊、精神の荒廃等があります。 地域的な文化の喪失は世界的に進行しているグローバリズムの影響も大きいでしょう。人間関係の疎遠化は一つは地縁血縁集団中心の社会から機能集団中心の社会に移行したことにもよるでしょう。 地方の疲弊は権力が国家に集中し、地方が自主性を失って来たことにもよるでしょう。 精神の荒廃は人の努力が物質文明の繁栄に集中されてきて、過去に気付かれ、伝えられてきた高貴な精神文明を忘却してきたことにもよるでしょう。 これからの時代においてはこれらの問題の解決を図ることが求められます。 そこで次の五つの調和を提唱したいと思います。 (1) 物資の生産と環境の創生の調和 (2)グローバリズムとローカリズムの調和 (3) 機能集団と地縁血縁集団との調和 (4) 中央集権と地方分権の調和 (5) 物質文明と精神文明の調和 次からはそれぞれについて話します。
私はリーマンショックの後に「経済とは何か」というタイトルでブログを記し、その最後に「日本の経済政策への提言」として記しました。 現在読み直してみても同感するので再掲します。日本の未来を考える上で参考にしていただければ幸いです。
私が言わんとするのは「現在の日本にとって消費物質の豊かさよりも重要な課題があり、これからの経済はその課題の達成に力を入れるべきである」ということ、そして「そのようになすべき課題がある以上、失業者が大勢いる、などということはあってはならないことであり、このような課題に挑戦する中で雇用の確保を図ることが国家の最大の責務である」ということです。 (1)豊かな自然の生態系の復活 故郷を讃える歌には必ず豊かな自然が織り込まれています。生命に溢れた郷土こそ、愛し、懐かしみ、誇れる場所です。 特に農薬の散布、洗剤を使った水の垂れ流し、そして、三面張りなど生態系への影響を無視した治水工事が日本の農村の生態系を無残に破壊してきました。それが、子供たちから遊び場を奪い、潤い豊かな自然に浸る安らぎを奪い、精神的荒廃の大きな原因となってきたことを直視すべきでしょう。本来日本の国が持っている豊かな生態系の復活はこれからの日本にとって最大の挑戦課題です。 まずは脱農薬農法、洗剤無放出洗浄、自然河川工法などを国家プロジェクトとして取り上げたいものです。 (2)美しい路の創造 昔の日本の絵画には東海道五十三次など、美しく、市場溢れる路が描かれています。ヨーロッパには現在でも美しい路並みが至る所に残されています。今の日本のどこにそのような路が残されているのか、はなはだ悲しい状況です。 家の中に如何に立派な家電が並んでいようと、路が美しくなければ、生活環境が良くなったとはいえないでしょう。 市街地は歩いて楽しく、自動車道路は走って楽しいような路としたいものです。 それに自転車専用道路があれば省エネルギーも促進します。 ガードレールは芸術的なものに替え、電線、電話線は地中埋設に替えていきましょう。 (3)持続可能型産業構造の構築 産業革命以来の環境を顧みず、開発、発展のみを追及した開発型産業構造から、持続可能型産業構造(循環型産業構造)への歴史的な転換期にさしかかっています。 意欲的、積極的に持続可能型産業構造を追求し、新たなる方向を世界に示すことが日本の歴史的な役割と考えます。 日本は過去において、化石燃料に全く頼らずに豊かな文化を花開かせてきました。まさに持続可能型文化を実らせたのであります。このような文化を築いていく知恵は日本国民が潜在的に持ち合わせているものであり、今こそそのような知恵を蘇らせ、科学技術と融合させて省エネルギー、省資源にして持続可能且つ豊かさを齎す、産業構造を構築していきましょう。 (4)予防医学の推進 近代医学の進歩は目覚しく、たとえば過去に不治とされてきた天然痘、結核、ハンセン病等も克服してきました。しかし一方においてエイズ、各種成人病、癌、新型ウイルスなど克服しえてない新たな病も広がってきております。これらの治療のための医療負担はますます膨大なものとなりつつあります。ひとつの病を克服すれば、別の病が出現し、いわばもぐらたたきの様です。これは近代医学が対症療法から始まっていることにひとつの根本原因があると思います。病の治療以前に重要なのは病にならないようにすることです。 予防医学にこそ国家としての絶大な努力が傾注されるべきです。 (5)辞書の編纂 現在は情報化社会と言われていますが、一方では種々の情報が氾濫し、何が本当なのか紛らわしいという状況も生まれてきております。また科学技術の進歩を目指そうとしているにも係らず、その情報の多くは専門家でなければ知りえないという実情です。 国家が多くの専門家を動員して、科学技術、法律、歴史、国語等に関する詳細な情報をも含む辞書を編纂することを提案します。 (6)新教育制度の模索 現在の日本の教育制度は明治維新において富国、強兵を目的にして欧米の教育システムを模倣して作られたものです。第二次大戦後に見直されたもののその基本は変わっていません。すなわち現在の教育制度は教育というものが何を目標としてなされるべきか、そのためにはどうあったら良いかという基本的は考慮や議論がなされないまま作られ、またそのまま継続されてきたものです。 これからの教育は国家の統制を最小限とし、多くを地方自治体の創造性に委ねて、さまざまな試みを展開し、そのような試みの中から次第にふさわしい形を見出していくようにしたいものです。 教育というのは根本において次世代に善智識を伝えていくことを目的とするものでしょう。その意味で特に教育を専門の教師だけに任せるというのは根拠の乏しいことであり、社会人も教育の一端を担うという形にしたいものです。 (7)地産地消型食文化の追求 食の自給率を高めようという政策が提言されていますが、最も良い形は最大限地産地消型の食文化を普及することである、と思います。それにより食の安全も保持されやすく、輸送などのためのエネルギーも節約できます。 これからの日本にはエネルギーと農薬多消費の大農法は似つかわしくありません。 こまめに作物の面倒を見る小規模、有機農業が広まり、地産地消型食文化と融合する形が望ましいです。 以上のような課題を追求し、実現していくためには甚大な労力と叡智が求められます。 それ不況だ、それ経済対策だ、と大騒ぎするのでなく、このような目的意識をしっかりと共有し、そこに向かって国民のみんなが力を合わせて一歩一歩着実に進んでいこうとすころから、日本の明るい、希望に満ちた将来が開けていくと信じます。
現代における価値観の多様化と混沌があり、また各人の価値観の模索があり、そこから新たな時代の価値観が生まれてくるだろう、というような話をしました。
ここで「新たな時代の価値観」というのは「新たな時代のあるべき姿、進むべき方向として社会の大多数に合意形成がなされた理想像」というような意味です。 このような理想像の合意形成は、社会が大きな力で時代を変革していくためには不可欠な事です。 かと言ってそれを早急になそうとすれば、近代の過去にあったように独裁者の出現や戦争を招く可能性があります。日本の近代の過去を振り返れば「富国強兵」という合意形成の中でやがて第2次大戦にまで進んでしまったのです。(私はこのような日本のたどった過去のプロセスにも意味があったと考えますが、同じような道を繰り返すのは愚だと思います。) 新たな時代の価値観に関する合意形成は社会の成員が社会的な共通体験や相互の対話を重ねるなかで、次第に大きな意欲が社会の底の方から湧き上がってくるようになされて、永続的なものになり得ると思います。 ここで社会的な共通体験と言っているのはたとえば、最近では東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故があります。このような災害や事故はそれ自身は悲しい出来事ですが、一方でこの社会の将来の在り方を考える上では大きな示唆を含むものと言えるでしょう。またバブル崩壊やリーマンショックのような経済現象も更に地球温暖化、オゾンホールの破壊などの環境問題も未来を考えるための重要な示唆を与える社会的な共通体験と言えるでしょう。 相互の対話というのは「このような問題について相互に話し合い、未来を語りあう」ということであるし、また音楽、文学、舞踏等での感性の触れ合い、各種のイベントの中での触れ合いも含みます。 そのような共通体験や触れ合いの中で相互に納得しあえ、未来に対する大きな希望を与え、感性にもフィットする理想像が共通の夢としてこの社会の中に育っていくことを望みます。
産業中心主義、民主主義、中央集権国家は近代社会が向かって来た方向ですが、その背景には自然科学の発展があり、それに触発されかのように生まれた唯物論とそしてニヒリズムが連鎖するように横たわっています。
唯物論的な考え方はデモクリトスの原子論とか古代からあった考え方ですが、近代の唯物論は近代科学をその主張の根拠としする形で発展したもので、古代の唯物論より説得力のあるものとして現れています。 ところで、自然科学的な考え方は本来自然現象がいかなるものであり、またいかなる法則により動かされているかを解明しようとするものです。 自然科学はそのような考え方の原則からして、人間の抱く価値観や目的意識の正当性を証明しえるものではないのです。 かと言って自然科学が価値観や目的意識を否定するものでもないわけです。 それを取り違えて自然科学的な考え方を全てに対して進めていこうとすると唯物論やニヒリズムに導かれることがあり得ます。 そしてそれがかって私が陥ったように人生に対する絶望感のような感覚に結びつくことがあり得ます。 しかし、人間はどうしても絶望感のうちに留まることは出来ないようです。 マルクスは唯物論より共産主義の思想にいたりました。 ニーチェはニヒリズムより超人の思想に至ったのです。 これらは彼等が見出した価値の世界です。 おそらく誰しもが、価値を見出して生きていきたいと思うでしょう。 近代以前の社会はおそらく世界中の殆どの国や地域にそれぞれに支配的な宗教や道徳思想があり、それが人々の価値観の源泉となっていたように思います。 近代以降にそれらの支配性は次第に失われ、共通の価値観といえば、経済的な価値観だけといえる位でしょうが、その経済的な価値観も多くの人々が懐疑的なってきているようです。 価値観の多様化している、と言われるのもこのような背景があるからでしょう。 現在という時代に在って多くの人が自ら価値を探索しているように思います。 それは新たな時代へ向けての模索の段階ではないかと思えます。 この価値観の混沌の中から、新たな時代が生まれてくるように思えます。
ニーチェのニヒリズムと私のニヒリズムについて記しました。
このようにニヒリズムの付いて考えるのは、ニヒリズムというのは近代の社会の中に横たわる感覚であり、それがニーチェや私と言う個人の問題に留まらないものがあると、思うからです。ニヒリズムを突き詰めることで、近代社会の持つある一面をあぶりだすことが出来るような気がするからです。 まず私がニヒリズムの陥れ、また脱却していったのは次のような過程を辿ったと考えています。 ① 幼年期から少年期にかけて死、病気、恥等への恐怖心、不安が植えつけられ、心の中に根を張った。 ② 科学的な考え方がそのような恐怖、不安から自らを遠ざけてくれた。 ③ 科学的な考え方をいくら突き詰めても、宇宙、生命、人間、自分等の存在の目的、価値等を見出せずにニヒリズムに陥っていった。 ④ 客観的に与えられる目的や価値が見出されないなら、それを自らのうちに見出すあるいは作り出せば良い、という考えに至り、ニヒリズム(消極的なニヒリズム)から脱却していった。 このような過程は必ずしも一般化出来るものではないでしょうが、多くの人が私と同じような環境の中で育っているわけで、これがニヒリズムに陥るあるいは脱却するパターンの一つであるとは言えるでしょう。 このようなニヒリズムを導く、社会的背景には次があると思います。 ①近代において中世あるいは近世まで社会を支配していた宗教的、道徳的価値観が支配力を失った。 ②民主主義、産業中心主義は近代への過渡期において多くの人々に価値あるものとして魅了するものであったが、それが実現していくなかで人々をひきつける輝きを失った。 ③近代社会がその礎としている科学的な考え方はその中に価値の概念を含まない。(科学的な考え方は自然界の現象を正確に捉え、またその現象の生起する法則を見出し、また現象の展開する結果を予測することはするが、それによって何の価値の存在も証明しない) このような社会的背景の元では多くの人々の心の中にニヒリズムあるいは虚無的な考えが広がっても不思議はない、と考えられます。
私は10代の後半から20代の終わり頃まで自称ニヒリズムというのに陥っていました。
どうしてそうなったか、これは後からの記憶を辿っての話ですが、次のプロセスでニヒリズムに陥っていったと考えます。 幼児期(小5まで:横浜~東京):幼い頃より恐怖心が強く、幼い頃は「死んで地獄に落ちる」ことが最大の恐怖でした。地獄に落ちた夢なども見ました。その思いを離れているときは元気で活発な子であったようです。 少年期から思春期(小5~中3:沼津):科学を学んで「地獄はないだろう」と安心できたました。沼津という土地柄もあり山や海で遊び、模型作り、手品など屈託なく遊べた時期です。一方女の子への関心も芽生え、それもあってか、羞恥心が強くなりました。 ソフトボールやバレーボールでドジをするのが怖く、運動会のリレーに選手として出ると妙に緊張してしまったりという苦い思い出があります。 思春期から青年期(中3~高3:蟹江):死への恐怖は引越しした家の近くにあった火葬場への恐怖やライ病への恐怖になりました。 またこれは死への恐怖とは別かもしれませんが精神病になるのではないか、という恐怖もありました。 女性への憧れと共に好きな女性に口を聞けない、と言う自分に対するふがいなさもありました。 そのような不安や恐怖や自分へのふがいなさのある一方で一方で科学への興味に自分をのめりこませていったのです。 科学は自分にとって大きな救いになっていました。科学は世の中の軋轢から自分を開放してくれる存在でした。 受験校にあったストレスも和らげてくれました。世の中の価値基準を低いものとし、それに捉われない気持ちにもさせてくれたのです。宇宙やその歴史について考えるのが好きになりました。「多くの人が世の中の価値にとらわれ翻弄されているが、それがどうしたということだろう。やがて誰もが死を迎える。そしてやがてこの地球も滅びてしまう。何をあくせくし、何を恐れおののくことがあるだろうか。」とよく想うことがあり、それが自分を世の中の束縛から自由な隠遁者のような感覚に浸らせてくれたのです。 青年期:(大学~社会人)科学を学ぼうと大学(早稲田大学応用物理科)に入学したのですが、真剣に理工系の学問に打ち込めず留年を繰り返していました。人間の行為の一切が虚しく自らの行為も虚しいという感覚が、絶えずあって,それが真剣に目前の課題に向かわせるのを妨げていたのです。 この「一切は価値がなく虚しい」という感覚から抜け出したいという思いもあったのでしょう、哲学書や宗教書を読み漁り、一方でパチンコに自らを没頭させたりもしました。でもどれも解決にはなりません。 自分の生活をまるっきり変えてみようということで「山谷に入り、山谷の人達を一緒に肉体労働の生活をしよう」と、思うに至りました。 その意思を下宿のおばさん(江古田の小竹町の甲斐さん)に話たら、それが直ちに親元に伝わり、蟹江の実家に帰郷せよ、と言うことになりました。 親父が言ったのは「お前は砂漠を旅して、暑さに参っている旅人のようなものだ、そこに満々と青い水をたたえた、湖が現れた、そこでその湖に飛び込もうとしている、しかしそれは青酸カリの入った湖なのだ」と言うことです。 この言葉でやむなく学業に向かうことになりました。既に大学3年になっておりそれから卒業するまで4年間は新宿は百人町の下宿で殆ど昼夜の区別もなくなることもある位、机に向かっていた時期もあります。 「学是大慈悲業」というのが当時下宿の壁に貼ってあった言葉であり、そんなことで自らを振りたたせようとしていました。 それでもその虚しさの感覚は付きまとっていました。 その感覚から立ち直っていったのは早稲田大学を卒業し、名古屋大学の修士コースに入った頃からではではないかと思います。 自分を虚無感から立ちなおさせた一つの考え方は次です。 「確かにこの世界には客観的に与えられる目的は存在しないかも知れない。それなら自ら目的を見つければ良いのでないか。また本当にこの世の一切が虚無であるならば、虚無だ、虚無だと思い続ける意味もない」 あるいはこの考えでニーチェの言う消極的ニヒリズムから積極的ニヒリズムに転じたのかも知れません。
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